待って、私文書くの苦手だったわ
お店のインスタに載せる投稿をつくっていたときの話。
キャッチフレーズみたいなのをオーナーと2人であーだこーだ言いながら考えていた時に
「ヤヌシさんの思ったこと、お客さんがいつも言っていることを書いてみて」
といわれた。
何度もパソコンのキーボードを叩いては何回も消しては書いて消しては書いての繰り返しをひとしきりやった後
「私、文章書くの下手なんですよね」
と横でハンマーを振っているオーナーに言った。
彼も「そうだったわ」
と理解を示してくれた。
「人には得て不得手がありますからね」を免罪符にして生きてきた私は一丁前にこんなnoteを書いているわけだけれど、結構本気で文というか、キャッチコピーとかを考えるのが苦手だと思う。とっても不得手。
オーナーからもお墨付きのレベルで。
その代わりと言ってはなんだけど人が思っていることを具体的にイメージに起こすことは比較的得意で私の「得手」であり一定の定評があって自己肯定感を上げてくれるわけである。
言葉にもデザインにもその人のセンスが現れるからやはり才能は適材適所で選ぶ必要があるんだなって思ったので素直に私はいつも誰かが考えたイメージを具体化するのに徹する役割。
でも、不得手ではあるけれどこうやって気ままに筆を執るのは嫌いではない。が言葉が出てこない。
今のボキャブラリーは小学生の時の読書習慣の賜物だと言えるけれどなんでも数秒で調べられるグーグル先生と自動変換機能に溺れた高校生からは本当に言葉を上手に使えなくなった。
慌てて本を読んでみても昔のように熟語や言い回しが覚えられるわけでもなく昔の記憶に頼りっきりな生活になってしまった。
そのせいか、めっきりキャッチコピーやら人に響く文やらを書くのが苦手になってしまって今noteで沢山文の書き方やらキャチコピーやらエッセイについてやら読み漁っているけれどどれも私にできる気はしない。
まずは人としての基礎として頭の中の思っていることをちゃんと言葉にする練習をまずはしていこうかなと思っています。
最初に言った通り、人には得手不得手があるので私は私の得意分野で生きて行きたいと思うし、別に文を書いて飯を食おうなんて微塵も思っていないけれどでも自分を表現するには言葉がなければ始まらない。
だから私は文を書き続ける、ようにしてみたいと思う。