私なりに考える 「ジャズミュージシャンになるには」
ジャズが好きな人は、
「ジャズミュージシャンになるにはまずどうしたらいいだろうか。」と一度は考えたことがあるだろう。
他の人がジャズの景色をどう見ているかはわからないが、私は最初からいつもステージに立つ自分のことを客席から見ていた。
ごく自然にそこに立つと思い込んでいたのだ。
そのイメージの中では自分は完全な観客だ。
その観客がちっとも関係ないことを考えながら「矢野沙織の演奏」を聴いている空想をしていた。
演奏者の自分が主役なのではなく、
ひっそりと私のライブを見に来ている人が主役のイメージがあるのだ。
私の演奏を聴き、会場を出た途端に俯いて、電車に揺られ帰る人の側にこそロマンを感じている。
私にとっては誰かの風景になれるのが何よりの魅力だった。
と、このように、ジャズミュージシャンと一口に言っても志望動機はそれぞれだろう。
それでは、私なりに考える
「ジャズミュージシャンになるには」ということをお話していきたいと思う。
①ジャズとは
Wikipediaには「ジャズ(jazz)は、19世紀末から20世紀初頭にかけてアメリカ南部の都市を中心に派生した音楽ジャンル。」
とある。
アフリカから来たアメリカ人の魂である。黒人霊歌、ブルース、労働歌。そういったものが100年余りで急速に進化に進化を重ねて今に至ったと考える。
私の師匠であるJames・Moodyさんは、1925年に生まれ1947年からプロの世界に入った。所謂「ジャズ・レジェンド」だ。
彼から聞かされた差別の話には凄惨を極める内容が含まれていた。これはまた別の話なので私からの話としてゆくゆく後述していきたい。
彼の時代にはジャズマンはスーパースターだったのにも関わらずひどい差別があったのだ。
つまり、ジャズが発祥したほんの100年前にはどれほどの血の滴った音楽であったか、ということである。
この辺りを踏まえすぎると、悲しくて一音も出したくなくなるのだが、Moody先生の言葉を借りれば
「Jazzは文化で、より高度に発展してゆくべき。」であるので、できるだけたくさん昔の音源を聴くといいと思う。
ニューオリンズやメンフィスに足を運ぶのもいいだろう。
ある程度の様式美の中で、競争し、協調するのがジャズである。
②セッションとは
居合わせたミュージシャンで馴染みの曲を演奏することである。
とはいえ、街中でミュージシャンとは居合わせないし、自分の馴染みの曲と人の馴染みの曲は違うだろう。
私のアイドル、Charlie・Parkerを題材にしたクリンスト・イーストウッドの名作「Bird」では、紫煙でステージが見えないくらい混雑したジャズクラブでバックヤードには外にあふれでるほど大勢のミュージシャンが並び、ステージに立てるのを待っているシーンがある。
昔はそうしてしのぎを削ったのだろうが、今は違う。多分どこにもそんな光景はもうない。
そこでだ。
ニューヨークでも、東京でも、プロがバックバンドをつとめてくれて、こちらの馴染みの曲に合わせて演奏してくれるスタイルのセッションがたくさんある。
「そんなの昔と違うじゃないか。」と思うかも知れないが、行ってみるといい。めちゃに緊張する。そして嬉しい。
しかも一曲しかできなくたって行ったらいいのだからかなり楽しいのだ。その一曲を何回やったっていいだろうと思う。
私は小学生の頃、Mr.PC(John・Coltraneのアイコニックでシンプルなブルースの曲)しかできないのに御茶ノ水にある名店「NARU」へ行き褒められたことが未だに大きな力となっている。その時のセッションホストは大坂昌彦さんだった。
小学生相手に大いに喜び本気で対応してくれたのをよく覚えている。
自分が大きな音になると、他のミュージシャンも大きな音になる。
ただそれだけのことだが、
人との音楽言語での初めての会話がセッションである。
③楽器選び
私はアルトサックスしか演奏しないので、言えることはそれだけになってしまうが、
「楽器なんてなんでもいいのである」系の弘法大師のような言葉も、地味に20万円くらいの楽器セットで攻めてくるオススメマンにも耳を傾けなくてよいと思う。
まず中古でよい。
それを何本も何本も試奏して、
1番吹きやすかったと感じたものにすること。
あとは予算だが、こればかりは個人の都合なのでなんとも言えない。
ただ、全くの初心者がバカ高い楽器を買ってはいけない。
バカ高いの基準は80万円以上だと個人的には思う。
かなり高いは60万円くらい。
私が最初に買ったのは中古7万円のヤナギサワ。名器であった。
今の使用楽器はConn 26Mだ。
言っておくがConnはクラシックカーのように言うことを聞かない。
正直何度か本番中に出なくなる音があったほどだ。
私が購入した頃は手頃であったが、こちらも高騰が続いているので早く欲しくなってしまいがちだが、一度落ち着いて頂きたいところである。
Connが何より吹きやすい人がいれば別だが、恐らく最初の楽器には向かない。
④音楽大学に行くべきか?
