七転八倒

新年明けましておめでとうございます。
早速の報告にはなりますが、昨年、2108年12月より2ヶ月ほどお休みを頂いておりました。

唐突に休みを取ったため、しっかりとした引き継ぎができず、また事業立ち上げの重要な時期に各方面から抜けてしまうという失態。
関係各所には多大なるご迷惑をおかけしてしまい、本当に申し訳ありませんでした。。。

1月上旬を過ぎた頃から症状が徐々に治まってきたため、仕事関係の方には個別に状況と今後についてはご説明させていただきます。

さて、私が2ヶ月ほど休養を取った理由は「身体症症状」及び「うつ」になったからです。
原因は「キャパオーバー」….苦笑 担当の精神科医にもよくキャパオーバーになった人が診断される症状ですねぇ、と笑いながら言われました 笑

実は18年の5-6月頃から慢性的な疲労感や倦怠感に悩まされていました。9-10月頃から地図が読めなくなったり、予想外の出来事が起こると思考がストップしたりと認知機能が低下し始めたのを機に本格的に体調が悪くなり、10月の誕生日前後あたりに1週間ほど休みをとりました。なんとかなるかなと思ったのが判断ミス。なんとかならず、病院に駆け込んだ結果「身体症状症」、「うつ」と診断されたのでした。

おまけに首に感じていた違和感と痛みは良性腫瘍(未確定)が原因でした。と蓋を開けてみたら笑えない事態だったので、結果論ではありますが、今倒れてよかったのかもしれないと思ってます。

首のしこりについては「MRIで検査して、切除して病理診断かけて初めて診断名わかるからねぇ」と言われているため、少しだけ不安は残りますが、触診で緊急性が低いといっていたので、少し安心しています。そうは言っても首をひねると痛むので、早くバイバイしたいなぁと思う今日この頃です。

よくよく考えてみれば、1年半前は大阪の天六でたこ焼き食いながら子ども相手にプログラミングを教えていた身。なのに、あれよあれよという間に東京は渋谷のど真ん中に住みパラレルワークをし始めた。そんな急激な環境の変化も無意識に心身に負担をかけていた要因の1つだと感じています。

自分で手に負えるキャパ、責任、そして自由という言葉の重さが予想以上に重かったこと。倒れた今ではそう感じています。。。。

本当に関係各所にはご迷惑おかけいたしました。(し、現在進行形で迷惑かけています。。。)

さて、ここから先は「ぶっ倒れる」という言葉が比喩ではなく、現実として起こったことで、少々エモーショナルになったアラサーのとりとめもない駄文となりますので、興味のある方だけご賞味くださいませ。

▼2018年を振り返る

ん?なんで倒れたの?という背景を説明するために月ごとにざっと起こったことを挙げてみました。10月から12月上旬まではほぼ記憶がないのと、日課でつけてた日記すら書く余力が残っていな買ったため、10月〜12月に何が起こったかは、自分でもブラックボックスでわからないのですが 笑

昨年の1年を振り返るとざっとこんな感じ。

1月 プロダクト作り、顧客接点作りに勤しむ※
        ※当時起業していた
2月 春先にかけての資金不足、事業継続可否を問い直す
3月 起業した自社の役員辞任
4月 人材関連事業と教育系社団法人で理事就任
   営業コンサルタントという肩書きで個人で本格活動
5月 営業コンサル案件でプチ炎上  
   体調に違和感を感じ出す。
6月 案件大炎上。以降2ヶ月に渡りデスマーチ
   傍で人材関連新規事業が本格稼働 
7月 独立を模索し始める。
8月 設計事務所を円満退社、プロジェクト単位で関わることになる….
と思いきや喧嘩別れに。
9月 体調不良が本格化、疲労感、倦怠感が慢性化
   暖めていた大学改革関連プロジェクトが本格化
10月 1週間休養 睡眠障害が本格化
11月 完全にダウン
地図が読めなくなりやばいとなり、病院にかけこむ
    身体症状症、鬱と診断される
    19年1月より大学改新機構で営業/PMとして仕事が決定 
12月 2月頭まで休養を宣言
   首に良性腫瘍( 触診時、現在検査中)、診断次第で春先に摘出手術( ? )かも

キャパオーバーと一括りにしたくない。

2018年起こったことの字面だけ眺めてみると、「キャパも実力もないのに、お前いろいろやりすぎやん」という一言で刺してしまえば終わりそうなものですが、二ヶ月ほど冬眠してみて「まぁ、キャパ以外にも、やはり自分のパーソナリティや思考行動パターンも影響があるよな」って思いに至るわけです。

