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★仏像展★伝教大師1200年大遠忌記念特別展「最澄と天台宗のすべて」in京博

コロナ禍で東京・深大寺の秘仏公開中止。そこで、この仏像展(正しくは特別展)があるのでウキウキしていたら、京都には来ないんかい・・。しょうがいないな・・50年に一度の法界寺秘仏が見られるので、見仏済みだが我慢しよう。寺では真正面ではなく横からしか見せてくれなかったし・・。
 東京、九州、京都で開催される特別展は、開催場所で展示物が違います。コロナ禍じゃなかったら全部行っていたかと思います。

変更履歴

▼公式HP

▼博物館:京都国立博物館

出展リスト

https://tsumugu.yomiuri.co.jp/saicho2021-2022/img/list_kyoto_220405.pdf

鑑賞ガイド

https://www.kyohaku.go.jp/jp/culture/fun/2022_saicho_guide_ja.pdf

▼仏像感想

 東京国立博物館、九州国立博物館、京都国立博物館の巡回展。歴史を軸に地域性を重視した展示に努めた展示会である。
 ラストが京博で、各博物館でCTスキャンで分かったことなどが、集約された展示にもなっていた。

 この手の展示は肖像画が多いのだが、最澄展は少ないのが特徴である。というのは、最澄自身の絵が少ないようです。。

 ということで京博は3階から1階に降りていく順路だが、仏像最優先!仏像に始まり仏像で終わる!べく1階→3階→2階→3階で回る。

 そして、京博も写真OKスポットやりだした。先にそちらを紹介して、仏像の感想です。


→長源寺@京都 薬師如来立像@重文

 京博の仏像ゾーン(1階)のトップバッターですね。衣文がYっており、奈良・室生寺、京都・神護寺などに多い、古刹の旧式薬師如来ですね。薬師如来の多くは坐像なんですけど、立像を複数展示しているのも、この展示会の見どころかも!
 この手の形が「天台系薬師」なんだそうな。ということで、天台系薬師を見比べ!!が見どころ
ですね。
 さて、延暦寺の根本中堂には、その昔は薬師如来立像が多く安置されていたそうで、その様式がこの長源寺の薬師如来なんだそうな。

天台系薬師
右手は肩まであげて親指と中指を結び、左手は曲げて掌を上にして全指を伸ばして前方にしている。

・788年に最澄は倒木で薬師如来を彫り、薬師堂に安置(後に根本中堂)
・823年に比叡山で初の授戒を薬師如来の前でする
・1205年に比叡山で火災。この時に最澄作の薬師が確認されている

本展示会の図録より

 さて、この寺は1400年代創建で浄土宗の寺なんだそうな。ということで、仏像は明治の廃仏毀釈などで荒廃した寺から来たと考えられている。

→聖護院@京都 智証大師坐像(円珍)@重文:

 この展示会の1か月前に寺に寄った時に、出張中です!と書かれていました。いや~待ちに待った感じですね。この仏像だけ光背が設けられていましたね!?
 見た瞬間に園城寺(三井寺)と同じだなと思った。それもそうで、園城寺の模刻とのこと。ただ、像内には円珍自筆の書、願文も収められており、仏師も良成とわかっている。

 京都以外では不動明王立像@重文も展示されたようですね。2022年4月1日は寺で見仏しました。
 ※私の旅行記3日目ですね。

 東京、九州では園城寺(三井寺)の智証大師坐像(円珍)@国宝が展示されたのですかね?園城寺唐院で黄不動とともに安置されていますよね。

 最も神聖な場所である大師堂と三重塔などを纏めて唐院という。太子堂は開祖である大師の遺命そのままに、唐院の奥深くの大師堂に厳重なる秘仏「智証大師坐像(御骨大師) 」と「智証大師坐像(中尊大師)@国宝」を安置している。「智証大師坐像(中尊大師)」は10月29日に開帳する。また、黄不動こと金色の「不動明王立像@重文」も安置されている。