行くべきだと思う。
私は中学2年から仕事をし、高校1年でCDデビューをした。
知らないことだらけでも芸能の仕事はできてしまう。
また、知らないから良いということがあるのも間違いはない。
現に14歳でライブ活動を始めていなければ、21歳の録音で「Gloomy Sunday」を録ろうと思わなかったと思う。
三島由紀夫は生前似た問いに対し
「大学とは精神病院のようなもの。」
と答えたと言われている。
18~22歳は大人になったばかりの新芽である。
その頃の感性の暴走は様々な危険を孕むと今になって思う。
たまたまその頃前述の「Gloomy Sunday」に暴走の捌け口を見付けたから運が良かった。
私はこれまで
「有り余った音楽の才能」を録音してきたのではなく、
「その時に演奏可能だった音」を全て出し切って来たに過ぎない。余りは全くない。
「だから良いんだよ」と言って聴いて下さる方々の言葉は何よりの支えである。
しかし、これは私の場合は、だ。
音楽大学へ行けば、同じ年頃の志をを持った若者が目を輝かせ、高名な教授が教鞭を一振りすれば、すり鉢状の講堂には理論が溢れだし、学生はそれを透明な瓶に詰めるのだ。
それが4年も経てば瓶には美しい断層状の模様が見えるのだろう。
それが音楽理論というのだと思う。
その瓶は割れないし、盗まれることもないのだ。
だから、音楽大学には行った方がいい。という妄想が尽きない。
⑤ジャズミュージシャンとは
音楽家どころか、音楽の在り方、音楽の価値の付け方、その全てが一握で変わろうとしている。
誰でも机上で情報を発信でき、またそれを資金にできる可能性を持っている。
それはもはやある意味では完璧な「プロ」だ。
生身の人間との接触を必要とせず全てを一人でこなし、バーチャル世界に君臨する誰も顔すら知らないジャズミュージシャンが当たり前に出てくるかもしれない。
それでいいのだ。
旧来の生き方にはこういうこともあったんだよ、面白かったんだよと伝えられれば、きっとジャズの名曲、手法は未来に残るだろうと思う。
現に、今は亡きたくさんの人が気分良く「そのむかし」の話をするのを身を乗り出して聞いたものだ。
未来のことよりわからない夢の世界がその口話の中にはしかと存在し、私は無意識にそれを継承しているだろう。
有形無形、どちらとも言えない「音楽」はこれから爆発的に進化するのだ。
ジャズ部門もひるんではいけない。
どうかたくさんの人にジャズミュージシャンになってもらいたいと思う。
後書き
ジャズの歴史は長い、偉大だ、という考えは大事だと思う。尊重しなければならないし、音楽や演奏家に対する博識は素晴らしい趣味だと思う。
ただ、私は家族も含めても対、人のことはそんなに詳しくは知らないし、わからない。
だから「◯◯年の誰々の演奏も知らないの?」という説教は聞かなくてよい。知りません、でよい。
今はすぐに動画が出るので一緒に視聴してコミュニケーションになるかもしれないが、基本的に博識は単なる趣味だから。
趣味を押し付けて嫌われるのは恋人くらいにしておいた方がいいと思う。
そしてたまに聞く。
「オスカー・ピーターソンを知らないで上原ひろみになりたがる生徒がいて参る。」と。
正直な所、何が悪いのかわからなくて私は閉口する。
奴隷船の時代、南北戦争の時代、世界対戦の時代、ベトナム戦争の時代。
世界の移り変わり、歴史の裏側の普通の人々の暮らし。
私はそれに子供の頃から厭になるくらいに興味がある。
知っては泣き、知っては泣き、今でも忙しい。
だから確かに知っていることもあるが、仮に過去の歴史を知らない人が今後の平和を願ったらいけないのだろうか。
オスカー・ピーターソンを知らないでも上原さんに熱を上げること。素晴らしくないか?と思う。
だってそれは、何も知らなくても上原さんから遠い昔の人種も性別も違うオスカー・ピーターソンを感じている何よりの証拠なのだから。
矢野沙織 YOUTUBEチャンネル
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