矢野沙織

ジャズアルトサックスプレイヤー/コンポーザー コラムや日記や考察。 機嫌の取りづらいヴィンテージ楽器の操作と幼児の育児に奮闘中!よろしくお願いします。

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私なりに考える 「ジャズミュージシャンになるには」

ジャズが好きな人は、 「ジャズミュージシャンになるにはまずどうしたらいいだろうか。」と一度は考えたことがあるだろう。 他の人がジャズの景色をどう見ているかはわからないが、私は最初からいつもステージに立つ自分のことを客席から見ていた。 ごく自然にそこに立つと思い込んでいたのだ。 そのイメージの中では自分は完全な観客だ。 その観客がちっとも関係ないことを考えながら「矢野沙織の演奏」を聴いている空想をしていた。 演奏者の自分が主役なのではなく、 ひっそりと私のライブを見に来ている

    • 二度目の出産

       2020年は世界中のどの人にも印象的な年となった。  日本では「コロナ渦」と呼ばれだしたのが20年代の幕開けである。  既に音楽活動はしていたものの、00年代に女子高生だった私はミレニアル世代最強気分極まれりと、常時チュッパチャップスを口に入れ、一日中ブレードヘアの絡まりを気にしていた。そんな私ですら、1920年代の楽器を前に  「現在を00年代として、20年代はどうなっているかな。」と思いを馳せていた。 それは宇宙人の登場だ、とか、答えは1ドル紙幣の裏側にある、だのと話し

      • 一人っ子最後の夏

         今年は娘の一人っ子最後の夏であった。  沖縄に行こうとも、どこかテーマパークへたくさん連れて行こうとも思った。とにかくたくさん甘えさせ、これでもかというくらい遊びたいと思っていた。  しかし、こういう状況下でそれはできなくなり、とても残念に思ったが、無駄に可愛い水着を買い、それを着せて人混みを避けて毎週小さい川へ行ったり、ほんの少し水遊びのできる近所の公園へ行ったり。そして絵本でしか見たことのなかった憧れのコーンに乗ったアイスクリーム。真っ赤なかき氷。  私は留守番にて怠惰

        • 耳がいいわけではないんだな、これが。

           私は目の高さに電車が通る立地で18年間生活した。   それにうちには物心ついた頃からテレビがあったりなかったりした。   効かない大きなクーラーが一台あるだけで、「あり得ないくらい暑いだろ。」と子供心に思っていた。つまり夏場はおそらく常に窓が開いていたはずなのである。   でも私に電車の音は聞こえなかった。   きっと建物ごと揺れるくらいの距離だったに違いないのに、だ。   その癖、私は小さな頃から細かな生活音や気配の音が嫌いだ。生の食べ物が入り混じっているのスーパーマー

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        私なりに考える 「ジャズミュージシャンになるには」

          二度目の妊娠

           今年の時間の経ち方は皆平等にとても奇妙だったと思う。  もう下半期も甚だしいのだから。   当たり前のだった事ができないとなると窮屈に感じたり、また、極度の出不精の私でさえ「行っちゃダメです。」と言われるとオヨヨとなった。目に見えない脅威に対して行動を制限される、または「自粛しなさい。」と言われる曖昧さの怖さ。  妊娠に気付いたのは1月の末であった。   妊娠したことがわかった瞬間と言うのは特有の浮遊感に包まれる。夢みたいなのだ。  妊娠がわかりたての頃など、まだ子供は受

          二度目の妊娠

          第二子を授かって

           こんな時期に突如訪れてくれた女の子は私のお腹の中で日に日にあばれるくんとなり、なんだか楽しそうにしている気がする。  長女よりかなりよく動くのか、2回目だから胎動を感じやすいのかよくわからないが、今のところ彼女は既に「あばれるくん」である。  音楽の在り方やなんだと記事を書いて来たが、この時期の妊婦さんは大変である。  不要不急の外出はもちろん、外来もやんわりと止められるので、あんなに混んでいた産科には検診待ちの数人の妊婦さんしかいない。   毎回「また2時間待ちか〜。ひ

          第二子を授かって

          ママ友ってなに?

           疑問である。  元々友達の少ない私には尚のこと疑問である。  友がたまたま同時期に出産していたり、友がとっくに母親になっているのを知っていて子育てについて共有し笑う程度の事はあるが、それは元々「友」がママになっただけだから話しているのである。  でもその実、私だってママ友が欲しいと思っている。  公園で子供同士が自然とやり取りをするのを見るのは本当に楽しいし、娘だって小さいくせに、自分より小さな子が来れば何やら親切にしたりする素振りを見ていると「特に教えたわけじゃないのに

          ママ友ってなに?

          クッキーくださいな

          私には昼も夜もなかった。 頭の中だけで無限に広がる横軸に、音楽、文学、恋、映画という様な縦軸が昼夜問わず差し込んで来るだけで、1日がいつまでも終わらなかったのだ。 好きな時に好きなことをし、着たいものだけを着て、食べたいものだけを食べ、言いたいことだけを好きな言葉だけ使ってめちゃくちゃに喋った。 そんなんだから、基本の衣食住は雑で、「それでいいし」と言っていたのは裏腹で。 仕事上の役得とでも言おうか、演奏家以外の様々な方にお会いする機会も多く、音楽事業以外の「私生活」にて所作

          クッキーくださいな

          化身

          娘は2歳になり、私の子育て歴も2年が経ったことになる。 私も妹も出生時体重が4000グラムあり、覚悟はしていたが娘は予定より2週間も早く3400グラムで産まれてきてくれた。 それでも十分大きいが、前述通り私は産まれた時から今も大きいので、娘のサイズは産後ギリ母体が普通に立ち直れるサイズであった。 実母からも 「産むだけでなくあなたを育てるのは死ぬほど大変だった」としか聞いておらず戦々恐々としていたが、 それなりに大変なことはあったものの、 私にとっての娘の存在は、母始め周り