息子が少年野球チームに入ったら人生変わった VOL:4 大荒れコーチ会①
ある水曜日の夕方、品川の関連会社で打ち合わせを終えると午後5時だった。帰社しても急ぎの案件はなかったので、直帰することに決めた。日の短い1月とあり陽は落ちかけていたが、まだ真っ暗にはなっていなかった。そんな時間に自由になるのは珍しいことで、どことなく気持ちが弾んだ。
大井町に行くことにした。1人で早い時間から飲むには最適の場所で、路地の角にある立ち飲み店でコップを傾けていると、いけないことをしているような背徳感が何とも心地いいのだ。JR京浜東北線に1駅だけ乗り、大井町の路地に入って行った。
目指すのは「肉のまえかわ」。午後4時にオープンする立ち飲み店でメンチカツやコロッケを食べながら、缶ビールやコップ酒を楽しめる。すでに満員に近かったが、冷蔵庫に近く、路地が見えるテーブルの一角をキープできた。「ささみ」とポテトコロッケを買って、ビールを思い切り喉に流し込んだ。
ひと息つくと、カバンからスマートフォンを取り出した。暇つぶしにニュースでも見ようと思ったのだが、画面を見て驚いた。LINEのアイコンに「14」という数字が光っていたからだ。
仕事はメールでやり取りしているのでLINEは使っていない。妻と、ごく親しい友人しか登録しておらず、何ごとかと思ったのだが、異変の理由はすぐに分かった。そうだ、長男が入団した少年野球チームにコーチとして登録することになり、同時にチームのLINEグループに登録したのだった。しかも「全体」と「Bチーム」という2つのグループに… 「全体」は1~6年の全学年、「Bチーム」はその中で3、4年生だけで構成したチームのことである。
全体グループには代表から「今週のスケジュール表」がデータで送られ、さらにAチーム監督から「まだまだ寒いので防寒具を忘れないように」とか「2月からは●●大会が始まります。6年生は最後のシーズン、より一層がんばりましょう」などといった注意事項が書かれていた。そういえば「週末のスケジュールは水曜日に送ります」と言っていたっけ。送信時間をみると、代表や監督が仕事の合間に書いて送っているのが分かる。私は静まりかえった総務系の職場にいるので、業務時間にプライベートのスマートフォンを触るなど、ちょっと考えにくいが…
さらにBチームグループを流し読みしていて、ふと目が止まった。Bチーム監督から「コーチ会のお知らせ」というメッセージが来ていたからだ。
「コーチ会のお知らせ 今年度のシーズンが始まったので一度コーチ陣で集まって方針を確認したいと思います。次の土曜日、練習後の6時から駅前の居酒屋○○○です。予約するので、各コーチは今日中に出欠をお知らせください」
続けて「■■です。参加します」「△△は仕事なので30分ほど遅れます」などと返信も届いていた。
あれ? 私もコーチ登録したから、これは返信しないといけないのかな?? しかし、1回参加しただけで…土曜日は流れで参加したが、日曜日は仕事と偽って休ませてもらったので、まだ皆からコーチとして認知されているわけじゃないので、いきなり返信するのも変かな? 何か急に落ち着かなくなった。
返信を数えると、まだ3人が答えていない。一番遅くなるのも、あまり好ましい状況ではないだろう。これは帰って妻と相談して対応を考えなければならない。私はビールを飲み干し、早々に帰宅することにした。大井町に来たからには立ち飲み中華の「臚雷亭(ローライ亭)」にも行きたかったし、路地の中では一際きれいな店構えでのんびりできる「小鉢や よなよな」にも顔を出したかった。しかし、この緊急事態では仕方がない。妻に聞かなくては、どう対応していいのかまったく分からないからだ。
帰宅して相談すると、妻は「それは行った方がいいと思うよ」と言った。
「スポーツが苦手なのは仕方がないと思うのよ。無理にグランドに行って…とはまったく思わないけど、その分こういうところには参加した方がいいんじゃないの。皆さんと親しくなった方が、あなたのことも理解してもらえるだろうし、今後どんな関わり方をしていくか見えてくるように思うな」
確かにそうだ。野球…スポーツができずに引け目を感じるところは大きいが、息子がやりたいことに協力したい気持ちはある。先日会ったMさんもバットやグローブを持つわけではなく、球拾いやグランド整備といった作業をして、チームの中で居場所を見つけている印象が強い。私も野球以外の部分で役目を担えれば、多少なりともチームにとけこんでいけるかもしれない。意を決して「先日入団しました。コーチ会、ぜひ参加させてください」と返信した。
土曜日は練習試合だった。同じ相手と2試合戦い、どちらも負けたが、初めてみる子どもたちの野球はなかなか楽しかった。まだ3、4年生だからピッチャーもストライクが入らないし、エラーも多いが、上級生の真似をして「バッチ来い!」「締まっていこうぜ」などと声を出す姿はかわいくて仕方がなかった。
長男も2試合目の途中から出場させてもらい、1打席目は3球三振、2打席目にはいい当たりのショートゴロを打った。楽々アウトではあったが、まさかバットに当たるとは思わなかったので、カキーンという音がしたときには思わず「おっ!」と声が出た。「やるじゃないか!」と思ったし、先週の練習後に長男と一緒に選んだバットの音が良かったことで私まで嬉しくなった。ネット後方で見ていた妻と長女が笑顔で拍手を送る姿も目に入った。
試合が終わり、長男と歩きながら自宅へ戻った。
「初試合で緊張した?」
「最初はちょっとドキドキしたけど、それほどでもないよ。全然平気だよ」
「2打席目はいい当たりだったじゃないか! バットに当たると思わなかったなあ」
「ぼく、ヒットになって盗塁したかったんだよ」
「これから練習していけば、ヒットも打てるよ」
そんな会話をしながら並んで歩いていたら、いつの間にか手をつないでいた。自分から手を伸ばしたのか、長男からなのかは分からない。土で汚れていたこともあるのだろうが、息子の手がいやにゴツゴツしているように感じた。記憶にあるプクプクな手ではなく「こいつも成長しているんだな」と感じた。
こんな時間を過ごせるのも野球を始めたからなのかな。断り切れずに登録することになったコーチだけど、よかったのかな…そんなことを考えた。
しかし、数時間後には再び深く後悔することになった。初めて参加したコーチ会は、いまだかつて経験したことがないほど、大荒れの飲み会になったのだ。(つづく)