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[連載小説]それまでのすべて、報われて、夜中に「第二話:ビフォア・ミッドナイト」

【連載小説】「それまでのすべて、報われて、夜中に」
 中高男子校の六年間と浪人生活ですっかり女性との距離感を見失ったボクが就職活動中に偶然出会った理想の女性、麻衣子。ことごとく打ち手をミスるカルチャー好きボンクラ男子と三蔵法師のごとくボクを手のひらで転がす恋愛上級女子という二人の関係はありがちな片思いで終わると思いきや、出会いから十年に渡る大河ドラマへと展開していく―― 著者の「私小説的」恋愛小説。
<毎週木曜更新予定>

第一話から読む

第二話 ビフォア・ミッドナイト

 昨年の秋、定年退職後に受けた健康診断で父親が膵臓癌であることがわかった。その際、担当医から膵臓癌は治療が難しい癌であると聞いた。父には癌を告知した上で手術をすることになったが、いざ手術を始めると、身体を開いた時点で治療が不可能な状態まで癌が進行していることが分かり、処置をしないままに身体は閉じられた。ボクらは父には手術が成功したと伝えることに決めた。一時的に退院した後は、家族全員で伊勢神宮や草津温泉へ度々旅行し、家族の時間を過ごした。その後、さらに癌が進行した父は大きな病院の個室に再度入院した。母は毎日病院へ通った。学生で時間に余裕があったボクも、頻繁に父を訪問した。

 その日も夜遅い時間まで母と共に父の病室にいた。

 静かな時間が流れる中、病室にいるボクのケータイのバイブが振動した。着信窓には「江波麻衣子」と表示されていた。説明会をすっぽかされてから一ヶ月過ぎ、すっかり彼女のことは忘れていたので少し驚きつつも、そっと病室から廊下へ行き、電話に出た。

 「この前は本当ごめんね。あり得ないよね」
電話の向こうから、心底申し訳なさそうな声で謝られた。
「全然、大丈夫だよ。まあ、就活の出会いなんてそんなもんだよなって思ったよ」
ボクは半笑いであまり気にしてないという風に返した。実際にそれほど気にしていなかった。
「ホントごめんね。図々しいけど、もし良かったら今度改めてお茶でもできないかな?」

 本件は女の怖さ事例として処理済みだったので、この誘いには意表を突かれた。

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 一週間後、渋谷駅で待ち合わせした。説明会をすっぽかされた不信感はまだ頭の片隅にあったが、その後のメールでのやり取りでお茶だけでなく映画も観ようという話になり、これまで女子と映画を観に行くことなど無かったボクは少し高揚していた。

 麻衣子の私服は、大人の女性らしさの中にストリート的な遊び心をミックスしたような服装だった。バイト先の同学年の女子「長谷川さん」は、ワンピースとナイキのハイテクスニーカー『エアサイズミック』を組み合わせ、「ビョーク」みたいだとボクの中でのお洒落女子No.1の座に君臨していたが、その座を明け渡してもらわざるを得ないほどのお洒落上級者に見えた。

 駅のキヨスクで『ぴあ』を買い、麻衣子の提案でスペイン坂の手前にある喫茶店『人間関係』に入り、上映中の映画情報から観る映画を検討することにした。彼女は映画に詳しく、ページをめくる度に映画の話で盛り上がった。

「もはや話してる方が楽しいから今日は映画観なくてもいい気がしてきた」
と言う麻衣子の意見に、
「映画観てる時は話せないしね」
と賛同した。

 これまた麻衣子が行ったことがあるという、ポップなピンクの豚のキャラクターが店の看板に描かれた道玄坂のダイニングレストランで食事をしながら、会話を続けることにした。ジントニックを飲んで緊張の糸が緩んだボクは思い付くままにカルチャートークを麻衣子に浴びせた。体質的に酒に弱いという彼女は、カルーアミルクを一口飲んだだけで、頬が紅潮しているのがわかった。

「この前、『メメント』って記憶が十分しか保てない男が主人公の映画を観たよ。時間の流れが逆行する構成が斬新」
「クリストファー・ノーラン監督ね。デビュー作の『フォロイング』って作品も好き。見知らぬ人を尾行する作家志望の男の映画なの」
「あっ、それ町山さんが紹介しているの読んだかも。VHS借りよう」

「高校生の頃、ボアダムズとか暴力温泉芸者とか聴くようになって、自分で風呂に小銭投げ込む音とか録音してた。ノイズミュージックと称して(笑)」
「中原さんはこの前、ロフトプラスワンで吉田豪と一緒に出てて、友達がファンで一緒に写真撮ってもらったよ!」
「ヤバいね!それ、羨ましい!オレ、映画評もムッチャ読んでるよ!」

「ナンシー関の文章が大好きで本は全部読んでたから、この前亡くなったのスゲーショックで」
「ねー、アタシもショックだった。天才だよね。中山秀征論とか最高」
「つーか、ナンシー関の話を誰かとするのとか初めてかも」

「深夜にフジでやってる『はねるのトビラ』って観てる?」
「観てる観てる!」
「ドランクドラゴン塚地とロバート秋山のアキバ系オタクのコント、超ウケるよね」
「MUGA様とオータムSANでしょ?アタシ、好きな男のタイプ、ロバート秋山とみうらじゅんだもん(笑)」
「総集編のVHS買ったから、今度貸すよ!」

 ボクの出す話題を次々と打ち返す麻衣子。会話はドライブした。

 帰り際、麻衣子の提案でTSUTAYAに寄り、ビデオの棚を見ながら逐一、二人でコメントしながら歩いた。

「あっ、『ゴースト・ワールド』レンタルなったんだ!これスティーブ・ブシェミ出てる奴。ブシェミ大好きで」
「『レザボア・ドッグス』のミスター・ピンク最高だったよね!クセ者顔!」

 麻衣子は『ゴースト・ワールド』のパッケージからVHSテープが入ったケースを抜き取るとレジへ向かった。麻衣子の後ろ姿を眺めながらボクも今度借りに来ようと思った。

 渋谷駅で麻衣子と別れ、混雑する山手線に揺られながら、これまで男友達ともすることが無かったサブカルトークができる女子がいることに大きな衝撃を受けていた。

 小学生の頃は、クラスのひょうきん者的なポジションで、女子とも普通にコミュニケーションしていた。バレンタインだってもらった。しかし、中高六年間の男子校と一年間の浪人生活ですっかり女子と疎遠になり、異性として過剰に意識する余り、自然に話ができなくなっていた。大学生になってからも、女性とのコミニケーションはバイト先のファミレスやコンビニ、カフェくらいだった。唯一、大学を通じて申し込んだLAへの短期留学で女子学生達と同じ時間を過ごすことがあった。その際は、ちょっと優しくされただけでその子を好きになった。当時、女子に求める条件は何もなかった。今思えばどこが良かったかもわからないような子に恋い焦がれたりしていた。女子に女子である以外の要素を求めていなかったのだ。

 麻衣子のようにカルチャーにも詳しい女子は、世の中に存在することは認識していた。勇気を出して二年生の時に新歓コンパだけ参加した音楽サークルで、そういう女子を目撃したこともあった。ただ、そんな子と自分が仲良くなれるとさ想像できなかった。

 とっくに説明会をすっぽかされたことを忘れ、突然現れた理想の女子に心を持ってかれていた。父の病気や先が見えない就職活動で気持ちが沈む毎日に一筋の光が射した。

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Photo by Yanpacheeno

次回「第三話 キッズ・リターンができなくて」は 11月12日(木)更新予定


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