もっと上手く書けるようになりたかったら、ライティングで食っていくことは諦めなさい
有名ライターのさとゆみさんが note に「プロの書き手になる人、ならない人、なれない人。」という記事をアップしているのを見つけた。
髪に関するエッセイコンテストの審査員をしたところ、
応募されてきたエッセイの3分の1は、私の文章より上手かった。ちょうど私は昨日、別件で髪にまつわるエッセイを1本、あるメディアに納品したのだけれど、私のその文章がこの応募作品に紛れ込んでいたら、一次審査も通らないだろう。
なんで、みんなこんなに上手いの?
と感じて凹んだという。
この話はすごく分かる。
僕は本を2冊出してからライタースクールに行く、というステップを踏んだ。
普通はデビュー前に行くものだけど、僕は全くの我流で2冊書き上げたので、プロと呼ばれる人たちのやり方、王道の手法を知らなかった。
だから幹を太くする目的で、スクールに通うことにしたのだ。
10名という人数限定の講座だったのだが、驚いたのはレベルの高さ。
純粋に文章の上手い下手で比べたら、僕は下から3番目くらいだったと思う。
もしデビュー前にここに通っていたら、本を書くことなど絶対に諦めていただろう。
こういう話は割とよくあるようだ。
以前ヤマハでコンサートの制作を担当していた方に聞いた話だが、プロより上手いアマチュアは世の中にゴロゴロしているそうだ。
一例として国内で活動する「モーツァルト専門のアマチュアオーケストラ」のことを教えて頂いた。
プロのオーケストラは膨大な演目に対応しなければならない。
だからオールラウンドプレイヤーになりがちだ。
つまり特定の分野に関して極み切れないという話になる。
ところがアマチュアはそうではない。
アマチュアは自らの興味や情熱の赴くままに、好きな音楽を徹底的に演奏する。
たとえばモーツァルト専門の彼らは、一年中モーツァルトの曲しか演奏しない。
楽曲の研究にしても信じられない深度で掘り下げる。
それを何年も何年もつづけるのだ。
こうして彼らは、モーツァルトの演奏に限られたリソースしか割けないプロを凌駕していく。
しかもアマチュアには「採算分岐点」などという概念はない。
(「お小遣いの上限」という枠はあるかも知れないけれど)
だから採算を度外視して、良い仕事をしようとする。
一方、食っていくことを前提に仕事をすると、リミッターが掛かってしまう。
「予算オーバーです。だからやめましょう」
つまりプロの仕事には時間や予算による妥協が存在するが、アマチュアにはその枷がないのだ。
アマチュアは「好き」をパワーにして、採算を度外しした活動を延々とつづけていく。
逆説的になるが、プロがアマチュアに勝てるはずがない。
結局上手い下手という明暗を分けているのは、採算をとるか/とらないか、という選択だ。
【プロになる=生計を立てる】という選択を放棄してしまえば、プロよりも上手くなれる人は結構いるのではないか?
ではプロがアマチュアより優れているのは、どんな部分なのか。
先述のヤマハの方は「クライアントの要望にあわせていく柔軟な対応力」だと答えてくれた。
実際の仕事の場において、時間が切迫していたり、道具が揃っていなかったり、予算などの条件が悪かったりして、充分なパフォーマンスが発揮できないケースは少なくない。
そんなとき与えられた環境や自分の持てるリソースに工夫を凝らし、出来る限りクライアントの希望に寄り添って良質な仕事をするのがプロなのだという。
つまりアマチュアとプロの差は、上手い下手ではなく、応用力の差なのだ。
さとゆみさんの以下の話も、この記事と親和性が高いです。
【こんな本を書いています】