「有名人の目撃談が入ると、横浜の人たちとの心理的距離感が出来てしまう」という編集者の意向により、拙著『白い孤影』から削除された記述がある。
小説家の北方謙三のヨコハマメリー目撃談だ。
著名作家が語る、ヨコハマメリーのイメージとは?
●金魚みたいな服を着たお姉さん
北方謙三は、1992(平成4)年1月10日に東京の紀伊國屋ホールで講演会を行った。その際、こんなエピソードを披露している。
北方が「マリン」という名前と「マリー」という名前を区別していない点は興味深い。同様に年配者は「マリー」「メリー」「マリア」といった名前を区別していないことが多い。これは関東圏だけの傾向ではないらしく、関西でも同じような場面に遭遇することがあった。
ヨコハマメリーに因んだ歌には「マリー」とか「マリア」という物が少なくない。それはこの辺りに起因しているのだろう。
*注 北方謙三は昭和22年生まれである。昭和20年代初めのことを記憶しているとは思えない。年号に関しては北方の記憶違い、もしくは言い間違いだと思われる。
*注2 昭和25、6年当時、移動証明書がなくても女性が働けるところはパチンコ屋と赤線くらいしかなかった。仕事の絶対量自体が少なく、雇用は男性が優先された。都会に出ても仕事にあぶれ、生活のために身を売った女は大勢いたと思われる。