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あれから30年

明けてました2025!
明けて気がついたらもう月半ば......
今年は色々放出したい年。
頑張ります!年男!🐍

さて、表題のあれから30年
1月17日
阪神淡路大震災から30年です。
早い。30年!私はまだ幼稚園児でした。
家の裏のドブに落ちるようなしっかり目なガキンチョでした。
あの日の深夜、早朝
私が生まれ育った大阪府八尾市は震度4ほどで
パリンパリンと食器が激しく割れる音で目が覚めて(揺れには気がついてない)
「母親がまたヒステリー起こして後に父になる方と喧嘩してるんや」
と思って息を殺していたらバトル中と思い込んでいた母が子供部屋に飛び込んできて
「地震やでー!大丈夫なんかー!!」と叫び
私は「え?!」と起き上がり
食器の破片をまだ朝から拾いながら家族で見たテレビの中の神戸の光景は、それはそれは言葉にならない、むしろ遠い外国の話のように思っていました。

それから10年以上経って
19歳になった私は音楽学校の近くに下宿するため神戸市灘区で生活することになります。
震災があったことは知っていたけれど、しっかり渦中の街とは思えないほどに綺麗な街でした。商店街もそう。とても綺麗。
山も海も、それを結ぶ川も。大好きな街です。
ただ三宮やハーバーランドなど街に出れば
止まったままの時計、崩れたままの港など
震災の爪痕はまだ街の至るところにそのままに
敢えて残してあり、それを見て
本当にあったことなんだな。と思うようになりました。

また西宮に当時から暮らしていた自分の師匠の話を聞いたりして同じ関西にいてもこうも違うかったのかと。
当時の師匠はお子さんをご出産されたばかりで
ミルクやオムツがなく、旦那さんに大阪に買い行って!とバイクで行くように促したそうです。
神戸から大阪に向かう途中、尼崎に入るあたりで景色は一変したという師匠の旦那さんの話を覚えています。
同じ次元で起きてることなのか?と思わされるぐらい神戸や西宮は大災したんですよね。

私自身は被災したわけではないけれど子供の頃から1月がくるたび人からテレビから悲しい話や酷い話をずっと聞いて育ちました。
だからこそ、恐ろしい。
自然災害への恐怖は常に持っています。

どうか、平穏無事な暮らしが
少しでも永く続きますように。

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