見出し画像

村上春樹とアメリカ西海岸

 ノーベル文学賞の延長で村上春樹のことが話題になっており、SNSでは村上に関する思い入れや解釈が飛び交っている。『騎士団長殺し』あたりから村上春樹の小説はなんとなく追わなくなってしまったのだけど、このタイミングで村上春樹のことについて振り返っておきたい。
 以前、論文として発表したのだけど(「村上春樹の西海岸文脈——全共闘運動から『アフターダーク』へ」『村上春樹と二十一世紀』おうふう、2016.9)、個人的には、村上春樹は片岡義男のように、アメリカ西海岸カルチャーの影響がさまざまなかたちで流れている作家だと思う。その意味で村上に対しては、しばしば言われるような、記号化して歴史を無化した存在だとはまったく思わない。強いて言えば、従来とは違ったかたちで歴史を示した存在だと思う。以下、拙論「村上春樹の西海岸文脈」に依拠しながら述べていく。

『風の歌を聴け』とザ・ビーチ・ボーイズ

『風の歌を聴け』における、ウルフマン・ジャックを思わせるディスクジョッキー(考えてみれば、『風の歌を聴け』はアメグラ公開のほんの数年後なんですね)の「ON/OFF」の切り替えは印象的だが、アメリカの「新しいラディカル(new radicals)」と呼ばれる若者について調査・報告したアメリカの心理学者、ケネス・ケニストンが1968年に指摘しているように、自分の状態をエレクトロニックな比喩で言い始めたのはヒッピーだった。

最後に、すべての脱近代的青年には、反対もしているまさにその技術への嘲笑的ではあるが、しかしまた純粋な一体化がある。たとえば、ヒッピーは、自分および自分の内面状態に電子媒体(エレクトロニック・メディア)に由来する語彙をあてはめる。「スウィッチを入れる」「スウィッチを切る」「調整する」「調子を上げる」「心を鳴らす」などは、自己と電子機器との深い一体化を示唆するのである。

ケネス・ケニストン、庄司興吉訳『ヤング・ラディカルズ――青年と歴史』(みすず書房)

 ケニストンの報告によれば、「新しいラディカル」の本質は「自己変革」であり、そこでは「脱近代的行動様式」が指摘される。ケニストンによれば、「自己変革」への志向は例えば、ヒッピーによるドラッグの使用や精神修行などに表れる。
 ちなみに『風の歌を聴け』には、ディスクジョッキーが、ビーチ・ボーイズ「カリフォルニア・ガール」を「なつかしい曲だね」と言いながらプレイする場面があるが、ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンこそ、ドラッグによる「自己変革」を目指したひとりである。村上は『意味がなければスイングはない』(文藝春秋)において、そのビーチ・ボーイズについて、「おそろいのストライプ・シャツを着て、イノセントなサーフィン音楽をなんのてらいもなく歌っていたバンドは、その「水源」を致命的なまでに、汚染されてしまったのだ」と書いている。
 つまり、『風の歌を聴け』でディスクジョッキーがプレイした「カリフォルニア・ガールズ」の「なつかし」さは、「致命的」な「汚染」とともにある。ディスク・ジョッキーの「なつかしい曲だね」という言葉には、かつての爽やかさを失って、沈鬱な状態にあるビーチ・ボーイズの姿が暗示されている。その背後には、他ならぬドラッグの存在がある。

村上春樹と神秘主義

 ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンがドラッグに溺れた時期は、同時に、彼が神秘主義へと接近した時期でもある。ジム・フジーリは著書『ペット・サウンズ』(邦訳者は村上である)において、「一九六五年の夏の前に、ブライアンは初めてアシッド(LSD)を飲んだ。そしてマリリンに向かって、それは神様とのスピリチュアルな邂逅だったと述べた」と書いている。よく知られるように、ヒッピー的なカウンター・カルチャーはニューエイジ思想と接続される。ヒッピーと神秘主義を結び付けるのは、「脱近代」および《自己からの解放》の志向である。そして、それはそのまま、デビュー以来の村上作品に流れ込んでいる。『風の歌を聴け』に、「俺は黙って古墳を眺め、水面を渡る風に耳を澄ませた。その時に俺が感じた気持ちはね、とても言葉じゃ言えない。いや、気持ちなんてものじゃないね。まるですっぽりと包みこまれちまうような感覚さ。つまりね、蝉や蛙や蜘蛛や風、みんなが一体になって宇宙を流れていくんだ」というスピリチュアルな感覚が描かれたことは、見逃せない。
 ヒッピーにも多大な影響を与えた、作家のオルダス・ハクスリーは、ドラッグの幻覚作用と神秘体験を記録した『知覚の扉(The Doors of Perception)』(1954)において、次のように書いている。

