見出し画像

[連載小説]それまでのすべて、報われて、夜中に「第四十三話:ハサミの手を持つ男」

 中高男子校の六年間と浪人生活ですっかり女性との距離感を見失ったボクが就職活動中に偶然出会った理想の女性、麻衣子。ことごとく打ち手をミスるカルチャー好きボンクラ男子と三蔵法師のごとくボクを手のひらで転がす恋愛上級女子という二人の関係はありがちな片思いで終わると思いきや、出会いから十年に渡る大河ドラマへと展開していく―― 著者の「私小説的」恋愛小説。
<毎週木曜更新予定>

第一話から読む前回の話を読む

第四十三話:ハサミの手を持つ男

 改札を出るとそこは真っ白で無音の世界だった。降り続ける雪が駅前のシャッター商店街を覆っている。それは初めて見る景色だった。

 正午に上野駅から上越新幹線に乗り込んで越後湯沢へ、ローカル線に乗り換え、富山駅からほど近い駅まで延べ約三時間。越後湯沢へはフジロックで毎年来ているので慣れたものだが、ローカル線の車窓から北陸の厳しい冬景色を眺めているうちに、心寂しい気持ちになった。深く考えることを辞め、とりあえず麻衣子に会うことにしたのは軽率ではなかったか。

 麻衣子から教わった駅前に一つしかないビジネスホテルは、旅情の欠片も感じる余地を与えない無機質さだった。他に誰も客がいない受付でチェックインを済ませ、麻衣子に到着した旨をメールした。

 二十分後、黒いダウンジャケットに黒い長靴を履いた麻衣子がロビーに現れた。

「お待たせ、遠かったでしょ?」
「遠かった。そしてムチャクチャ寒いね」

 麻衣子は母親となった今でも昔と変わらず痩せているどころか、むしろ少しやつれて見えた。社会人になってからの不摂生の生活で、十キロ増量したボクとは対照的だった。

 軽く辺りを観光することにしたボクらは、麻衣子の運転する車で唯一の観光名所という大仏を観に行った。大仏にはさほど興味は持てなかったが、何気ない時間を一緒に過ごせるのが嬉しかった。こんな時間はいつ振りだろうか。しかしながら、これからボクらは決定的な会話を交わし、この時間が最後になる可能性は非常に高い。

 大仏を一通り見学し終わると、まだ十七時だというのに辺りはすっかり暗くなっていた。再び車に戻り、麻衣子が予約した海鮮居酒屋に向けて車を走らせた。

「今日、息子さんは大丈夫だった?」
「うん、親が見てくれるから」

 麻衣子に富山に行くと伝えた時、子供に会うかと確認されたが、今回は二人が良いと言って断った。子供に会うことには大きな意味があっただろうが、まだボクには覚悟ができていなかった。そして、久しぶり二人の時間を過ごすことを心から願っていた。

 ようやく二人でじっくり話ができる居酒屋の店内で、麻衣子の現状や心境について改めて話を聞いた。ただ、あまり踏み込んだところでは話が及ばなかった。人生の重要な局面に立つ麻衣子に対しては、こちらからも決定的な言葉を伝えない限り話は進まないのかもしれない。覚悟の無いまま富山を訪れたボクだったが、麻衣子はボクが来たことに何らかの期待をしているのだろうか、息子を預かった両親は何を想って娘を送り出したのか。

 一方で、ボクにはボクの目的があった。平岩に言われたように麻衣子と肉体関係となることで白黒はっきりする。はず。

 店を出たら、ホテルまで送ってもらって今日は別れることになるだろう。これまでプラトニックな関係を続けた二人、身体的な接触はボーリングのハイタッチくらいしか無かったような気がする。何か距離を縮めるきっかけが欲しかった。外に出たら手を繋ごう。運転で飲めない麻衣子を余所目に、三杯目のレモンサワーを飲み干した。

 店を出ると、二十一時だというのに真っ暗になっていた。辛うじて店の灯りで足元が見える。ここで行動に移ろう。そう思った矢先、足元に向けて何かの液体が噴射された。

「うわっ、何これ!」
「アハハ、消雪パイプだよ、ただの水だから」
「結構勢い強い!」

 消雪パイプは、雪で路面が凍結しないように道路上に仕掛けられた雪国特有の散水装置だ。激しく水を噴射するそれは、駐車場までの道のりに短い間隔で敷き詰められていた。バックスキンのブーツを履いたボクは、トラップを避けるマリオのごとく連続ジャンプして前に進んだ。長靴の麻衣子は平然と後ろを歩いている。手を繋ぐ間もなく車に辿り着いた。

 出鼻を折られたボクが落胆しているうちに駅前に到着。ホテル前に車を停める。

「今日はわざわざ来てくれてありがとう。大して見る場所も無くてごめんね」
「いや、全然いいよ。会えて良かった」

 再び雪が降り始めていた。二人以外の人気はない
。ボクが普段見ているアメリカ映画だったら、ここでキスして別れるのかもしれない。平岩の下品なアドバイスも頭をよぎった。

「明日もまた会えるかな?」
「昼ごろまでなら大丈夫」

 やっぱりこれがボクの限界。部屋に戻って、シャワーを浴びてベッドに潜り込む。パラレルワールドには存在したかもしれない二人で過ごす夜のことを妄想して、眠りにつけなかった。ボクは何しにここに来たのか。

次回、第四十四話は11月24日(木)更新


いいなと思ったら応援しよう!