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日常に他者を排除しても、非日常に他者を求める

実家に帰ったとき、日記を見返していた。大学生の頃に、その日はこの一言だけ、書いていた。今も変わってないなぁ、悪い癖だ、そう思った。

ここまでで思考停止して、あーやんなっちゃう、と感じて「noteに書きたいことメモ」に一応書き留めて放置していたが、見返していた今日別の感情が湧いてきたので、書いてみる。

つまり、こういうこと。

広く浅い付き合いができないのだ。オンもオフもひっくるめて日常。その日常において、オンの自分が頑張って築いた他者との関係を、オフの自分が排除してしまうのだ。

オフの自分は滅多に自分から連絡を取らない。(わたしから連絡が来る人、よほどあなたのことが好きなんですよ。) 休みの日は大抵ひとり。好きでひとり。ひとりでコーヒーを飲みながら思案したり、書いてみたり。遊ぼう、飲み行こう、と言われるとオンのわたしがとりあえずいい顔をする。「行こう、ぜひ!」でも、それは社交辞令。日時を指定してもらえるとすごくありがたいなぁ。(ズケズケと踏み込んで来られるのは、むしろウェルカムですが。)

こんな感じで、日常において他者との関係が進展するということがあまりない。排除しているつもりはないが、そう表現してもいいだろう。プライベートの人間関係を広げることに努力ができないのだ。ただ、そんなわたしが非日常において他者を求めることがある。


非日常というのは、旅先や、街角。偶然1人で入ったお店での出会いなど。一期一会のような出会いに、強烈なインパクトを感じるときがある。そういうのが、日々ないだろうかと、楽しみにしながら生きている。しょせんそれは日常の中であり非日常ではないかもしれないが、予期せぬ出会い、偶然のようなものを求めている。

そういった矛盾した寂しがりやみたいなところが嫌で、なんで自分はこうなんだろうと、見て見ぬ振りをしたかった。だが、見て見ぬ振りはできなくて、当時はとりあえずこの矛盾を書き記した。


日記を読み返した時も、同様の気持ちだった。相変わらずこんな自分だ。嫌だ。

しかし、今は少し違う気持ちでこの性格と向き合っている。


(わたしから連絡が来る人、よほどあなたのことが好きなんですよ。)

独り言のようにあざとく呟いたこの一言。広く浅く連絡する体力もなければ、広く浅い関係性を発展させたいという気力もないわたしから湧き上がってくる、この人だけはとりあえずわたしから日時と場所を指定したい!社交辞令じゃなくて本当に会いたい!という強い気持ち。とはいってもおそらく一般的な人たちの人間関係とは基準が違って、毎週毎月、あるいは毎年会うわけではない人たちだけれど、わたしにとっては深くて特別な関係だ。この狭くて深い人間関係がわたしの人生を助けてくれているから、この性格も悪くないかなと思えたのだ。

もちろんあなたには、あいつからは年に一回しか連絡こないよ?それ浅いよ?と思われているかもしれないが、わたしの中では本当に特別な存在なのだ。


男女も年齢も関係なく、恋人とか友達とかいって関係に名前をつけるでもなく、大好きだと思える人たちがいる事がすごくありがたい。わたしの支えになっている。周りの人たちみたいにじょうずな人間関係は築けないけれど、これだけでじゅうぶんだ。

人間関係も十人十色で、もちろん、人脈が大事だと思う時もある。広く浅くができたら生きやすいかもしれない、と思う時もある。だが、わたしのなかのこの矛盾を引き受けて、こんな自分だからこそだいじな人を見つけられたということに気づけた。不器用だからこそ、だいじな人達がだいじに思えるのかも。


自分の嫌なところは多いけれど、ひとつひとつ認めていければ、自分を変えるよりも優しくて生きやすいかも、と思ったりもしました。もちろん、変わる努力もしなければなりませんがね。

#日記 #エッセイ #人間関係



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カナ
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