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誕生日が迫ると思い出す父との電話。
そのとき、私は荒んでいました。
ことごとくうまくいかない仕事のことで、人と話すことさえ疎ましく思っていました。
携帯電話がうるさく着信を知らせます。
「出たくないな」
そう思って無視することを決め込みましたが、こもるようなバイブレーションの音は、一向に止む気配がありません。
しつこいなぁ、と面倒くさくもディスプレイをのぞいてみると「実家」と表示されていました。
「親父か」
母であれば「母・携帯」。「実家」は父以外は使わない、いわゆる固定電話。滅多に自分からかけてこないのに。
正直、もっとも出たくない相手です。なぜか?
父は常日頃から、私の仕事を根掘り葉掘り聞いてくる。
若い頃、会社を経営していた父。その父にとって、我が子が独立して事業主となったことはとてもうれしい出来事だったようで、私自身も好調だったときは自慢気に仕事のことを話していました。
兄弟の中でも自分自身が父に一番似ていると思っていましたし、実際、話のウマもよく合っていました。でも、いまは、仕事のことには触れてはほしくない。仕事の話をすればするほど、みじめで、気持ちばかりが焦ってしまいます。それでも父からの着信は続きます。
「きっと出るまで何度もかけてきそうだな」
そう思って、受話器ボタンを押しました。
「いま大丈夫か?」
「うん」
「元気か?」
「まあ、なんとか」
「そっか」
「もうすぐ誕生日だな」
「ああ、そっか、うん」
そんな他愛もない会話が続きますが、おかしなことに仕事をうかがうような言葉は出てきません。私は少しだけ安堵して、惰性のように返事だけを繰り返していました。
と、会話が少し途絶えます。ほんの数秒の空白の後、父が静かに言いました。
「いまが耐えどきだぞ、焦るなよ」
そうして、自分が経営者だった頃、焦れば焦るほど悪い方に転がった話を手短に話します。ひとしきり話すと、また数秒の空白。そして一言。
「がんばれぃ」
父の癖。「れ」の後に小さな「ぃ」がつく独特の励ましの言葉。
「うん」
力ない返事しかできず、私は電話を切りました。
あの励ましの言葉の直前、数秒の空白。それを破るときの「が」の発音。なにか意を決したような、そんな感じがしていました。
そして、この電話が父との最後の会話になります。二ヵ月後に父は他界しました。
突然の報せを聞いて駆けつけた病室。すでに昏睡状態となり、病室の中には呼吸器の音だけが鳴り響きます。元々、脳梗塞と前立腺癌を患っていたので、近々こんな日が来るとは思っていましたが、まさかこんなに急にこの日が来るとは思ってもみませんでした。突然すぎるという私に向かって、母が静かに言いました。
「突然じゃなかったのよ」
母の話では、三ヶ月前からモルヒネの投与がはじまり、その作用で幻覚をみたり、深夜徘徊しようとしたり、朦朧とした意識で会話が成り立たないような、そんな壮絶な介護の日々が続いていたそうです。
「なんで報せなかったの」
私は母に問いました。
「お父さんが、けんじには報せるなって」
けんじが電話もしてこないのは、きっとうまくいってないからだ。あいつもきっと苦しんでる。だからそっとしておいてやれ。
「おれ、二ヶ月前に親父から電話もらったんだよ」
「ほんと? 私には電話するなっていっておいて、こっそり電話してたんだねぇ、ずるいねぇ」
おそらくすでに意識がないであろう父に向かって「ほら、けんじが来てくれましたよ」と語りかけます。そして、父に視線を向けたまま
「お父さんね、モルヒネで朦朧としてたけど、あんたの話するときだけはちゃんとはっきりしたんだよ」
その言葉を聞いた途端、胸が締めつけられ、堰を切ったように涙があふれました。泣くことが恥ずかしく、必死に止めようとしても止まることなく、どんどん、どんどん。いま思うと完全に子供に戻っていたような気がします。昔、父に叱られて泣きじゃくっていたあの頃のように、肩を震わせ、嗚咽がもれるほど泣きました。
なんでこっちから電話しなかったんだろう。
なんでもっと話さなかったんだろう。なんで。なんで。
ありがとうも言ってない。立ち直ってもいない。
立ち直って「親父が言うとおり、ほんと焦るとダメだね」って笑いながら答えたかった。
心配かけて、ごめん。
「あんたも意地張った、お父さんも意地張った、似た者親子だから、お父さんだって分かってくれてるよ」
父の手を握りながら母はそう言いました。その言葉にすごく救われたような気がしたけれど、それでも涙は止まりませんでした。
数日前、東京の空に虹がかかりました。大雨の後の虹。
そして、もう間もなく迎える誕生日。また今年も父のことを思い出しました。
今でも耳元に残っている「がんばれぃ」の声と一緒に。
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