私のNOTE 園城寺より

 しかし、この円珍の頭の形は誇張している!と思っていたのだが、図録では3体見比べると本当なのか・・。と思ってしまう。
 そして、園城寺から「円城寺境内古図@重文」が展示されていた。行ったことがある人は今の伽藍の配置と古図を見比べると面白いかと。

→興善寺@大阪 釈迦如来坐像@重文、薬師如来坐像@重文

 和歌山と大阪の境にある古刹で、向かって右から順に薬師如来坐像@重文、胎蔵界式大日如来坐像@重文、釈迦如来坐像@重文という珍しい3尊形式で安置している。その中から、薬師如来坐像と釈迦如来坐像が展示されていた。
 仏像の修復をしたようで、今回、展示されたようだが、定朝様式を感じる脇侍だなという印象だった。台座の状態はあまり良くなかったですね。
 まあ~この手の特別展の良いところは、新しい発見、行くのに勇気がいる寺、調査不足でスルーしていた仏像に出会えるのも特別展の良いところです。この仏像は大阪みさき町にあるようで、この寺は見落としていましたね・・。
 やはり「近つ飛鳥」の寺は恐るべし!そして、2022年に京博で「観心寺と金剛寺」展が開催される!(観心寺本尊は出さないようです・・)

→善水寺@滋賀 梵天・帝釈天@重文、文殊菩薩@重文

○梵天・帝釈天@重文
 滋賀の湖南を代表する寺の1つですね。紅葉などは狙い目!!湖南の仏像寺でもあるので、正直、梵天・帝釈天の印象は薄かった。
 今回の展示会で、延暦寺、仁和寺あたりに居そうな顔の仏像だなと思いつつ、瓜二つのこの脇侍こそTHE脇侍という感じがした。仏像は袈裟の袖が長く、衣文が素晴らしい!ただ、梵天と帝釈天は逆ではという専門家がいるようだ。

 今回、本尊・薬師如来坐像は展示されなかったが、御開帳で見仏していますね。結構、顔は梵天・帝釈天と似ています。
 このチーム善水寺仏像群(造語)は比叡山延暦寺の根本中堂の仏像チームを参考にしたとも言われているようですね。理由は、当初のラインナップが共通しているようで、天台宗だったからとのこと。

・兜跋毘沙門天立像(重文)
・持国天・増長天立像(重文)
・四天王立像(重文)
・薬師如来坐像(重文):本像の完成が正暦四年(993)であることが確認された貴重な像である。
・梵天・帝釈天立像(重文)
・不動明王坐像(重文)
・誕生釈迦仏立像(重文):非公開ですが毎年5月5日の花祭り潅仏会にあわせ1週間ほど公開
・阿弥陀如来立像

私の過去旅行記より

紅葉もオススメですね!

○文殊菩薩@重文
 京博では展示されなかったが、「聖僧文殊菩薩坐像@重文」です。この仏像は高僧の姿で、文殊菩薩の化身とする。

比叡山では根本中堂をはじめ、諸堂それぞれに奉安されていたことからも、天台宗としては大変重要な意味があるが、現在伝えられている僧形文殊像は極端に少なく、県内では唯一、国指定の尊像は、全国でも当山像を含め3例のみである。

善水寺HP

→法界寺@京都 薬師如来立像@重文

 延暦寺根本中堂には最澄作の薬師如来が安置され、七仏薬師としていたようだ、その姿(様式)になっているのが、この法界寺の薬師如来立像なのだそうな。

 50年に一度に御開扉する薬師如来立像はガラスケースに入れられていた。寺では、脇侍の日光・月光菩薩と薬師三尊を横から見仏した。今回の展示会では正面からなのだが、なかなか印象が違ってくるな~という感じだった。やはり、本来は正面から拝むようになっているんだと確信する。
 展示会でm右側からも見れるようになっており、横から見ると、また違う印象を感じる。数年前の御開帳時を思い出した。さらに、背後の切金模様がすばらしい!(って、拝観した時の印象も切金を絶賛しているな。)

