赦しをもらえた(気がした)日
以前、ここではカミングアウトしたこの件
について、家族、親戚、友人にはずっと打ち明けられずにいました。
兄と、長年スピリチュアルな事を話せていた友人一人だけにはメールで伝えたものの、それ以上広げることはできませんでした。
一方で、何かをきっかけにこれまで何度も「引っ掛って何年も抜けられなかった自分」を責め、「私は、また騙されてしまうのでは…」との呪いが出てもいた私。
ここ数年さまざまなセッションなどを経て、段々と薄らいだり、「このことにも意味があったんだろう」と思えそうにもなったりはしていました。
が、先月のあの襲撃事件で、「旧統一教会」が連日取り上げられ、容疑者やその母親に関する様々なニュースを見る中で、フラッシュバックも生じたり、
「私もあの容疑者の母のように、娘の人生を狂わしてしまいかねなかった…いや、狂わしてしまうのでは…」とパニックを起こすように…
献金額も容疑者の母の足元にも及ばないし、
家族の人生を狂わさずには済んだ。
でも、教会の教えや要求に、
内心100%は信じられず、抵抗を感じながらも、「ここで抜けたら家族に不幸が起きる…」と怯え抜けられずにいた自分が本当に情けない。
連日のニュースで「こんな馬鹿げた教え、悪質な手口」と取り上げられる度に、
「こんなにも明らかなのに何故お前は…」と罵りたい衝動にも何度も駆られました。
自己否定のダークサイドに逆戻りしないよう、お気楽な投稿をしたり、瞑想したり、アドバイスを貰ったりで、7月の下旬にはやっと持ち直してきました。
そして、ライオンズゲートを通じてまた気づきや成長を感じた中で、一昨日フト、親友に伝えたくなり連絡をとったところ、14日、用事の合間の1時間半だけ逢えることに。
そして当日。
実際に面と向かうとなかなか勇気が出せず、彼女の息子のおもしろエピソードで大笑いしながら葛藤がはじまり、
「やんきちは最近どう?」と聞かれ、口をついたのは身内の別の話題。しかもおもしろ可笑しく…
残り時間が迫る中で、「一体何の為に今日逢ったの?」と促す内なる声に押されて、
「実は、ずっと隠してきたことで、謝りたいことがあって…」と切り出しました。
それから残り時間まで、何をどう話したのか、具体的には覚えられてないし、
親友の顔もあまり直視できず、絶句、啞然としていた印象だったんですが、
時間となったので、ソフトランディングさせる時間のないまま、胴体着陸状態で解散となってしまいました。
その後、
ほとんど私からの一方的な報告で終わってしまっていたのが心残りで、彼女にLINEをしました。
その後、届いた彼女からの返信
しばらく、涙が止まりませんでした…
そして最後に私からもう一度
以上です。
彼女からの何かを期待して打ち明けようとしていた訳ではないけれど、
掛け替えのない親友である彼女に話し、
彼女からこうした返信が貰えたことは、
大きな区切りとなりました。
過去を無かったことには決してできないけど、
私には大きな赦しをもらえた(気がした)日だったんです。
こうして、ここに記すのに何の意味があるのか?
私は、この秘密を一生誰にも打ち明けずに墓場まで持っていく気でいました。
それが、2020/9/20の初投稿
を機に、このnoteを綴る中で、衝動的にカミングアウト。
これが、一つの大きな転機だったように思います。
そこから2年近くかかってしまったけれど、
こうしてまた一歩踏み出せたのは、
noteの存在も大きいなって。
そして、どこかで
当時の私のように怖れから誰かにつけこまれてしまっていたり、
同じように過ちを犯した自分を責め続け苦しんでいる人が、
何か一歩、いや、半歩踏み出すキッカケになれたら…
そんな、淡い願いもこめて、ここに記しました。