一人っ子最後の夏
今年は娘の一人っ子最後の夏であった。
沖縄に行こうとも、どこかテーマパークへたくさん連れて行こうとも思った。とにかくたくさん甘えさせ、これでもかというくらい遊びたいと思っていた。
しかし、こういう状況下でそれはできなくなり、とても残念に思ったが、無駄に可愛い水着を買い、それを着せて人混みを避けて毎週小さい川へ行ったり、ほんの少し水遊びのできる近所の公園へ行ったり。そして絵本でしか見たことのなかった憧れのコーンに乗ったアイスクリーム。真っ赤なかき氷。
私は留守番にて怠惰を極めたが、初めておじいちゃんの家へお泊まりもした。本物の冷たくて綺麗な川に入って、手持ちの花火をした。お祭りなんかどこもやっていなかったけど甚平を着せてもらった。近所にいた親戚のお姉さんも来てくれたと言う。
予約少人数制を取るプールにも初めて行った。
お父さんお母さんおじいちゃん親戚のお姉さんの独り占め。
ただそれだけで、娘の小規模な夏は過ぎてゆき、去年よりずっと陽に焼けた。通りすがりの方でも、誰でも、無条件に娘を愛してくれるのを見るのは幸せでしかなかった。
私も言われたこともないし自覚もないが「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい。」の類いは納得がいかないので娘にも必要な場面が来るまで言わない事としていた。
昔から、性格的におそらく妹の方がずっと我慢していると思うのは申し訳ない限りであるが。
そんなわけで、娘には赤ちゃんが産まれることも、ごくたまーに伝える程度であった。
比較的に表情や動作の割りに意外に言葉が早くはない娘は、理解しているのかしていないのかよくわからないが、それを聞いた娘は自分が赤ちゃんになり切って、娘なりの無垢顔をキメ込み、手をグーにして横抱きされうっとりしていたりして、「もしやこの人、『赤ちゃんになって』と言われたのかと勘違いしているのか。」と笑ったが、そんな娘はある日を境にお腹に話し掛けるようになった。
上記の通り、特に「お姉ちゃんになるから、赤ちゃんに優しくね。」とは言っていないと思うが、お腹に話し掛ける娘の言葉はとても優しい。なんでも一緒にやろうと誘う言葉か「赤ちゃん、だーい好き」と言う。
いつか買ってもらったきり放置されがちだった赤ちゃん人形を出してきて、タオルで包んで所定の位置に置き、たまにハッと
「赤ちゃんば泣いとーよ!」と、ここだけはいつもなぜだか博多弁で叫び、駆け寄って「ごめね〜、だいじゅぶよ〜。心配な〜い〜よ!」とあやしている。不思議だ。8月に入ってそういう事が急に増えた。
試しに「なぜあなたは優しいの?」と聞くと、ぷいと背を向けて照れた。頬っぺたはにんまりと笑って輪郭からはみ出しているのが後ろから見えた。
思ったよりずっと大人っぽい反応であった。
もちろん二人目の子供の誕生は待ち遠しいが、これが永遠に続けばいいのに、と思える優しい、優しい。幸せな一瞬でもあった。
そして今日は試しに、
「緊急はっぴょーーーーー!!!」
と叫び、娘を召喚し、
「もうすぐ本物の赤ちゃんがうちに来ます!!」
と正式に発表してみた。
すると、やったー!やったよー!と一通り舞った後で、また娘はまだ赤ちゃんの面影を残す、私が勝手にこがねむしと呼んでいる動作でハンモックの中によじ登り、無垢顔になり手をグーにして赤ちゃんになり切ってうっとりしていた。
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