宗教の言葉でいわゆる「此岸」といわれるものは言語によって表現され言語のために、いわば、石化した、減量された意識の宇宙のことなのである。さまざまにある「彼岸」というのは、〈遍在精神〉のものである全体性としての意識が擁するさまざまの要素にほかならず、人間とこれらの世界との接触は突拍子もない形でなされるのである。

オルダス・ハクスリー、河村錠一郎訳『知覚の扉』(平凡社ライブラリ)

 注目すべきは、ハクスリーが「此岸/彼岸」という構図を持ち出していることである。もちろんこれは、村上作品に頻繁に持ち出される「こちら側/あちら側」と同型である。どころか、直接的な参照元ではないかとすら思う。村上は、「こちら側」と「あちら側」が接触してしまうような物語をくり返し書いていたが、これは、ハクスリー的な幻覚作用/神秘体験との相似として捉えることができる。『羊をめぐる冒険』や『ダンス・ダンス・ダンス』、あるいは『スプートニクの恋人』や『1Q84』などにいたるまで、村上は「こちら側/あちら側」という二つの世界を描き続けていた。
 もちろん、二つの世界の描かれかたは作品によってさまざまなのだが、「こちら側/あちら側」という構図で描かれる世界は、村上の〈西海岸〉文脈を踏まえるならば、ドラッギーで神秘的な世界――すなわち、ハクスリー的な世界として捉えることができる。『多崎つくると彼の巡礼の年』(文藝春秋 13・4)には、唐突にオルダス・ハクスリーの名前が登場するが、本稿の立場からすれば、村上における外国文学の影響には、レイモンド・チャンドラーやカート・ヴォネガットらとともに、ハクスリーの名前を加えるべきである。
 なかでもハクスリー的世界観が先鋭的に描かれたのは、『ねじまき鳥クロニクル』だろう。『ねじまき鳥クロニクル』の第1部終盤、間宮中尉は「井戸」の底で、神秘的な体験をする。

私のからだそのものが溶けて液体になってそのままここに流れてしまいそうにさえ思いました。この見事な光の至福の中でなら死んでもいいと思いました。いや、死にたいとさえ私は思いました。そこにあるのは、今何かがここで見事にひとつになったという感覚でした。圧倒的なまでの一体感です。

「私」という主体が液状化して世界に漏れ出し、「ひとつになった」という感覚を得ること。これこそが、『知覚の扉』で描かれていた「遍在精神」の感覚に他ならない。例えば、『知覚の扉』における次のような描写は、自己が液体となって流れていくようなイメージを描いている点で、『ねじまき鳥クロニクル』における井戸の描写と類似的である。

水も洩らさぬ堅固さではもはやなくなったバルブから〈遍在精神〉が染み出てくると、生物体として不益なあらゆる種類のことが起こりはじめる。超感覚的な知覚が生じる場合もある。視覚美の世界を発見する人もある。裸の実在性、つまり所与の、概念化していない事象のもつ無限の価値と意味性が、その栄光が、見えてくるということもある。没自我の究極段階では〈総体(ルビ:すべて)〉が総体のものにある――〈総体〉が実際にすべての個々である――という「漠とした認識」が生まれる。私の判断では、これこそ有限な精神にとって「宇宙のすべてのところで生じることすべてを知覚する」極限であると思う。

