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自分のこと

自己紹介って難しい。そもそも自分のことを話したいのか。自分を説明すると、自分から離れていく気がする。

2020年春、仕事を辞めた。フリーランスで、ある会社と契約して自宅勤務していたが、契約期間満了前に、辞めた。

したいこと

絵が描きたいと思っている。数年前、会社を教育休職して、絵の学校で夢のような時間を過ごした。描きたいものの妄想が止まらないが、技量が追いつかない。美大に行っていれば。あの時は、外国語を選んでしまった。でも、何もかもこれからでいいかと思っている。どっちにしろ、自分の身の丈以上にはならない。

仕事のこと

それなりに仕事も頑張ってきた。とにかく、大手と言われる会社のサラリーマンになりたかった。実家が個人事業主で苦労していたからだ。しかもお金のかかる私立に行ってしまった。兄妹はいないが大切にされた。だから、両親を保養所というところに連れて行ってあげたいというのが、わたしのささやかな夢だった。私だって保養所に行ったことはなかったから、それがどんなところか分からなかったけど。連れて行けた時、一番自分が誇らしかった。

文学部卒で、あるIT会社に縁があり(人事は、目が節穴だと思う、ただの女子枠に入れただけだろう)、20年ほど過ごす。辞めてみたら思うが、素晴らしい会社だった。

製品保守/海外での開発/役員補佐/人事/社内システムSE/営業/コンサル と、人間関係と業務内容に飽きると、社内異動して、畑を移動。1M$=1億円と毎回頭で換算しないとお金がわからなくて、セールスの会議で困った。1億円がなんぼのものか私には分からない。だから、財務と部長職だけは縁がなかった。部長職なんてムリ。気を遣いすぎて死んでまう。

一番得意なのは資料作りだったと思う。客先への提案資料、社内稟議資料、役員の講演資料など、作るのは何でもいい。大きい会社だったので、資料を一人が作ることはあまりなくて、みんなで材料を寄せ集めることが多かった。私はそこで毎回、新規アイディアとか、ストーリーづくりと、一番のアイキャッチを頼まれることが多かった。とびきりの1枚を作るのが、ただた楽しかった。

その後、縁あって、別の会社にもお世話になって、それを辞めて、今。

noteのこと

noteって、誰かの役に立つことを書いた方がいいんだろうか。自分の引き出しを見ると、人の役に立つことがない。資料づくりの手引きみたいなものは、教えてあげられるかもしれないけど、そんなの、いまいち大事なのか分からない。資料って、言いたいことがあれば、それでいいんだから。言いたいことを見つけることが一番難しいってみんな分かってる。でも、気が向いたら、それも書いてみよう。

なので、とりあえず、自分のために書いてみようと思っている。自分探しのようなものだ。

誰かの役に立つ気がしない。でも、それでもいいのかな。

母が送ってくれた、現代詩手帖の切り抜きに、松下育男さんが「詩にかんするQ&A」のなかで、こう書いていた。(たぶん2019年4月号)

先日の詩の教室で
一つの質問があった
詩を書いていても楽しくありません
苦しいことばかりなんです
どうして私は詩を書いているのでしょうか

それはたぶん
あなたの中に
まだ書かれていないあなたの詩が
しっかりとあり
あなたを手放してくれないから 

小さな命を与えてくれと
せがまれているから

どうして私は絵を描くのでしょうか。

どうしてわたしは生きているのでしょうか。

人によっては「詩」は、違うことに置き換えられるだろう。

わたしの中にある何かに、小さな「命」を与えてくれ、とせがまれても、私たちは、それができるか分からない。分からないまま、私たちは、自分の中に手を伸ばすんだろう。かき回しても、何も見つからないかもしれない。それでも。

noteでも、何かを探したい、みんなそう思ってるのかな。だから、noteは書くだけじゃなくて、耳を澄ましてみることもいいのかもね。わたしもみんなにスキって言ってみたい。

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