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横浜で謎の「ホームレス歌人」を追った本と引き比べてみる


『白い孤影』を書く際に、念頭に置いた本が2冊ある。

ひとつはあとがきに書いた塩野七生さんの『サロメの乳母の話』。

もうひとつは新潮ドキュメント賞の候補作にもなった、三山喬さんの『ホームレス歌人のいた冬』である。

『ホームレス歌人のいた冬』は、横浜の寿町を舞台にしたノンフィクション作品だ。素性も正体も知れないホームレス歌人・公田耕一を追う物語である。

読者は著者が公田の謎を解いてくれるものと期待して読み進める。しかし同書は二重構造になっており、リーマンショックで「年越し派遣村」が話題になった「あの冬」に、出版不況でライターとして後のなくなった著者が、この取材に進退を掛ける姿が読み所となっている。公田を追ううちに、著者は自らと公田の姿を重ね合わせていく。公田はかなりの知識人にちがいなく、著者は「明日の自分の姿かも知れぬ」と共感を寄せる。

このような筋だが、読者からは「期待外れ」だとか、「裏切られた」などという感想は聞こえてこない。この本にあやかりたいと思った。

『白い孤影』も、『ホームレス歌人のいた冬』同様、横浜の、正体不明の人物を扱った本である。

読者の多くは、「メリーさんの謎を追う本」だと思い込んで手にしたようだ。「単純にそういう話ではない」と、はっきり前書きに書いたはずだが、読み通した後もこの点が伝わらないらしい

『ホームレス歌人』の方法論で見習いたいと思った点がもう一つある。
この本が横浜の、寿町という狭い範囲で完結していると言っても過言ではないにも関わらず、「誰も横浜の物語だと感じていない」点だ。「横浜の物語」にしてしまうと、地元民は興味を持つかも知れないが、全国の読者を掴むことは出来ない。この点を見習いたいと思った。

メリーさんの話を読んだ横浜の読者の反応は、決まっている。

「メリーさんを見たことがあります」
「よく調べていますね」
「横浜の街の様子がよく書けている/書けていない」

上記三つが殆どだ。
「メリーさんの悪口さえ書かなければ、誰がなにを書いても同じ反応が返ってくるのではないか」と疑いたくなるほどである。

「商売」という意味では、一冊でも多く横浜の人の買ってもらった方が良いのだろう。
しかし書き手の正直な気持ちとして、横浜の読者の反応はおもしろくない。本の内容はそっちのけで、メリーさんの思い出話をしたがるからだ。ある意味勝ち目のない戦いと言っても良いのかもしれない。だから東京など横浜以外のエリアで売れて欲しいと思った(そういう訳で、出版記念イベントは横浜を避け、東京で実施した)。

『白い孤影』は地域の本を目指していない。特定の地域で展開してはいても、『ホームレス歌人』のようにローカルな匂いのしない本を目指した。もちろんタイトルに「ヨコハマ」とついてしまっている時点で無謀な挑戦なのだが、意図としてそういうことを考えていた。
読者から「横浜が書けていない」という反応もあったが、そもそも横浜を描こうという本ではない。
「この本の著者には、次回作でベイスターズのことを書いてもらいたい」という感想もあったが、残念ながらそういう期待を掛けられた時点で、この本の意図を上手く伝えられなかったのだと力不足を痛感している。

この本の読み所を正確にすくい取るのは、横浜の人には荷が重いのかも知れない。
現状、自分が把握している限りでは、この本の良さを分かってくれているのは大阪の人たちである。大阪人は、アクの強いコテコテなキャラが好きだ。彼の地のそういう気質が、メリーさんを愛すべき存在として受け止め、かつその物理的な距離感ゆえ、突き放して書いた拙著の内容をありのまま読み解いてくれたのではないか。そんな風に推測している。


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