 このようなドラッギーな神秘体験描写によって、『ねじまき鳥クロニクル』は、アメリカ西海岸的な《自己からの解放》および《いま・ここからの解放》の志向が示されている。先の「井戸」の場面をハイライトに置く安藤礼二は、神秘主義的な立場から、「表層的な「自我」を内側から語るのではなく、「自我」を掘り進み、いったんは「自我」を解体してしまうこと。そのことによって個別の生を超えた、深層にある真の「自我」に到達することができる。それは「世界」と等しいものなのだ」と述べている(安藤礼二「時間の消滅――村上春樹の三〇年」『臨時増刊 ユリイカ』2010・12)。
 この「真の「自我」に到達すること」こそ、かつて「新しいラディカル」が、「自己と電子機器との深い一体化」によって目指したものである。全共闘、ポピュラー音楽、ポストモダン、神秘主義――村上作品をめぐる数々の論点は、アメリカ西海岸という観点から有機的に結ばれるだろう。
 ちなみに、このような西海岸的な展開をいちばん直接的なかたちで取り入れているのが、『1Q84』である。「パラレル・ワールド」的な世界観を打ち出していることは言うに及ばず、なにより、作中の宗教団体「さきがけ」のありかたが、アメリカ西海岸文脈と親和性が高い。物語において「さきがけ」は、「一九七〇年前後の大学紛争」ののちに山梨で作られた、農業を中心としたコミューンを起源とする。これは、ヒッピーの志向そのものだ。このコミューンは、作中において「マルクシズムにのっとったゲリラ的な革命運動を希求し続けようとする過激な「武闘派」」と「資本主義の精神を否定し、土地とともに生きる自然な生活を追及しようとする比較的穏健な「コミューン派」」に内部分裂し、「コミューン派」のほうが「さきがけ」として存続していくのだが、注目すべきは、その「さきがけ」が存続するなかで「急速に宗教的な傾向を深め」ていくことである。
 政治運動からヒッピー的なコミューン、そして神秘思想へと至る「さきがけ」の歩みは完全に、《いま・ここからの解放》を目指すアメリカ西海岸文脈のなかにある。現実の人物で言えば、ビーチ・ボーイズのデニス・ウィルソンとも親交があり、カリフォルニアで疑似家族を営み、のちにカルト化したチャールズ・マンソンの歩みにも似ているか。
 さらに言えば、ヴェトナム反戦運動が終息した1970年代、アメリカ西海岸でマラソン・ブームが起こったことを踏まえれば、村上のマラソン趣味についても、西海岸文脈から考えることができるかもしれない。ライターの速水健朗は、次のように述べている。

ヨガ、菜食主義、瞑想、環境保護、そしてジョギングなどは、すべてヒッピー、カウンターカルチャーから生まれたものである。(…)まさに反体制運動が収束したアメリカを席巻したのは、ジョギングブームだった。これは主には、都市層、西海岸でのブームである。

速水健朗は『フード右翼とフード左翼』(朝日新書)

 身体に刺激を与えて《自己からの解放》を目指すマラソンは、ヨガや瞑想とともに、西海岸文化という側面を持っている。村上自身、マラソンをしているときの「意識」について、「僕は僕であって、そして僕ではない。そんな気がした。それはとても物静かな、しんとした心持ちだった。意識なんてそんなたいしたものではないのだ」(村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』文藝春秋)と述べているのは興味深い。

『アフターダーク』とカリフォルニアン・イデオロギー

 失敗作と言われ、いまだ正確には位置付けられていないと思われる『アフターダーク』は、村上におけるアメリカ西海岸文脈の21世紀的な展開として考えるべきだろう。西海岸文脈の21世紀的な展開とは、カリフォルニアン・イデオロギーである。1998年、リチャード・バーブルック&アンディ・キャメロンは、カリフォルニアン・イデオロギーという立場を紹介する。

この新たな教義は、サンフランシスコの文化的ボヘミアンとシリコン・ヴァレーのハイテク産業との奇怪な混合から発生した。雑誌、書籍、TV番組、ウェブ・サイト、ニュースグループ、ネット会議で広まったカリフォルニアン・イデオロギーは、ヒッピーたちの奔放な精神と、ヤッピーたちの企業的野心とをふしだらに結びつけている。対極にあるものがこのように融合したのは、新情報テクノロジーの解放能力が深く信仰されたためであった。

リチャード・バーブルック&アンディ・キャメロン、篠儀直子訳「カリフォルニアン・イデオロギー」(『10+1』INAX出版、98・5)