 さて、今回の展示会に際して、東博で人間ドッグ(X線CTスキャン)をしたところ、像内に最澄ゆかりの薬師如来立像があり、それを3Dで模造を作った。それも展示されていた。すごい時代になったもんだ!
 で、この胎内薬師(造語)だが、元々、寺の日野氏の間では、最澄作であると言い伝えられており、そのことから、この薬師は延暦寺根本中堂のものであると記する古書もあるそうな。
 確かにこの寺ですが、平等院と同じ歴史があり、京都を代表する阿弥陀如来坐像@国宝があるんですよね。正直、薬師を初めて見た後に、本尊は薬師としているが、阿弥陀だろ!と思ったのを思い出した。何が言いたいかというと、元々は平等院と同じ時期に、有名仏師に定朝式阿弥陀を頼み本尊とし、延暦寺から薬師を何らかの理由で移動したときに薬師に変えたのでは?とも妄想してしまう。

 では、50年に一度の御開帳時の感想は次の通りです。(NOTEは2022年中にあげます。それまでは旅行記参照で。)

→延暦寺@滋賀 聖観音菩薩立像@重文、不動明王及び二童子坐像@重文

○聖観音立像
 横から見ると前のめりなんですよね。小さいお堂に安置されていたか、阿弥陀如来の脇侍だったのかなと思う。前者のお堂が小さいですが、参拝者と目が合う場所が近くなるので前のめりになるということ。後者の脇侍の場合は、早く迎えに行こうと、前のめりになっていることが多い。腰のくねりと若干、右足を少し前に出しているので脇侍かなと思った。

天台観音三尊形式(造語)
 図録によると、この仏像は横河中堂の仏像で本尊であり脇侍に毘沙門天と不動明王としているとのこと。
 円仁という僧が中国から帰国する時に海が荒れて大ピンチ!観音の化身・毘沙門天が現れて船を守ってので、帰国後に聖観音と毘沙門を安置する。その後、良源が不動明王を加えたそうな。
 この流れで天台宗の「観音+毘沙門+不動明王」三尊が広がったそうな。

本展示会の図録解説を要約

 平安時代作である。鎌倉時代になると木目が見れて、手の形が同じ聖観音といえば、大報恩寺と鞍馬寺の聖観音@重文ですね(仏師はどちらも運慶の息子・肥後定慶のようですがね)。

○不動明王及び二童子坐像
 躍動感と新しい様式へのチャレンジを感じた3尊。説明書きでは慶派としているが、どうなのだろうか・・。パッと見たときは江戸時代かな~と思ったのだが、鎌倉時代なんですよね。運慶ならやりそうか・・。13世紀とあったので、運慶三男・康弁ならやりそうな感じがする。

運慶三男・康弁
代表作は興福寺木造天燈鬼・龍燈鬼立像@国宝」ですね。
 興福寺HP
 NHK動画
教王護国寺(東寺)の「仁王・二天像」、興福寺北円堂の諸像を湛慶などと仕事をしている。

 特に脇侍の座り方が超マナーが悪く、電車でこの座り方をしていると注意されるかと思う!?ただ、童子独特のお腹ぽっこり感や足の指が上向きで立ち上がる姿を出しているなど、細部の仕事は凝っている。そう高野山の八大童子にもつながるなあ~と思った。

 比叡山の東塔の無動寺谷にある無動寺のもの。865年に創建した寺で、不動明王三尊(不動明王+セイタカ童子+コンガラ童子)とは別に、大威徳などチーム不動明王も揃っているようだ。
 図録で解説している方も不動明王三尊は運慶の息子・湛慶世代で、三尊以外はそれより後ろの世代だろうと推測している。なお、近年、湖東三山である金剛輪寺などから同仏師か、真似たものが出てきているそうな。真実は近いかも。

本展示会の図録要約

→明王院@滋賀 千手観音菩薩及び両脇侍立像@重文

 千手観音立像を中尊に不動明王と毘沙門天を脇侍にしている、いわゆる天台観音三尊形式(造語)である。
 脇侍は彩色が残っており煌びやかな時を妄想できる。毘沙門天は滋賀の湖東・湖北・湖南に居そうな毘沙門で愛嬌があり、宝塔を持たずに腰に手を当てる鞍馬寺式毘沙門天である。
 最後に、これ平安時代のものなんですよね~良い感じです。図録では円派かもと記されているが、年代によっては、まだ慶派、円派、院派が明確に分かれていないときかもしれないですね。

