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できるできない、好き嫌い

あんまり好きじゃないけどできる。

好き嫌いではなく、できるできないで判断されるのが社会というものだ。あなたはこんなことが好きなんだね、素敵だね。そんなふうに言ってもらえるのは、小学生までだろうか。いい高校に入って、いい大学に入る。その過程で好き嫌いはあまり関係ない。そして強制的に好き嫌いに直面するのが就職活動だろう。しかし、好き嫌いで会社を選べるほど世の中は甘くないし、会社に入ってからも好き嫌いは関係ない。できるできないで評価されるのが、結局のところ。好きなものは趣味にとどめておく。週末に楽しむくらいが丁度いい。

それが良いか悪いか、そんなことはわたしには判断できない。それでいいように社会が回っているように見えるし、適合している人もいるだろう。ただ、わたし自身はそろそろ、そんな自分に見切りをつけなければいけないと思っている。


あんまり好きじゃないけどできることなんてきっと山ほどあったのだろう。できるを積み重ねて評価されて、果たしてそれでわたしは満たされただろうか?


最近は、好きだけれどできないことがある、という事実を無視できない。大人になるとはそういうものだ、と言い聞かせて、働くとはそういうことだという父の言葉を反芻する。


やりがいとは自分自身で見つけるもので、与えられるものではない。上司に褒められたり、社内の評価が上がったり、わたしは他者からの評価を得ることでやりがいを感じるわけではない。自分で考えて仕事ができる、自分のやりたいことを実現させられる、自分のアクションが数字につながる、自分が誰かの役に立っている、自分で自分を褒められると思ったときにやっと、やりがいを感じられる。

だからこそ、好きじゃないけどできるの積み重ねを、いつかやめなければならない。もちろん、「好きなことができる」で評価されるというのが理想なのだろう。だがわたしは、好きを仕事にしたいというわけではない。ただ、こんな世の中で人はいつ死ぬのかわからないことを改めて実感し、ただただ、中途半端な自分を一旦やめたくなった。生きているうちにやめたくなった。

それでやっぱり無理だった、となることもあるかもしれない。好きじゃないけどできることを積み重ねて生きた方が、楽だし幸せだし安全かもしれない。ただ、一旦やめてみたい。自分の価値は自分で決める。パクセロイが言っていた。

#エッセイ #日記

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カナ
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