日記:絶対的に素敵なもの:2024.10.31
いつもぼーっとしてるミドリガメくらいに肩に少し首を埋めて座ってる。猫背の背中を甲羅に見立てれば、本当にカメさんだなと思う。さすがに人前だともうちょっと首も背筋を伸ばすけど。
・教室の騒がしさがひらひらと中央に集まって、ひとつの煌めきになる。青春とか絵の具とか夢とか葛藤とか、そんな色々なものが集まって完成する混じり気のある光、あの煌めき、その美しいさま。そんな青春群像が苦手だったなと思う。
そんな音楽や映画を見ると眩しすぎて抹消したくなる。それに、あれは音楽が唯一敵になる瞬間だと思う。でもあの当時に流行っていたSHISHAMOは今では好き。WANIMAは今でも苦手。少しずつ青春を割り切ってはいる。
今は、教室という単位を脱いで自分という単位で生活してるから、もう過去のこと。
そういう感じ。
多分あの青春群像に自分も組み込まれていたけど、それは背景に書き加えられた余白を埋めるための何かだったと思う。青春を輝かせられなかった未来がこれ。だけど、もう過去。美しい思い出ではないけど嫌いになるわけでもない。
・深く考えようとすると、身体は海を深く潜ろうとしていて、本当は浅いところに泳いでいた魚を見逃してしまう。海を深く深く頭を下に下に潜って潜って、ついに何も獲れずに光へ光へ向かって、海面にざばっと浮上した時にどっと疲れを感じる。その繰り返し。
言葉が見つからなくても、絶対にあるはずだ、って潜り続けるといつか窒息して溺死する。たまに息が苦しくなるのは、そんな言葉に値する何かを潜って探しているからかも。
・その人が好き、推し、ファンとか、誰かのSNSをフォローするとき、その人が絶対的に素敵だと思ってフォローしていて、それは自分にとっての勇気だし心だから、それが揺らくことが一等恐ろしい。
お前(お前と言ってごめんなさい)は絶対的に素敵だから、その素敵を自ら手放すなんてことはしないで!!って思ってる。
素敵なあなた(あなたって上から目線でごめんなさい)の内側から滲み出たその素敵はあなたの、紛れもなく疑いようもない絶対的に素敵なものですよ!!って気持ちでいる。
その人の好きなことの話も、共通の好きなことの話も、自分の知らないことに関する内容でも、どうでもいいことでも、それに対するリアクションは、素敵じゃん!か、最高じゃん!しかない。
へー、いいね、素敵やね。あぁね、それは最高だ。いいよね。そうなんだ、素敵じゃん。いいね〜(最大級の共感)。最高じゃん!
語彙力がないので「素敵」と「最高」、それと「いいね」しか言えない。
ただの愚痴であっても、素敵から零れたそれは素敵の一部で、それに言葉があることが嬉しいから、愚痴に対する反応も、素敵じゃん!って感じ。愚痴でもなんでも素敵でしかない。
すこし気持ちの悪い言葉かもしれないけど、「心」だと思ってる。尊敬とか共感とか感銘とか、そんな温かい感情を丸ごと詰め合わせた心。言い換えれば、素敵。今はそれしか言えない。
絶対的に素敵だと思った人やものを、ちゃんと素敵だと思っていたい。でもそれは全肯定でもないし、その人のすべてを受け入れることじゃない。ただ絶対的に素敵なその人をずっと素敵だと思ってる。
いつかの日記にも書いた気がするけど、「好き」はその人の内側にある根本の素敵が、言葉や行動などとして外側に出てきたものを見つけて拾って、素敵ですね、と伝えて渡すイメージ。
この日記、もう2週間前だった。自分でも好きな日記なので暇だったら是非。ずっとこのマインドでいる。
・『日曜の夜ぐらいは…』って本当に素敵で好きなドラマがあるんだけど、そこで岡山天音さんが演じる市川みねの、「すべての人を守れないから大事な人だけは守る」という言葉があって、それを心に残してる。
このドラマは全員に見てほしい。心。素敵。最高。
・何時間前に投稿した日記を読み返したら、ちょっと愚痴が多すぎて意味不明だったから全部消して、書き直しました。でもこの日記もちょっと意味不明だから明日には消すか編集するかも。
前髪がなびくと舞台の上に立たせられた気分になる、って言葉は自分でも気に入ってる。舞台の上に強引に立たされることは多い。些細だけど重要なことで恥や嘲笑を感じて、いつもすぐに舞台袖に逃げてる。
・夜に川沿いを散歩していると、ゆらゆらとした川の水面が月明かりを反射させて、家屋の屋根や壁に絵を描いていて幻想的だなと思った。多分あれは月の光ではなく、すこし遠くの街灯の光だったと思うけれど家屋には安らぎが照らされて綺麗でした。
絶対的に素敵なもの
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