→耕三寺@広島 浄土曼荼羅刻出龕@重文

 有名なのは東寺の立体曼荼羅ですよね。この「浄土曼荼羅刻出龕」は縦横15cmほどのものに、すごく小さい仏像が浄土曼荼羅形式で現されている。もう、よくこんな小さい仏像彫ったな~としか言えない。。だって、目視じゃわからない大きさです。オペラグラスなど必須の1品です。

→等妙寺@愛媛 菩薩遊戯坐像(伝如意輪観音)★60年に一度の御開帳★

 今回の見どころの1つですね。なかなか愛媛まで足を運ぶこともないという意味でも(愛媛の方ごめんなさい)。
 さて、説明書きによると、「慶派の鎌倉時代の定慶の系統を感じる」とあったと記憶しているが、これは「肥後定慶」だよな?と思いつつ見仏(*1)。こちらの第一印象は、切金が残っているな~、面白いな~という印象で、小さいが存在感は大きく、これ神奈川の鎌倉仏像じゃん!と直感で思った。と同時に鎌倉の仏像もNOTEに残さないといけないなと同時に思う。。
 少し左下あたりから見上げる形でしゃがむと仏像と目が合う!見仏ベストポイントですね。

 60年に一度の秘仏で、寺では如意輪坐像として安置されているとも。立てた左膝に手を置き、右足は踏み下げで右手を台座についている形を「遊戯坐(ゆげざ)」というようで、これは初めて知った。中国で一時期に流行ったようで、この様式の仏像画は多いが仏像は唯一だそうな。

*1:図録では、自然な身のこなし、写実的などから大報恩寺の准胝観音観音、鞍馬寺の聖観音に似ており、定慶の作風に似ているとある。

本展示会の図録

→円教寺(圓教寺)@兵庫 慶快作「性空上人坐像@重文」

 性空上人坐像は鎌倉時代に焼失しているが、像内には納骨されていることがわかる。慶だ!と思いましたが慶ですね。逆ですな・・騙されないように!?って、慶快ってだれなんでしょうか・・。

 図録より解説します。
 性空は京の貴族の末裔で出家後は九州で山岳信仰を体現し、良源の弟子にもなったとの情報もあり、圓教寺に腰を下ろす。開山堂の仏像で、前述した円珍以上に頭の尖がりがハンパない・・。
 仏像には如来は如来のルールがあり、如来・菩薩・明王・天にもお決まりのお約束があるのだが、この上人もあるのかな?と疑ってしまうほど、尖がっているんだよな、頭の形も伝説も・・。その話は三千院の巻物に残っているそうな。やはり京都の貴族であり、門跡である三千院に伝承されているところに、育ちがよく偉い人だったんだなと思うと同時に、京都にも晩年戻ってきたとかいう話が出るかも?と妄想した。


→大山寺@鳥取 菩薩立像@重文、観音菩薩立像@重文

 延暦寺、吉野と並ぶ修験道のメッカの寺より、法隆寺など真の古刹に多い大陸系の影響を残す(日本式がまだ完成していない)金銅の菩薩たちである。関東の方は東博の法隆寺館の仏像たちといえば、イメージは沸くだろうか。
 この仏像たちは、法隆寺などから修験道(山伏)が持ち込んだのではないかと推測している。でも、出雲大社北側にある鰐淵寺(がくえんじ)にも金銅の仏像があるので、大陸との貿易で得たのもあるかと。

→浄土寺@愛媛 空也上人@重文

 教科書で見たことはあるかと思う、口から如来を6体出している空也上人。個人的にも京都・六波羅蜜寺だけかなと思っていたが、そうではなかったらしい。。
 六波羅蜜寺と比較すると、優しさを感じる仏様ですね。まあ~逆の言い方をすると、六波羅蜜寺を知っていると、さすが運慶の息子が作ると違うな!という感じでしょうか。なんか哀愁があるんですよね。

