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日記:小春、酔い、不安

秋と冬のすきま、栞みたいに春が挟まるけど、少しは寒さに慣れてきた頃に突然、温かい陽気になってもらっても、ちょっと鬱陶しいな。その優しさはいらないもんなぁ。少しだけ攻撃的な小春日和のせいで汗がほんのり滲んだし、アウターを脱ぐか脱がないか迷うし、脱いだら想定外の手荷物になって困る。ちょっと嫌な天気。

昨日の小春に関しては、天気予報をよく見なかった自分も悪いけど、この春は苦手かも。久しぶりに腕まくりをして風を浴びたのは嬉しかったけど2回目はいいかな。


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卒業できるか不安になってきた。やばい。いつもこんな感じで、切れ目、切れ目の、各章の終わりごとに不安が募る。ただ次の章を読み進めようという推進力はなくて、そのほとんどは自業自得だから、よくある不幸な展開も、そうなるよな、の一言で片付くし、こんな章末の不安も、自分のせいだろ、と一蹴されてお終い。やり場のない当然の後悔なのに被害者面して不安ぶる。性格悪いかな。


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基本的に不安は空気だから常に、そこかしこに漂ってる。空気感染する細菌だし、それが毎回毎回違うかたちで感染するから耐性がつかなくて、不安をいつまでも克服できない。

なんか、不安って能動と受動と中動の3つがあるなって妄想してる。國分功一郎さんの『暇と退屈の論理学』を読んだことがある人なら、なんとなくイメージが伝わるかもしれないけど、退屈と不安って似てる。不安する、不安している、不安させられてる。

不安は影みたいに、ずっと側にいる。下を向かないと影があることを意識しないけど、ずっと足元にある。家族よりもずっと側にいる。

今日はお酒を飲んだから頭が回らないや。お酒飲めば鬱がぼやけるから、文章もぼやける。何を考えて、何を言ってるんだろう。自分の頭の中すら見えないな。


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話が逸れたけど、なんか嫌だな。小説と違って展開はいつもつまらないし、ぬるっと終わる章末にひどく落胆する。例えば、合格した!!って気持ちじゃなくて、うわ合格してた…って感想。生きてる!じゃなくて、生きてた…って感想。

事実は小説より奇なりとならない事実ばかり。自分の怠慢がもたらした危機に怯えるマッチポンプっていう、つまらない構造。自分は、自ら作り出した人工怪物に怯えるフランケンシュタイン博士より凡なりの愚物。つまらない人間。


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今回の卒業の危機に関しては、鬱症状とパニック症状があったから言い訳させてほしい。大学に行くだけで精一杯の精神状態で、卒論とか課題とか、教室じゃない場所で作業する気力がなかった。怠惰もあるけど、どうしても頭が回らなくて出来ない時間がある。映画とかYouTubeも音楽さえも聴けない時間だよ。本当に何もできない時間。


今の自分はメンタルの底だ。って気付くのは音楽を聴けないときかも。音楽に痛みを伴うというか、言葉が言葉として再生されずに、鼓膜を攻撃する振動に成り果てる。酷いときは、いつも聴いている音楽を否定したくなる。

メンタルが落ち込んでるときって、老害になってしまう。老害は決して年齢の話ではなくて、知ることを辞めた人間の総称だから。老人と若者という構造に注目されがちだけど、その根底は、相互理解と尊重という対話的コミュニケーションをできない人間の傲慢や、思考の凝固だと思う。老害は尊厳の話だから。そして老害は対話のできない怪物。

自分から遠くに離れてしまった音楽を否定する、対話のできない怪物になります。フランケンシュタイン博士のつくった怪物だって、悲しいことに実現しなかったけど、みんなと対話しようとしてたのに。

いつもあんまり怒りの感情はないけど、メンタルが悪いときだけ、それが出てくる。嫌だ。

非常識な人はかわいそう、ってマインドだからネガティブなことには耐性があるし、異文化コミュニケーション的な、違うことを違うことと考える、相互理解のような意識はある方だと思う。

でも、気分の落ち込んでるときは、それが暴力的になるというか、夏の晴れと、冬の晴れはその攻撃力が違うみたいなもので、同じ晴天も時と場合によって思いが違う。

昨日の小春もそうかも。春の陽気は好きだけど、人間も街路樹も冬に変わろうとしてるところに、陽気な風が吹くのは、場違いで、すこし攻撃的な風だった。


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もう何もできなくて、スマホでポケポケ、iPadでYouTube、Switchであつ森、PCであつ森の攻略サイトを見て、クソみたいなマルチタスクやってた。

音楽を聴きながら勉強をするみたいに、矛盾するようだけど、分散しないと集中できないことがあるよね。

なんというか、この論理が正しくないことを除けば、この結論は正しい。そんな感じの毎日。

くそみたいな人間だから、くそみたいな人生じゃん


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