 キーワードはやはり「解放」である。アメリカ西海岸的な「解放」の志向は、21世紀においては、インターネットを中心とする情報技術によって開花する。カリフォルニアン・イデオロギーとは、情報技術によって《いま・ここからの解放》を目指す立場ということになろう。
 研究者の柴田勝二は、「一九六〇年代的な情念」の中心に全共闘運動を位置づけたうえで、『1973年のピンボール』を「一九六〇年代的な情念を、愛惜しつつ葬り去ることで、主人公が一九七〇年代の〈現在〉における自己の生を明確化しようとする物語」だとしつつ、「一九六〇年代的な情念」が失われる時代について「マイクロソフト社やアップル社が急速な発展を遂げ、その製品であるソフトウェアを搭載したパーソナル・コンピューターが普及し始めた時代」と説明している(柴田勝二「中上健次と村上春樹(2)〈動物〉を殺す話――『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』と六〇年代」『敍説』2007・8)。
 しかし、「一九六〇年代的」なものの中心をアメリカ西海岸性を置いたとき、それは「パーソナル・コンピューターが普及し始めた時代」においても、依然として続いていることになる。いや、それどころか、カリフォルニアン・イデオロギー的な立場からすれば、情報技術が発達した現代こそ「一九六〇年代的」なものが徹底した時代だ、とすら言える。その意味では、柴田の指摘は間違っている。そして『アフターダーク』は、まさにそういう発想のもとに書かれている。
『アフターダーク』の時代的な先駆性は、「鳥瞰的・超越的な視点」(大澤真幸)や「監視カメラ的な視点」(中島一夫)などとも言われる、印象的な語りの視点にある。この語りの視点については、グーグル・マップやグーグル・ストリート・ヴューとの類似が指摘されている。大げさに言えば、『アフターダーク』はグーグル・ストリート・ヴューを予見していた、ということになるが、とはいえ、この指摘は無根拠ではない。村上自身、この語りの窃視的な性格について、「そういうのはインターネット的なネットワーク感覚に通じるところがあるようにも思います」と述べている(村上春樹『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹インタビュー集 1997-2009』文藝春秋)。
 ここで重要なことは、「世界中の情報を体系化し、どこからでもアクセス可能で有益なものにする」というグーグルの創業理念が、まさにカリフォルニアン・イデオロギーというアメリカ西海岸文脈にあることである。「世界中の情報」を視覚的な面で網羅したグーグル・アースも、当然のことながらグーグルの創業理念の延長にある。したがって、〈自己からの解放〉を描き続けた村上の試みとグーグルの試みが、はからずも似たものになるという事態には、それなりの必然性がある。〈自己からの解放〉および〈いま・ここからの解放〉を志向する両者は、ともに、「遍在」的な視点とでも言うべきものを体現しようとしているのだ。
 このように『アフターダーク』における実験的な語りは、村上におけるアメリカ西海岸性の新しいかたちとして捉えるべきである。ほぼ全編にわたって《自己からの解放》および《いま・ここからの解放》的な発想を語る「私たち」とは、村上にけるアメリカ西海岸的な発想が、語り手の水準で反映されたものである。
 語り手だけではない。音楽について「共有的な状態を生み出すこと」と語り、マリに「僕ら自身の中にあっち側がすでに忍び込んできているのに、そのことに気づいていないだけなのかもしれない」と話す高橋。「自分という存在を、可能な限り背景に溶け込ませ」ようとする白川。エリの「意識」が「どこかできっと私自身の流れと混じり合っているはずだ」と感じるマリ。『アフターダーク』の作中人物たちは、少なからず〈自己からの解放〉を志向する。とくに、ヨガをたしなみ、翌日の「ネット会議」のためにコンピュータのプログラムを修復し、「マイクロソフトを買収する」という冗談を言う白川には、カリフォルニアン・イデオロギー、およびアメリカ西海岸的なモティーフが、かなり直接的に取り入れられている。

 以上のように「デタッチメントからコミットメントへ」といった側面とはまた別に、村上春樹には一貫してアメリカ西海岸文化の文脈にある。

いいなと思ったら応援しよう!