[連載小説]それまでのすべて、報われて、夜中に「第四十話:ウルフ・オブ・明治通り」
第四十話 ウルフ・オブ・明治通り
築二年、コンクリート打ち放しマンションの一階、1DKの部屋は二十五平米と広くは無かったが、天井が広く開放感があった。そして、何よりこの部屋の目玉は、透明ガラス扉の風呂場の中央に鎮座している「猫足のバスタブ」だ。不動産屋の若い女性と一日中物件を回ってもしっくりこなかったが、最後に訪れたこの物件は希望条件に近かった。そして、「猫足パスタブ、これ絶対モテますよ!」という不動産屋女性の一言に「適当なこと言うなあ」と白けながらも、そんな軽いノリもたまには良いかと思い物件を決めた。三十過ぎてからの初一人暮らしだった。
実際に住み始めると、自動お湯はりも、追い炊きもできない、さらにはバスタブの下に汚れが溜まりやすい等の不便さはあったが、部屋を訪れた友人達は「一人暮らしの中年男性が猫足パスタブ!?」と面白がってくれ、記念に写真を撮って帰るなどネタになったので満足していた。駅前のFrancfrancで、シャンパンボトル状の容器に入った泡風呂の素を購入し、泡だらけの中に入ってみるなど悪ノリした。
猫足バスタブに限った話ではなくとも、ボクの部屋は来訪者から生活感が無いと言われた。
実家から持ち込んだDJ機材とレコードは、あるべき場所に来たとでも言わんばかりに部屋の中央で存在感を放った。引っ越し当初、コンクリ壁の防音性を過信して、深夜に大きめの音でDJをしたことがあった。翌朝、部屋のドアに若い女性が書いたと思しき丸文字で「次やったら、警察呼びます」という丸文字であまり書かれることがない内容のメモ書きが貼られていた。恐らく隣人と思われる丸文字の持ち主とはその後も顔を合わすことはなかったが、本当に申し訳ない気持ちになった。それ以来、無邪気にDJミキサーのボリュームを上げる来訪者には厳しく指導するようになった。
同じく実家から持って来た大量のDVD、CDや書籍は真新しい棚にずらりと並べた。来訪者が何気なくそれらを眺めている時、自分のセンスを試されるようで手に汗をかいた。まだ知り合って間もない女性に「この映画、好き!」と言われた日にはそれだけでちょっと好きになりそうになった。
部屋の目立つ壁には、雑誌『relax』やテイ・トウワのスウィート・ロボッツ・アゲインスト・ザ・マシーン名義のアルバムジャケットなどのアートワークで気になっていたKAWSのレプリカ作品を飾った。ケイト・モスとコラボしたKAWSの代表作の一つ。他にもジャッキー・シェフィンズが描いたトム・ヨークのポスターを額装して壁に立て掛けた。
部屋の奥には、IKEAのクイーンサイズのベッドが文字通り幅を効かせていた。友人から「彼女が出来た時のためにベッドは大きければ大きい方が良い」とアドバイスされたのを間に受けて、クイーンサイズを購入したものの、実際に二人で寝るには大き過ぎて、お互いに充分な距離を置いて寝ることが可能であるため、男女間でのハプニングが起きるには少し小さいくらいのベッドで良かったと後に後悔した。
自炊は全くしないため調理器具は少なかったが、たこ焼き器と土鍋は揃えてあった。家に人を招くことがとにかく楽しみだったのだ。その想いは、DJイベントで交友関係が広がったこともあり、想像以上に実現した。恵比寿という立地もアラサーの男女が遊びに来るには打って付けだった。
この日も、DJイベント以外でも頻繁に遊ぶようになった向井と、向井が招集した雑多な男女数名でホームパーティを開催した。ワインソムリエの資格取得を目指して勉強中というIT勤務の女性が、オススメのワインを事前に発注し、ボクの家に手配していた。料理も得意な彼女は、それぞれのワインとのマリアージュを考えた品々を振る舞ってくれた。メインディッシュは、白ワインに合わせ、土鍋を使った真鯛のアクアパッツァ。その本格的な仕上がりに自分の家で作られた料理とは思えなかった。
ホームパーティは終了。みんながテキパキと片付けてくれたお陰で、部屋に残されたボクが一人で後始末をする必要も無かった。UFOのような形をしたスピーカーにiPodを差し込み、レイ・ハラカミのアルバムを流した。無印の通称ダメになるクッションに身体を預ける。首に当たったコンクリ壁の冷んやりした感触が気持ちよい。さっきまで人で賑わっていた部屋に籠った余韻に一人で浸るのが好きになっていた。
部屋のどこかでスマホの着信音が鳴った。誰か忘れ物でもしただろうかと思いながら、スマホの画面を覗き込んだ。麻衣子からだった。週末の夜に麻衣子からの電話。予想外。予想外だが、予想外と思う感覚にもデジャヴ感もあった。
次回、第四十一話は10月21日(木)に公開予定。