なんでも頭で分かろうとする
わたしはこれまでの記事でも書いて来たように、「隣の人も異文化」と考えている人間で、自分とは違う考えに出会っても、そういう人もいるんだなと思うようにしている。違いを受け入れようと努力する。違いを受け入れないと、世界はよくならない。
ある人にぽつりと悩みを打ち明けた。そして答えを待たないうちに、「まぁ、そういう考えもあるのかなって、そういう人もいるのかなって、思ってます。」と、自衛のように付け加えた。
するとその人は、呆れた様子でこう言った。
「お前はなんでも頭で分かろうとする。それでお前の方ばっかり適応して。思ったこと言うとか、もっと素直になればいいのに。」
…なんとも、大人になるとは難しい。自分の素直な気持ちを優先することと、周りの人達との違いを受け入れることをなぜか天秤にかけていて、後者の方が大事なことなのだと思い込んでいた。それが、世界をよくする大人である、と。
でもそもそも、自分に素直になることと、違いを受け入れることとは、天秤にかけて計ることではなかったのだ。きっと、どちらも一緒に抱えておけることなのだろう。
これからは、あなたとの違いを受け入れながらも、あなたにもわたしとの違いを素直に主張するかもしれない。そうしたときに、あなたはどんな反応をするだろうか。その反応に対して、わたしはどんな感情を抱くのだろうか。言葉が往き来するだけでなく、こうして感情が交差する。コミニュケーションとは、相互に往き来してこそ成り立つのだろう。もしかすると、今までのように一方的に受信するそれは、コミニュケーションとは呼べなかったのかもしれない。そういう風に、認めてしまおう。
認めてしまうと、楽になれるんだな。そうやって、大人になっても日々わたしを新たに更新していく。大人って言葉に違和感を覚えながら、書いた文章でした。