自身の人生のミッション

ここ数ヶ月のドタバタで、人生のミッションを見つけた。明確にするために文章にしたい。

なお僕における「ミッション」とは….
ミッション= MISSION = 使命 = 何のために存在するか?何を成し遂げるか? = 存在意義= raison d’êtreである。
valeurd'existence ではない。

その上で書くと、僕のミッションは「 Compassionをもって 愛する人/尊敬する人のために時間を使う」だ。

人の時間は限られている。数値化した総量にして24時間、365日、80年。睡眠:仕事:私事= 8:8:8が一般的な割合。
この有限性しかない時間を何に使うか?僕は「愛する人/尊敬する人」のために使うと決めた。
「愛する人/尊敬する人」たちのために時間を使う。つまり「そうではない」物事、人への時間は無くしていくことにした。

まず「プライベートゾーン」に属する人を意図的に絞った。今までなんとなく、この人良いな、あの人良いなと考えていたが、「この人との時間を絶対に大切にするために」という強い意志のもとその他の人との時間は絞ることにした。

「時間を絞る」=時間当たりの密度を濃くするという意味でもある。言葉は難しい、一方では「時間を絞る」という切り口になるが、「それは時間を切り詰めるだけか?」と問われれば、「そうではない、時間当たりのコミュニケーションの密度を上げるだけだ」と答える。

形容的な言葉をまともに受け取ってはいけない。多角的に物事を見るということは専門性や学問的に多角的にみるというだけではない。
言葉によって表出される「その人の表現したい意味は何か?」と問い、「それはこういうことか?」と別の切り口で問うて表現したい意味の輪郭を明らかにしていくことが必要だ。

つまるところ僕のケースだと「この人との時間を絶対に大切にするために」という目的があり、「時間を絞る」を手段として使うということだ。この主張には隠された意味がある。すなわち「大切にしたい人で実際に会っている(時間を共にしている)」「時間は絞ってはいるが、会っている人」「全く会わない人」の3つの区分が隠れているということだ。
 
ごくごく初歩的な論理証明を使い、主張の前提条件を明らかにできるだけのロジカルシンキングを持っていると自負のある人であればら、上の3区分に気づいただろう。

論理ではなく表現にツッコミを入れるならば、「時間は絞っているが会っている 」は別の解釈ができる。条件処理してみよう。時間は有限である。google calenderを見れば明らかだ。もう一つ前提条件を入れる。「仕事や趣味などで可処分時間は限られている」。
さてこのような前提条件のもとで「時間は絞っているが会いたい人」はどのような意味に置き換えられるか。すなわち「時間はないがそれでも会いたい人」である。

堅苦しい言葉でつらつらと書いてきたが、僕が伝えたいのは程度こそあれ、会う人は「愛する人、尊敬する人」であるということだ。
時間はない。仕事や趣味で総量は削られている。命の残量は刻一刻と減っていく。時間はだんだんなくなっていく。最近死を何度も感じたため、なおのこと強く思うようになった。 だからこそ人との時間を大切にしたいと思っているのだ。それが「愛する人、尊敬する人」なら尚更だ。

なお僕にとって「愛する人」は「見返りを求めずに接する人」の意である。「尊敬する人」は字義通りである。いずれの人も年上年下など年齢は問わない。いずれの定義も日々を生きる中でアップデートされていっている。変わる可能性もある。だって人間だもの。

あと一点補足をするならば「ために」という形容表現がミッションの中にあるが、僕にとっての「ために」は「その人たちのためだけに時間を使う=自分の時間はない」という意味合いではない。

「 Compassionをもって」とう表現を前提に入れているのは上述した内容に類した理由のためだ。 Compassionとは何か。簡単に言えば思いやり。これについては別途機会を設けて説明したい。

以上が自身のミッションとは何かの紹介。そのミッションの説明である。

これによって仕事においては下記のような意思決定ができた。
・ミッションに合わない。つまりこの人と時間を共にしたいと思わない人と仕事をしない。
・ミッションにかなう人とは最低限の生活保障をしつつ、全力を尽くす。
・全方位、全力ではなく、WIill Can Mustのバランスを考えた上で、立ち位置役割報酬を明確化した上で全力を尽くす。
・全ての資本(人、物、金、情報)を合理的に用いる
・時単2万とそれに見合うバリュー厳守で働く。
・MTGは1H。企画/発想/親睦目的以外のMTGは事前調整でMTGの場で意思決定できるように手配しておく。
 事前調整とチャットで意思決定できるなら、MTGは廃する。意思決定できないMTGはそもそも手配しない。
・特定の状況下以外、特に社内においては言語的明瞭性と対話内容の理解度は担保しつつ、語句やスピードは相手に合わせない。
 自分の最速と最高の質でコミュニケーションをとる。

など

ミッションを絞り込み、揺るがぬ原理化することは仕事に影響を及ぼした無駄が減った。重要なことに絞って考えられるようになった。
まとめると「シンプル」になった。
原理原則という言葉を愛媛時代の経営者たちが仕切りに口にしていたことを思い出した。
原理原則に基づいて考えることはシンプルで良い。

以上である。

最後にどんな公理系にも論理的破綻があるというゲーデル、チャイティンを引用しつつ、我がミッションの落とし穴を指摘したい。
「社会的に良いかどうか、付き合う周りの人的に良いかどうかは考慮されていない」 
原理主義はシンプルで良いが、波及効果は他者にとって良いものかはわからない。少なくとも現時点では。
もし他者にとって良くないことが起こるときは、ミッションそのもの、ミッション以下の細かい行動指針などを見直そうと思う。

ミッション=存在のあり方。存在は常に揺れ動くものなのだから、変わってしかるべき。よって変化は許容する。
個人の生き方に生涯を通じた絶対的な指針などというものはないと、僕は思っている。