→金剛輪寺@滋賀 慈恵大師(良源)坐像@重文

 湖東三山の一角ですね。

▼仏像以外感想

→聖徳太子及び天台高僧像10幅「最澄@国宝」:兵庫 一乗寺

 最澄の特徴としては、その姿を描いたものが少ないというもの。ライバルの弘法大師こと空海はこれでもかというぐらい、仏像含めてあるのだが。。

→日吉大社神輿@重文

 装飾が素晴らしい神輿!2トン以上もあるのでなかなか出開帳されない逸品。

→中尊寺

 仏像は来なかったが、見ごたえのある宝物たちが1コーナーで設けられていました。しかし、金、金、金、黄金の国ジパング!!ってここじゃないか?と思うくらい金!!

▼天台宗の寺(仏像出してほしかった・・)

→園城寺(三井寺)@滋賀

→西教寺@滋賀

→石山寺@滋賀

→聖衆来迎寺@滋賀

→三千院@京都

→廬山寺@京都


▼京博以外で展示。図録より、見たかったな~仏像。

→寛永寺@東京 薬師三尊@重文

 寛永寺創建自体が東京に延暦寺を!というコンセプトだったよう。中尊の薬師如来立像@重文は滋賀・石津寺(せきしんじ)、脇侍の日光・月光菩薩立像は山形・立石寺から移されたようだ。確かに本尊と脇侍が、なんか違和感がを感じたのは別々にいたからか。
 ちなみに、本尊は最澄が彫った延暦寺根本中堂の薬師と同じ木からとか。(って、長谷寺式十一面観音も、同じ木から作ったという仏像が少なくとも3体はあるので、結構、疑っている。)

→永昌寺@滋賀 地蔵菩薩立像@重文

 唐招提寺、壬生寺風味な顔だちなのだが、足元の袈裟が注目ですね。善水寺と同じ仏師とも言われている。理由は鍛えられた下半身と衣文のようです。

→願興寺@岐阜 薬師如来坐像@重文

 子年4月にご開帳ということで、御開帳初日に寺に参拝したところですね。
 図録によると、815年に最澄が自ら彫った薬師如来が安置されている寺なんだそうな、愛称は蟹薬師!?
 なぜ、こんなところに?という人もいるが、昔は関東や信州へのメインルートだったようですね。ただし、現在の本尊は最澄より後に作られたものです。

2015年の開基1200年祭で、24体の仏像を公開。薬師三尊像、阿弥陀如来立像、十二神将像は平安時代の作、四天王像、釈迦三尊像と阿弥陀如来坐像は鎌倉時代の作です。■秘仏:薬師如来及び日光・月光両菩薩の薬師三尊■四天王像■十二神将像■釈迦如来及び普賢・文殊両菩薩の釈迦三尊:全国的にもその数が少ない説法印を結ぶ釈迦如来■阿弥陀如来坐像・立像:運慶作との伝承あるが、本物かどうかはわからない。

私の旅行記

→瀧山寺@愛知 十二神将@重文

 運慶作の仏像があるところで有名!本当に面白い仏像だ!いつ行くかだな・・。

→深大寺@東京 慈恵大師(良源)、釈迦如来倚像@国宝

○慈恵大師(良源)
 50年に一度の御開帳。コロナ禍で秘仏非公開になったが、本展示会で出開帳!!ということで期待していたが、京博には来なかった。。orz

○釈迦如来倚像@国宝
 
有名人ですね。いや有名仏。


→観世音寺@福岡 大黒天立像@重文

 絶対、京博でも展示すべきだったと思います。この初期型&大きさ&大黒天は京都・奈良の人も見ごたえあったはずなんだが。。。


▼動画紹介(リンク)

全博物館出品目録

https://tsumugu.yomiuri.co.jp/saicho2021-2022/img/list_3v_220308.pdf

▽京都国立博物館


▽東京国立博物館




▽九州国立博物館

▼ニュースメモ

▼旅行記



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