息子が少年野球チームに入ったら人生変わった VOL:5 大荒れコーチ会②
練習後に帰宅して長男と風呂に入った。運動しているとはいえ、一日中、1月の寒空にいたわけだから、湯船につかるとこわばっていた体がとけるように感じた。長男は何度も頭までもぐって気持ちよさそうにしていた。
「おれ、ショートをやりたいんだよ。みんなはピッチャーがいいって言うけど、ショートの方が格好いいなあ。巨人の坂本みたいになりたいな」
ショートの位置ぐらいは分かるが、役割まではよく分からない。巨人の坂本という選手は名前も聞いたことがなかった。いや、きっと有名なのだろうが、何しろ野球についてはルールも選手も何も知らないのだ。野球に興味はない。だが、長男と共通の会話になるならば、いろいろ調べてみようかと思った。練習からの帰り道で手をつなぎ、一緒に風呂に入って野球の話をする。何だか特別な時間のように思えてきたからだった。
のんびり入浴していたかったが、そうもいかなかった。6時から駅前の居酒屋で少年野球チームのコーチ会があるのだ。給湯器の時計を見ると5時20分を回っていた。長男に「先に出るね」と言って、慌てて準備を始めた。
10分前に店に到着すると、ほぼ全員が集まっていた。生ビールで乾杯すると、Bチーム監督が「のんびり飲みたいところですが、酔っぱらう前に大事な話をしておきましょう」と会議をスタートさせた。
まずは役割分担。ベンチに入る背番号30の監督、背番号29のヘッドコーチ、背番号28のサブヘッドコーチは決まっていた。監督は穏やかなビジネスマンといった雰囲気で、ヘッドは野球経験者で高校時代は「もう少しで甲子園」というところまで勝ち進んだという。ノック役をしており、練習メニューもヘッドが決めているようだった。野球面の軸といっていいだろう。サブヘッドは…Xさんという(この日のコーチ会では、この方が主役になる)。
その他に用具係、グランド係などがあり、これはAチーム(5、6年生)Cチーム(1、2年生)との連携もあるのでチームに慣れている人がいいと、すぐに決まった。
私にやれる役目があるのかな? 何もやらないのも気が引けるなあと思っていたら…「スコアラー&記録係」を決める段になったとき、グランドでも優しく声をかけてくれたMさんが「一緒にやりましょうよ」と声をかけてくれた。役名だけでは何をするかまったく分からなかったが、Mさんと一緒ならやりきれると思い、「ぜひお願いします」と言って引き受けた。私は「スコアラー&記録係」に決まった。
すべての役割が決まり、各メンバーも次第に酔ってきて、雑談タイムになった。隣席の人と、それぞれの仕事や自身のスポーツ歴などを語り合っていた。私も近くに座った人たちに問われて、スポーツ歴がないこと、野球のルールも分かっていないことなどを話した。ちょっとバカにされるかなと思ったが、そんな人はおらず「できることをやればいいんですよ」「1年後には野球通になっているかもね」などと優しく声をかけてくれた。地域では強豪と目されるチームだが、フレンドリーな雰囲気であることが嬉しかった。
「それは違うでしょう!」
突然大きな声が響いた。サブヘッドコーチのXさんだった。彼は、監督、ヘッドを中心とした上座にいた。酔いも回ったのだろうが、店中に響き渡る大声だった。
「今日の試合だってそうでしょう。2試合あったのだから全員を均等に出せばいいでしょう。監督は何ですか、勝てばいいと思っているんですか!!」
監督は顔をしかめながらも、冷静な声で対応した。
「そうじゃないですよ。今日だって全員が出場しました。もちろん現状でバッテリーをできる選手が限られているから、すべて均等にはいきません。慣れないポジションについてケガをしても困るんですよ。力量に応じて、少しずつ慣らせて……」
「出られない子の気持ちを考えたことがあるんですか! どうなんですか!!」
「考えていますよ。勝利がすべてなんて考えたこともありません。でも、1日ですべて均等は無理ですよ。中長期的に見て、バランスよく…」
「だって、監督とヘッドの子はずっと出ているでしょ」
