僕と母とお酒(亡き父を添えて)
4年前に事故で亡くなった父はお酒が大好きだった。長年マグロ漁師(船頭)として生きてきた職業柄なのか、豪快に飲んで酔えればいいというタイプで、引くほど味には無頓着だった。
味わい深さに定評のあるお酒を飲んでも「胃に入ってしまえば安酒と変わらない」と言い放ってしまう有様で、家では量販店で安売りされているリットル単位のパック酒を常備して、朝から飲んだくれていたし、移動するときもペットボトルに携帯していた。
一方で、母は全然お酒を飲まない人だった。家では船頭の妻としてお客さんをおもてなしすることに全振りしていたようだし、父と出かける時も母が運転役だったので全然お酒を飲まずに過ごしてきた。
それでいてお酒の情報を知るのは好きなようで、BSでやってる『吉田類の酒場放浪記』は毎週欠かさず観て、僕が帰省する度、こちらが求めてもいないのに放送内容がどんなだったかを熱弁してきていた。
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母にとって、事故で父を亡くしたショックはとても大きいものだったが、数年経ちそれも癒えてきた頃合いで、僕は母をお酒の場に連れて行くことを始めた。
まともに居酒屋で飲んだことのない母を、いろんなジャンルのお店に連れて行った。酒場放浪記に出てくるような赤ちょうちん系の居酒屋や、こだわりの日本酒が置いてあるお店などなど。
母は父と違って味の違いを楽しめる人なので、出てくるお酒や料理について僕と一緒に品評しながらお酒を飲む時間を楽しんでいた。メーカーによる生ビールの味わいの違い、日本酒の味わいの多様性などを実際に経験してはその気づきに喜んでいた。
そうやって母に経験を与えることが、僕にとっては母への親孝行のひとつになっている。
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おそらく僕は普通の人よりも母への親孝行の気持ちが強いと思う。というのも、僕は大学入学までは順調に親の期待に応えていたものの、就活をせずに卒業してその後フリーターやニートになってしまった過去がある。
色々あって28歳からは正社員として働き続けてそこそこちゃんとした現在があるけれども、僕がフラフラしていた間、母は何にも言わずに僕を見守っていてくれた。それが当時の僕には本当にありがたいことだった。(父はよく「もう一回医者を目指したっていいんだぞ」と圧をかけてきていた。そもそも一度も医者を目指したことなどなかったが)
30代になって落ち着いた頃に、母になぜあの時何も言わなかったのかを尋ねたら、「そういう時期もあなたにとって意味のある時間だと思ったからだよ」と言っていた。それを聞いて「ああ、この人のおかげで今の僕があるな」と改めて強く感じた。
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また、亡くなった父にとって、何よりも大切なものが母だった。本当に溺愛していて、仕事でちょっと休憩ができれば母に電話をかけてきて、一日10回以上は通話していた。そんなことをするのは他に川崎麻世・カイヤ夫妻くらいしか知らない(彼らはもう離婚してしまったが)。
仕事に精を出して一家を支えてくれた父がいたからこそ、僕は自分勝手にフラフラしたりすることができた。そんな亡き父に報いることができるとすれば、最愛の母を幸せにし続けてあげることだと思う。
もちろん、母にとっても最愛の人であった父が亡き世界は、在りし世界とは比べようもなく劣るものだと思うが、そんな世界でもできる限りの彩りを見せてあげたいのだ。
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そのためのひとつの大きな要素がお酒なわけである。たまたま僕がそれなりに詳しくて母も興味のある分野だから、それを活かしてこれからも色々なところに連れて行きたい。
オーセンティックなバー、お洒落なイタリアン、日本酒の酒造、ペアリングに特化したお店などなど。僕が知っている世界もそうだけど、僕すらしらない世界も一緒に経験できたらなと思う。
そして行く先々で母と笑い合いたい。「絶対お父さんにはこの良さはわからないよねぇ」と言って。
(おわり)