例えばこんな特性が影響したんだろうなあ、とも。

・協調性のなさ(BIG-FIVEを測定する短縮スケールの心理テストを高等教育向けに独占販売している関係で、自分で受けてみたら、この項目だけ極端に低かった 笑)
・攻撃されたと思ったら攻撃し返す思考パターン(当時の連れによく言われた)
・キャパオーバー時に自己正当化( 日記の内容を振り返っていて気づいた )
・関係性が深くなると、嫌われたくない、多分言葉を受け取ってもらえないという恐怖が先行して、思ったことを率直に言わなくなる。( これが今回自分を追い込んだクリティカルなポイントだと思ってます )
・罵声を浴びせられると完全に思考がストップ、相手を人として感じれなくなる( 小さい頃からあるある)
etc..

数え上げればきりがないけど、起こったことは様々。内容や関わる人も違うけれども、何度も繰り返す失敗のパターンがある。その原因がもし自分が築き上げてきたパーソナリティあるなら?繰り返す思考/言動/行動パターンにあるとするなら?

それに気づいたのがちょうど6-7月くらいだったかな。その時、自分が思ったことは、「あぁ、そうかこの課題はこれから四半世紀生きていく上で真剣にぶつからないといけない。一度親しい人に自分がどういう人間か聞いて内省しよう(当時の日記より)」でした。

気づいたら即改善!という余力がまだ残っていたので、僕の親に興味を持った案件先の社長に親と一緒にランチをして分析してもらったり、元カノにフィードバック求めたりと自分なりに改善の方向性を模索、解決行動を自分なりに模索。

それでも、都度繰り返される失敗。そんな自分に嫌気がさしはじめ、疲労感倦怠感もマックスのそんなある日、当時の連れとの会話で「発達障がいかもしれないね」という些細な会話の一言を耳に入れた瞬間。完全にメンタルが崩壊。翌日二度寝して起きたのちベッドから起き上がれなくなった。。。という経緯です。

連れの発言の意図は、自分の特性を受け止め、生かす方向性を模索した上で、前向きに進めば良いという意図があっての発言だったな、と今は思っています。ただ当時は心身ともに限界が来てたからか、そばで見守ってくれる連れの言葉すら信じれない状態にありました。

….そんなこんなで病院に駆け込み、冒頭の顛末に至った、という経緯です。

ともかくも2018年は七転八倒な日々を送っとりました。七転びどころか、十、二十と転びまくるしまつ。転ぶたびに同じ傷跡に直撃するもんだから、傷は深まるばかり。どうせ転ぶなら柔らかいとが良いよねーということで、ベッドに寝転がリ始めた11月中旬頃からは、枕を涙で濡らす毎日。

うーーん。辛かった。

部屋に引き篭り始めの当時は「辛い」という一言で収まりきらないくらいの悩みと不安を抱えていました。が、「人生はつらたん、ヤバたん、ハッピーターン」の繰り返し。次にきっとくるハッピーを信じ、それを掴み取るための準備期間として休養の2ヶ月を捉え、前向きに引きこもろうと言い聞かせていました。

ただでは起きあがらんぞという決意とともに。。。

そんなこんなで2ヶ月があっという間に立ち、今では2〜3月の復帰に向けて少しずつ仕事の予定を入れ始めています。首のしこりはまだ検査結果が出ていないので「完全回復!」とは言い難いですが、概ね元気で少しずつパフォーマンスも上がってきています。

今日に至るまで周囲の人たちには本当にお世話になりました。
実質個人事業主のような形で働く身としては周囲の方の支えなくして2ヶ月休むという決断すらとることができませんでした。

不安や鬱憤をぶつけたにも関わらずそれを受け止め全面的に支援してくれた親
休むことを了承し、困難なプロジェクトを引き継いでくれた自団体の役員陣
引きこもるなら暇だろうとNintendo Switchをくれた取引先のおいちゃん
自分も同じ病気になったからと声をかけ支援してくれた友人
自身のパーソナリティに悩んでいた自分にお前の強みはここだからそれに集中したらいいよと言ってくれた恩師(?)
もし復帰後に仕事に困ったらと年間での顧問契約書を郵送してくれるパートナー

あげればキリがないくらいの人に支えてもらったおかげで、今日の自分があると思っています。本当にありがとうございました。

しばらくはこの2ヶ月の間考えたこと、試したことはこれから何回かに分けて少しずつアウトプットしていきたいと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。