月で生まれた芸術
学生時代を過ごした街へ久しぶりに出掛けた。電車とバスを乗り継いでの長旅だった。周りの街とは気温の差がある盆地の街。今日もこの街は少し涼しかった。夏はずいぶん暑く、冬はかなり冷える。だからわたしは、この街の秋が一番好きだ。風のにおいや肌で感じる街の温度に懐かしさを覚えながら、少し散歩をした。
なんとなくすぐに帰るのがもったいなく感じ、好きだったラーメン屋に寄って帰った。相変わらず混んでいて、相変わらず美味しかった。満足した頃にはすっかり辺りは暗くなっていた。
携帯の電池も切れてしまい、帰りのバスも電車もすることが無く、ぼうっと窓の外を眺めた。今日はやけに月が明るい。そう感じたのは普段月なんて眺めることがないからか?それとも、秋だから特別、月が美しく見えるのだろうか。
ある会社の社長さんが、月に行くらしい。
月を眺めながら、彼を乗せたロケットが周回する様子を想像した。はじめはその話に興味のなかった私も、「アーティストを連れて行くプロジェクト」だと知った途端に、興味が湧いた。
あの月にいったいどんなアーティストを連れて行くのだろう。そして、そのアーティスト達が宇宙空間で月を目の前にしたとして、宇宙船の「窓」や宇宙服のヘルメットの「窓」に切り取られた月を、自分達の目の前にあるものと認識することはできるのだろうか?脳はフィクションだと判断してしまわないのだろうか?本当に目の前にあることと、信じることはできるのだろうか。
まずそんなことが気になって、彼らがどんな創作活動をするのかどうかなんてうまく想像できない。
音楽家は無重力空間でピアノを弾くのだろうか?ギターがあれば作曲ができる?そもそも無重力空間で楽器は同じように振動するのだろうか。音楽家は、楽器がなくてもメロディーをつくれるものなのだろうか。
画家は無重力空間で筆をうまく操れるのだろうか?頭で描いた作品をそのままいつものように白いキャンバスの上に表現できるのだろうか?
この壮大なプロジェクトに、たくさんの疑問が浮かんできてワクワクする。こんな風に、世界中の人たちが、大人も子どもも関係なく、このプロジェクトの行く末に心躍らせているのだろうか。
ただひとつ心配なことがある。月でつくられたメロディーを嗜むセンスが、わたしにはあるだろうか?絵画を解釈する教養があるだろうか?
だからできれば、小説家やエッセイストを連れて行って欲しい。月で書かれた文章ならば、きっと楽しむことができるはずだ。
そういえば、今日は中秋の名月。やけに月が明るいのは、それが理由らしい。