体育会系の若者たち
2年前まで勤めた会社はいわゆる「体育会系」の会社だった。わたしは運動部と縁がなかったから、初めてその会社で「体育会系」に出会った。
中途入社したちょうど次の年、大学アメフト部の試合で傷害事件が起きて、「体育会系」には逆風が吹き始めていた。テレビ報道は白熱し、世間で一気に「体育会系」は古く悪しきものになった気がする。
当時オフィスの大きなモニターで、大学生の選手のテレビ会見を見たのを覚えている。歳の変わらない若い社員たちも、神妙に画面を見上げていた。彼らのほとんどが運動部出身だったから、他人事ではなかったろう。
いまでも多くの企業が、組織的な「体育会系」の体質に苦労していると思う。慣れてしまった組織のやり方から脱却することは文化が変わるようなものだろう。経営陣や上層部がごっそり変わって、しばらくしてからやっと皆も安心して変化できる。
それに何より救いなのは、私の知った「体育会系」の人たち、特に若い人たちは、全然古く悪しき人たちではなかったことだ。
彼らは、挨拶から人の話を聞く態度まで、とても礼儀正しかった。会議が終われば、そっと会議室の机や椅子をそろえていたりする。プロジェクタの調子が悪ければ、修理を試みている。給湯室では次の人のためにお湯を沸かしておく。
「えらいですね」と声をかけると、「いやぁ、そう言われてきましたから」と照れていたけれど、誰も見ていないところでもそうしていた。
その会社の前に20年ほどいた大手IT企業では、会議室の備品といえば、揃っていないし、壊れていることが日常茶飯事だった。総務の担当者が見つけてくれるまで、放置されていることも多かった。誰も直さない。それは自分の仕事じゃない、と思っている尊大な人たちが多くて、わたしもその一人だった。
出会う若者がいちいち礼儀正しくて、厳しい上下関係がきっかけで身についたことかもしれないけれど、わたしはその若い人たちに、恥ずかしながら、日常の心掛けみたいなものを教えてもらった気がする。
そんな彼らがよく使うことばがあって、それは、「焦んなよ」。
若手の営業が勇足で企画するときや何かを途中報告するときなどに、リーダーが「お前、焦んなよ」と声をかける。ちょっとユーモアさえある、そんな場面によく居合わせた。
まあ大体が上下関係の、上の側が言う言葉だから、「体育会系」の名残ともいえるのかもしれないけれど、全体として好意的な様子を見ると(落ち着いて行けよ)のようだった。
ちょっと荒っぽくて笑いがあった。
ああ、あの「焦んなよ」を知っていたら、なあ。
ここぞと言うときに、子どもにかけてやれたはずだ。
「大丈夫だよ」「いつも通りにできるよ」とかは、頻繁に言った覚えがある。それも状況によるだろうけど、無責任で気休めにもならない。
「焦んなよ」と言ってやればよかったのだけど、自分のことばになかったんだよなあ。
運動部で名を挙げてきた「体育会系」の彼らは、立ち上がれば、ひょいと肩を回して準備体操するように身軽だった。
そんな彼らだって、試合ではうまくいかないことだらけだったかもしれない。だから自意識に向けて念じてきたんだと想像する。焦らず取り組むことは、自分と正面から向き合うことで、そこがはじまりなんだと知っているんだろう。
会社を辞めてだいぶ経つが、時折彼らを思い出している。ひとりひとりが礼儀正しくて堅実な人だった。
わたしは、彼らからとうとう運動を教わることはなかったけれど、「焦んなよ」は、ユーモアたっぷりに言ってみたい。
大きくなった子どもたちにも、もちろん、歳をとった自分にも、若者にならって、上手に言えたらいいなあ。