クッキーくださいな
私には昼も夜もなかった。
頭の中だけで無限に広がる横軸に、音楽、文学、恋、映画という様な縦軸が昼夜問わず差し込んで来るだけで、1日がいつまでも終わらなかったのだ。
好きな時に好きなことをし、着たいものだけを着て、食べたいものだけを食べ、言いたいことだけを好きな言葉だけ使ってめちゃくちゃに喋った。
そんなんだから、基本の衣食住は雑で、「それでいいし」と言っていたのは裏腹で。
仕事上の役得とでも言おうか、演奏家以外の様々な方にお会いする機会も多く、音楽事業以外の「私生活」にて所作も言葉も素晴らしい人にたくさんお会いしてきたが「ていねいな暮らし」の隣に座ると底を見られてしまう気がして肝が冷え愛想笑いを浮かべ自分がバレてしまわない様に逃げ出していた。
そんな私にも子供が産まれた。
小さくてゼロであり、この子は間違った私の全てに影響されてしまうと思い込んだ。これは以前の「化身」に書いたことがあるので読んでみて頂きたい。
子供という別人は強烈な縦軸である。
教えもしないのに朝に起き、夜に眠る。
ライブに連れて行くこともあるが、大きなドラムソロの途中であっても9時ごろに眠り、自分をリセットして充電している。
立派である。
そうして私の果てしない横軸に強制的に差し込みを入れて来る存在となった子供をどこか傍観しているうちに子供は一人でご飯を食べられる様になり、好き嫌いを話してくれる様になり、だいぶ接しやすくなって、また私の横軸は膨大に広がりつつあった。
この「横軸が広がってしまう」感覚は上手く表せないのだが、大袈裟に言えば芸術的には良い事でもあるのだろう。しかし端から見れば昼夜を失い自分だけの世界に入り込む変な人になる事でもある。本人的には悩んでいたり興奮していたり万能感に溢れているわけだが、こと深夜にそんな状態の人の頭の中がわかる第三者がいるわけでもない。この頃新プロジェクトについて考え実行しだしていた。
それから1年と経たないうちに新型コロナウイルスの流行があり、音楽活動の在り方は変化を求められ、予定していたプロジェクトの発表の方法も考える必要に迫られた。
そして何より子供である。
ようやく(私が)慣れて来た公園遊びや、これまでの子供のいなし方が通用しなくなり在宅での付き合いが始まった。
変な所に融通の効かない私は、「これが出来ませんよ。」とされてしまっては全てのペースが壊れ、お終いだ。ととても焦った。
とたんに市販のおやつを与えていた自分が嫌になり、怒る事ではないだけにそれを欲しがる子供への対応もわからなくなった。
そこでだ。
無意識に子持ちなら誰でもできると思い込んでいたお菓子作りをし始めた。
産まれて初めての試みである。
バターと砂糖を白くなるまで混ぜる理由も、わざわざ薄力粉をふるいにかける理由も、溶き卵は常温で少しずついれる理由も、道具もわからなかったので、ぼんぼんと材料を入れ、適当に思いっきり混ぜ、いたずらにオーブンに入れた。
するとどうだろう。なんと誰も寄り付かないクッキーが完成した。
一枚食べ切らないうちに、娘は「クッキーあるよ」というと逃げ出す様になっていた。
それから数回カッチカチのパウンドケーキなども作るうちに、材料を合体するまで混ぜ合わせる必要のあるもの、練るまで混ぜてはいけないもの。また、粉を振るわないという蛮行の実態。好みや子供のために引いても大丈夫な材料、同じ理由で米粉やふすま粉で代用できるもの。ほんの少しだけわかって来たのだ。
途中、材料が手に入り難いこともあり、もはや市販の方が安くてより素朴で美味しいお菓子があるに違いない、と思い、もう作るのを止めるんだろうと思った。
しかし、私は作りたくて作っている事に気付いた。
お菓子を作ったあとの有り余る充実感は他にあまり類を見ない快感だった。
ままごとをしている時、子供が急に「クッキーくださいな!」と言った時は嬉しかった。
それでもやっぱり娘が今一番好きなおやつは、製氷皿に薄めたジュースを入れ、尖った先をカットした爪楊枝を持ち手にするアイスなのだが。