バイリンガルの脳
語学に関して、ある程度の段階になると、脳内で一切の翻訳変換作業がなくなる。むしろ、きちんとした日本語の文章を脳内で翻訳するのが難しくなる。これがいわゆる”ピジン”といわれる段階のもの。
相手の言語に対して、こちらも無意識のうちに相手の言語で返そうとするから、ある程度の語彙力があれば、返答に1秒もかからない。
イメージとしては、標準語(東京山の手弁)と大阪弁が堪能な人が、普段は標準語で話していて、ふいにうしろから大阪弁で話しかけられて、とっさに大阪弁で応答するイメージ。そこには、文法や語法なんていった小難しい原理を意識することなく、自然に言語化することができる。
だから、最終的には“和訳”はいらなくなるし、逆にいつまでも”和訳”にこだわっていると、きちんとした語学習得の障壁になる。
中学校・高校の英語教育が、和訳中心になってしまうのは、外国語の語彙が少ない相手に、言葉の意味をイメージさせる手段としてやむを得ないもので、こちらが伝えた言葉のイメージを、しっかり理解できているかチェックするためにも日本語でその解釈を聴くのが一番有効であるからだ。だから、”和訳”で考えさせることは、教える側としても苦肉の策なのである。「日本語で伝えないと、伝わらないか、仕方なく日本語で説明する」というのがその根本にある。
そこのところを理解していないと、いつまでも「美しい日本語に直さないとダメだ。」「こなれた日本語にしろ」ということになってしまう。 いいかい、外国語の習得は翻訳の勉強をすることが目的ではない。日本語以外の言語を、なるべく障壁なく、自由自在に扱えるようになることを目的とするべきだ。