日記:秋頃の名前と不摂生:2024.11.21
一昨日の秋風は、皮膚の表面の水分をティッシュペーパーでがさつに拭き取る風、だと思ったけど、今日の秋風は、身体の老化を加速させる呪術のような風かも。
①なんか肌が乾燥しがちだなぁ
②年を老いたような皮膚になるなぁ
③急速に老化してるみたい+原因は風だなぁ
④風が老化を早めてる+肌だけじゃなくて身体が縮むような気持ちになるなぁ(寒さ)
⑤身体の老化を加速させる呪術のような風!
こういう順番で、この瞬間まさに吹いて自分の肌を触った秋風に、妄想の中で、名前を付けてるけど、みんなはどんな思考回路なのか気になる。見たくても見れないし、わざわざ聞くことでもないし、考えてないかもしれないし。
🦭
・言語化は名前を付けることなのかも。物質も観念も、現象も思考も、季節の気候や風も、アイシャドウパレットの色も、布地の肌触りもすべて。
感情を言葉にすることや、それを感じるために言葉で表現すること。認識と言語的なアウトプットはどっちが先なんだろうとかあやふやに考えたり。無学だから全然知らないけどね。名前のないものは認識できるのか。名前を付けると認識できるのか。とか。
知覚と認識、無形と有形、記号と意味、それぞれの中間にある正体ってなんだろうって。すこし疑問。
もしかしたら命名によって物事を区別して物事を認識する。その分断こそ、中間にある命名の権力なのかも。もう言語学や哲学の領域なのかな。記号や意味にかけての認識論みたいな。
アリストテレスの形而上学やイデア論。神が創造した自然への視線、机を机とすること。みたいな。
かの言語学の祖・ソシュールも言ってたはず。命名権こそ言語の本質だって。「ネーミングライツが大事だよ!」って。全然知らないけど。
つらつらとそれっぽい言葉を書き並べてるけど、全部てきとうに書いてるから忘れてください。おそらく正しくないことしか言ってないから。
🦭
恥部を晒すような気持ちもあるけど、短歌をつくった。2個目。56568、30字。上手くなりたい。
春の川
が流れれば
冬の川
は途切れるか
ぼたんとぼたんと
🦭
・不摂生がすごい。チョコとかスナック菓子とか、食べてはいけないと脳の底から説得しても抵抗しても、無意識に理性のふりして食べてる。こういうときって絶対、口に放り込んで味を感じてから、食べたことを実感する。「食べる→味がする」の順序のはずなのに「味がする→食べた」と、逆の順序で行為を観測する。絶対おかしいもんな。結果から原因を見つけてる。不思議な因果律で、自分の中の何かが操作されてる。自分は何をしてたんだ…!?って気付くシナリオ。お菓子の魔法や異能力の類い。
見えてるのに。チョコは糖質と脂質だと、スナック菓子は脂質と炭水化物だと見えてるのに。大人になったからカロリーとか栄養素をなんとなく概算できるようになって、その恐ろしさを知ってるのに。
なんとなく頭の中にグラフのようなビーカーのような目安があって、今日はタンパク質と無機質少ないなとか、脂質を摂りすぎてるなとか。その日の栄養バランスをちゃんと計算して、今日は食べてはいけないと論理的に説得してるのに。それとも、至極な正論をぶつけられて逆ギレして食べてるのかな。
🦭
・日記に季節のことを書かない日は無いくらい、ずっと季節のことを考えてる。生活や自然環境そのものだから季節を考えることは妥当だと思うけど、にしても、季節の話が多い。
自分の日記を何回か読んでくれた人に、こいつ季節の話ばっかだなって呆れられてそう。パターンが無いって思われたら嫌だな。底を見られてしまう。すっかり稲刈りを終わらせて黒い地面が露出した、夢のあとの残骸のような秋みたい。
自分は、季節を基準に世界を見てるかも。このガラスのコップは秋の青色をしてるとか、このお茶は春と冬を混ぜた味だとか、このコースターは使い古した夏だとか。何を言ってるんだろうって感じだけど、味覚とか嗅覚、冷たいと熱い、明るいと暗い、そういう五感の後に立ち上がる感覚を季節として考えてる気がする。
季節に絶対的な信頼を置いてるから、それが基準になってる。春が一番好きだけど秋も冬も好き。夏は一応好き。もう、季節しか頼れる人がいない。
もしそうだったら悲しいけど、季節しか知らない可能性もある。文学や音楽に詳しくない。学問も知らないし歴史に明るくもない。自分が一番、手に触れてきたものが季節だった、というだけなのかも。季節以外のものを手に触れてこなかった。
語彙力や表現力の少なさの中で、自分の想像力が唯一働くのは季節だけなのかも。ちょっと寂しい。
🦭
自分の日記は「季節」、「光」、「曖昧」の3ワードで、ほとんど構成されてるから、それさえ憶えてもらったら自分の日記みたいな文章は誰でも書ける。
あんまり出来事を書かないから物語性や連続性もないからね。その日に考えてたことを書く、日記というより雑記だから誰でも何でも書けるはず。
🦭
・いつまでも自己肯定感がない。これが自己嫌悪なのか自己否定なのか判別つかないことがある。
自己肯定できるものが本当にあったら、それ相応の評価が与えられたはずだから、その評価が無いということは、自己肯定できるものは無いと結論するしかない。
この論理で、例えば、自分に友だちが少ないのは自分に魅力が無いからと、責任や原因の所在を推論していく。
前提①魅力→友達
前提②〜友達
結論 〜魅力
それが一番答えを求めやすい法則だし、論理的にも確からしいから。自分の不足を原因にできる。
論理式まで書いて理屈を並び立てたけど、とにかく自己肯定感がぜんぜんないなぁって思う。それだけ。
なんか今日は理屈っぽいな。
🦭
もう二度と会えないといいね!/kaza
きゅるきゅる/大森靖子
🦭
秋になって空気も眼球も唇も乾燥してきて状態ダメージがすごい。荒れた唇に秋を感じるから、それはそれで嬉しいけど、外出中の目薬とリップってタイミングが難しいよね。