「いや、彼らは1年生からチームにいるから、できるポジションも多くて、慣れない子のサポートとして……」
「はあ? 結局自分の子どもを優先にしたいだけでしょ!」
周囲が「まあまあ」となだめても、Xさんの勢いは止まらなかった。もう店中の視線が集まっているのがよく分かった。
子どもの野球でこんなに熱くなるものなんだな…そんなことを思っていたら、Xさんが私の方を向いて言った。
「ねえ、入ったばかりだからと言って、息子さんが2試合とも控えで、どう思いました? Bチームは15人なんですよ。全員が出られる人数なんですよ」
え? いきなり振られたことも困惑したが、うちの長男は2試合目に途中から出て2打席に立ち、空振り三振の後にショートゴロを打った。アウトではあったが、息子もうれしそうだったし、妻も長女も喜んでいた。我が家は親子とも満足感を持った初試合だったのだ。巻き込まれたくなかったが、黙っているわけにもいかない。
「うちは試合に出してもらえると思っていなかったし、2打席も入れて……2打席目にバットに当たって、アウトだったけど、本人もうれしかったみたいです」
「フンッ!」
Xさんは意に沿わぬ答えに思い切り鼻を鳴らした。これには温厚で…いや気が弱くて、人に対して怒りを感じることのない私もムッときた。反論されるならまだしも、あざ笑うような鼻息が許せなかった。考える間もなく口を開いていた。
「入ったばかりなのでチームの方針も、皆さんのご意見に何かを申し上げることもできません。ただ、うちは親子とも今日の試合が楽しかったし、帰り道で息子は『次はヒットを打って塁に出たい。そのために練習を頑張る』と言っていました。いい形で第一歩を踏み出せたと、監督やコーチの皆様にも感謝しています。それが現状で言える私の意見です」
私がしゃべり終えると、場がシーンとなった。そこで我に返り「しまった」と思った。何を言われても黙って笑っていようと思っていたはずだった。だって、野球どころかスポーツ経験もない私は、他のコーチと違ってまったくチームの役に立たないのだ。一歩…いや二歩も三歩も引いた立場で目立たぬようにサポートするつもりでいた。しかし、Xさんの鼻息で私の心が乱れてしまった。
しばらくの沈黙の後、ヘッドコーチが口を開いた。野球経験者で、ちょっと怖い雰囲気の人物だった。
「貴重な意見をありがとうございます。ボクはね、息子さんが初打席の初球からスイングしたことに驚いたんですよ。最初の三振は3球とも空振り。当たらなかったけど、3球ともバットを振った。だからベンチに戻ってきて『ナイススイング!』と言ったんです。2打席目も初球から振っていったでしょ。結果はショートゴロでアウトだけど、それより彼が全球を振る思いで打席に向かったことをたたえたいんです。監督もベンチでそう言っていましたよ」
ヘッドはうちの長男をほめてくれた後に、ジョッキのホッピーを豪快に飲み干して言葉を続けた。
「監督も私も勝てばいいなんて考えたこともありません。地域の少年野球チームですから、全員が出場して成長する機会を与えたい。今日の2試合だけで均等な出場というのは無理ですが、中長期的にはほとんど均等になるようにしていきますよ。そこは信じてほしいし、皆でそういう方針で運営していきましょうよ」
コワモテのヘッドが冷静な低い声で語る言葉を、興奮していたXさんも黙って聞いていた。これで場が収まった。余計な意見を口にしてしまった私もホッとしたが、そうはいかなかった。ヘッドの言葉はこれで終わらなかったのだ。
「Xさん、ちょっと教えてください。先ほど『出られない子の気持ちを考えたことがあるのか』とおっしゃいましたが、具体的にどの選手が今日の試合で納得できていないと思いますか? あなたの息子のことですか?」
やはりドスの効いた低い声で、Xさんに声をかけた。興奮が収まり、おとなしく座っていたXさんは勢いよく顔を上げ、そのまま立ち上がった。ひぃ~ (つづく)
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