経験したことがないことは、想像できない
この言葉は諦めの言葉だろうか?
経験したことがないことは、想像できないんだよね。大学時代、ベトナムをこよなく愛し、ベトナムの人たちのために奔走していた明るく美人な同級生が、言っていた言葉だ。
この言葉はずっとわたしの心の隅にいて、ふとした瞬間に頭に浮かんでくる。(心の隅から頭に浮かぶ、この表現はどうなのかしら。ともかく、わたしにいつも呼びかけてくる。)
わたしは戦争を経験したことがない。だが、わたしは広島の大学に通っていたため、原爆資料館は3度行ったことがあるし、平和記念式典にも参加したことがある。留学生たちと一緒に被爆体験を聞かせていただくという機会も得たし、はだしのゲンも何度か観た。そういえば、小学校の宿題で祖母にインタビューをしたこともある。たくさんの機会を得て、じゅうぶんに、戦争とはどんなものかを想像した。
こんな風に、経験していなくったって、想像できるのではないだろうか?
……ただ、どうだろう。祖母が女学生の頃に感じた恐怖、被爆体験を話してくださったおじいさんの苦しみ、どのように想像すれば良いのだろうか?どのくらい怖くて、どんな風に苦しくて、怖いって何と比べて怖いのって、苦しいって恋の苦しみとはどう違っていて。どうやって、想像するの?
実は、想像の仕方も、想像でしかないのだ。言葉遊びとかそういうのではなくて。経験したことがないことについて、当事者の感情の動きまで想像することはできないのだと思う。
これは、諦めでもあるし、悟りでもある。
誰かに100%わかってもらおうなんて満たされることのない欲望だ。そして、わたしが誰かのことを100%わかろうなんてのも、驕りだ。わたしとあなたの経験してきた人生はまるきり違うのだから。
ただ、それを諦めと取るか、悟りと取るか。
100%はわからないんです。けれど、あなたの苦しみを少し想像したい。想像してお役に立てることがあれば、役に立ちたい。だから、ちょっとだけ、ヒントをくれませんか?あなたの経験したことをもう少しだけ詳しく、教えてくれませんか?そのときにどんな風に心が動いたのか、想像させて欲しいんです。
想像できないということを悟っていれば、わかったつもりにならずに想像してあげようとする努力ができる。わかってもらえない苦しみや悲しみも、減る。
もちろん、経験したことがあれば想像できることもわかる。「あなたと同じような経験をしたからこそ、あなたの気持ち、想像できるんです。」そんな優しい言葉がかけられる。
経験したことがないことは、想像できない。
諦めとも悟りとも取れるこの言葉。心の隅に置いておけば、少しだけ周りに優しくできる気がしませんか?最後まで読んでくださったあなたの心の隅にも、この言葉が良いように棲みついてくれることを願って。