私なんかにはこれくらいでいいと思ってた
最近、特に気をつけて、自分が「好き」と思う気持ちや「心地いい」と思う気持ちを大事にしている。それは自分が幸せであることを許容することでもあるかもしれない。
私は自分で「私なんか…」と思う事が多かった。
それは私なんかにこの服が似合うわけないとか、私なんかにはこのくらいの地味なものが丁度いいとか、そういう具合に。とにかく自分に自信がなく、「私なんか」という言葉をつけて物を選んできたように思う。
そうする事で自分が何が好きなのか分からなくなっていたのだ。クローゼットにある沢山の服を前にしても着たい服が全然ない。そしてまた「私なんかにはこれくらいがお似合いだ」という服を買ってくる。そんな事ばかりだった。
今思えば当たり前だけれど、私は「私なんか」を多用しすぎて自分で自分の価値を下げていた。だからネガティブで地味で卑屈で、それこそが自分と思っていたような気がする。もっと言えば自分のことが嫌いなのが「自分らしい」と。
それこそ「そうでなければならない」「明るい自分は自分らしくない」と思っていたかもしれない。(本当はまだ少し思ってる)
でも人間は、変わろうとすると変われるものだと思う。すぐにではないが。
最近読んだ哲学の本で「人は、自分に合う組み合わせを見つけるための実験(体験)を繰り返し、自由になっていく」というような内容があった。(自由というと分かりにくいけれど、自分に合った環境の中だと活動能力が増大する、というような事。)
今まさにそれを実感している。どれもそのもの自体に善し悪しがあるわけじゃなくて、組み合わせの問題で。だから自分が心地いいもの、テンションが上がるもの、好きなものを選んで、増やしていく。そうやって自分に合うものを選ぶことで、自分も変わっていけるかもしれないと思っている。気分は活動能力にかなり影響を与える。
だんだん、自分が心地良く居ることを許容できるようになってきた。なぜあんなに頑なに居心地の悪い気分にすがっていたのだろう。
とはいえ、「私なんか」はすぐに自分の中から追い出せるものではなくて、すぐにまた「これでいいか」と選んでしまいそうになる。少し思い止まって、本当に好きなものを選べるようになりたい。本当に好きなものを選んでこなかったから、改めて好きなものを探すところから始めている感覚がある。自分には似合わないと思わないで、心が動くものを手に取って。心地いいものに囲まれて、幸せでいてもいいのかもしれない。
まだ「幸せ」という言葉は少し居心地が悪いけれど。