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メリーさんは「本当は」いつ娼婦になったのか

改めて基本的な部分を検証したい。
メリーさんはいつ娼婦になったのだろうか?

人の口に上る物語によるならば、それは終戦後すぐの段階だという。
しかし映画「ヨコハマメリー」や中村監督の本でも明らかにされているとおり(そして拙著『白い孤影』でも取材話を書いているが)、彼女の故郷は岡山県の山里である。
故郷に留まっていれば、食うには困らなかったはずだ。
岡山県北部の中核都市・津山辺りならばまだしも、彼女の故郷までは進駐軍も足を伸ばさない。
つまり彼ら相手の娼婦、当時のいい方で言う「パンパン」になる必然性など、どこにもないのだ。

なぜ彼女が「終戦後間もない段階から街に立った」と噂されているかと言えば、それは近年パンパンや RAA(進駐軍向け慰安所)の物語が掘り返され、語り直されるようになったことと関係しているのだろう。

当時日本は貧しかった。
やむにやまれず進駐軍相手の娼婦になった女は大勢いた。

そんな国民の記憶が彼女の姿と結びつき、屋上屋を架す形でもっともらしい形に整えられていったのだと思う。

しかし少し調べれば分かることだが、パンパンの最盛期は国民の暮らしぶりがもっとも厳しかった戦後すぐではなく、5年経って朝鮮戦争がはじまってからなのだ。
つまり戦後すぐの段階ではなく、戦争景気で日本の景気が上向きだしてからパンパン業界に新規参入した女が多いのだ。

こういう基本的な事実を抜きにして、「戦争で日本が負けてお金も職もなく、仕方がなしに……」という分かりやすい話がもっともらしく流布しているのが、彼女の物語をめぐる現状なのである。
(そしてそれを無責任に助長しているのが、例の映画ということになる)

松沢呉一さんの『闇の女たち 消えゆく日本人街娼の記録』(新潮文庫 2016年)などによると、老女になっても娼売をつづける女性の多くは中年になってから売春を始めているという。
70過ぎても街角に立ちつづけたメリーさんの身の上を鑑みるならば、彼女も中年になってから娼婦になったと考えられないだろうか

彼女をめぐる謎の一つは「なぜ老齢になっても街に立ちつづけたのか」というものだ。
伝説では「愛した米軍将校を待ちつづけたから」というロマンチックな理由になっている。しかしこの説には根拠がないし、非現実的すぎる。

しかし「中年になってから娼婦になったので」と考えると、謎の一つは氷解するのだ。

メリーさんが生まれたのは1921(大正10)年である。
戦争が終わったとき、彼女は24歳だった。

故郷を出たメリーさんは神戸に出て米軍将校と出会い、彼の転勤に連れ添う形で東京に出て、それから横須賀、横浜と転々と住まいを変えた、というのが伝説で語られる彼女の来歴だ。

しかし伝説には別のバージョンもあるのだ。
それは撮影半ばで頓挫した清水節子の手によるドキュメンタリー映画関係者の間で流布するもので、それによると彼女は神戸に出たとき資産家の家で女中をしていたという。

このバージョンは、僕が掘り起こした谷崎潤一郎と彼女の一族の意外な結びつきを肯定するものだ。

彼女の故郷で複数の方に確認したが、彼の地から都会に出るとすれば大阪に行くのがふつうだという。神戸に出るのはかなり特殊だというのだ。
つまり彼女が目的地として神戸を選んだのは、なんらかの理由があってのことと考えられる。
その理由というのは神戸に上流階級の知り合いが多かった谷崎潤一郎と知遇を得ていたからではないか?
そうだとすれば、彼女は何年かは女中をやっていたということになる。

彼女は絵を描くのが趣味で、芝居見物も好きだった。
それは、女中時代の雇い主の薫陶を受けたからだというのが、福寿祁久雄さん(映画『濱マイクシリーズ』の仕掛け人。前述の清水節子の映画の関係者でもある)から聞いた話だ。
そうして条件の良い働き口を得ていたにも関わらず、なにかがあってそこを離れ、彼女は関東に流れてきたのだろう。

その詳細は調べようがない。
しかし状況から考えて、彼女が娼婦になったのは朝鮮戦争以降のことではないだろうか。
つまり30歳前後で娼売を始めたのではないかと思う。
昔の人は寿命が短かった。
大正生まれの人にとって、30歳は立派な中年である。
中年になってから娼婦になったのならば、老年までつづけてもおかしくないと思う。
どうだろうか。

僕も彼女について調べ始めた最初の頃は、中村監督や五大路子のような方向で彼女の物語を捉えていた。
僕が2000年に書いた「さよならメリーさん」というテキストがある。
当時のウェブサイトを電子書籍にしたもので、かなりの反響があった。書籍化の話も来たくらいだ。

もし気が向いたらお目通し頂きたいが、note のこのマガジンの内容とはかなりの開きがある。
大きなジャンプが見て取れると思う。
結局彼女の物語はデタラメも良いところなのだが、にも関わらずなぜこれほど愛されるのか、ということを探っていくとどんどん深みにはまっていく。

ことの真偽はさておき、少なくとも神戸に出たのは自然な流れではない、ということだけは押さえておきたい。


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