誰もありのままの貴方を好きにはなってくれない。好かれるように演じて生きる気が無いなら不幸な人生を受け入れるほかない。たとえそれが家族であっても。
誰もありのままの貴方を好きにはなってくれない。好かれるように演じて生きる気が無いなら不幸な人生を受け入れるほかない。たとえそれが家族であっても。 (b-k-fudousan.com)
まぁ、人間誰もがこう思っているはずだ。
「ありのままの自分を好きになって欲しい」
欠点も長所も全て受け止めてくれる人を求めてない人は居ないはずだ。それはひいては全人類の願いだろう。
ただ、生きれば生きるほど、それは「叶わない夢」だと気づく。誰もが「素の貴方」が好きなんじゃない。
たとえそれが親子であってもそうだとは思う。親が口うるさく勉強しなさい。とかちゃんとしなさいとか言ったりするのが、「素の貴方」を認めていないとも言えなくもない。
親子であっても恋人であっても、誰もが自分以外の人間に対して「こうであってほしい」「こういう人間であってほしい」と願っている。
貴方以外の人間は貴方を「こういう人間であるのが望ましい」と言う願望を少なからず描いている。それは決して「ありのままの貴方」でも「素の貴方」でもない。
「こういう人間であるのが望ましい」って事は、世間では大抵は「常識」とかそういう言葉で片付けられる。
あなた以外の人間は、予想も出来ないユニークで面白い事を貴方には悪いのだが期待してはいない。それを期待するのはテレビに出ているお笑い芸人とかそういう人種で、ユニークで面白い事を期待されている芸人たちも、それはそれでその期待に応えられたり応えられたりですごく苦労はしている。
つまりは、誰もが「ありのままの自分を愛してほしい」って願っているけれども、誰も「ありのままの貴方」が好きじゃない。「ありのままの自分」なんてのは出して良いのは自分の前だけ。恋人や家族ですら出したら嫌われる対象になる。
恋人関係でもそうなんだけど、「ありのままの自分」「素の自分」を一緒に生活しているからと言って、全開に出すとまぁ長続きはしない。
一緒に住んでも、大抵は「嫌な部分」として見られることが多いし、それに一緒に生活していると言っても最低限のルールとかそういうのは守れないと嫌われることになる。
まぁ言ってしまえば、この世で最も「ありのまま」で生きているのは爪の中が真っ黒な、ホームレスのおじさんなんじゃないかと思う。ただ、ホームレスのおじさんが、みんなから必要とされているかどうかと考えるとかなり答えは微妙だ。他人から好かれるように期待に応えてきた人生を歩んでいないから、そうなったとも言える。
結局家族になっても恋人になっても、「良いダンナ」「きちんとしている」事は悪いんだが、期待されてしまっているし、その期待に応えず、「ありのまま」で生きたら、まぁ離婚届を出されるのは時間の問題だろう。
「ありのままの自分」が、求められてないから、オシャレやファッションもある訳だし、それに整形だって流行る訳だ。
世の中で仕事でも評価を受けたり、異性にも認められている人って、究極論「ありのままに生きてない人」である。
ありのままに他人が要求する人物像になろうと我慢して、個性とかそういうのを無くして生きている人は生きざまが美しくなる。
格好も、自分の好みでなく好かれるように選ぶわけだし、それに怠けたいところでも、頑張って勉強とか仕事もしていくから、みんなから評価される。
ちなみに、自分の好みや個性を前面に打ち出すことを「痛い」と言う言葉で片付けられることが多い。大抵、世の中の時流と自分の好みが合わないことが多い。その差が出てしまっているのを世間では「ダサい」「痛い」と言っているのであろう。
周りからオシャレとか洗練されていると思われている人は、大抵はめちゃくちゃ「周りを気にして生きている」訳だ。周りを気にして生きると言うとどうみても、耳によくは聞こえないけど、ただしっかり周りを気にして分析して生きてきたらメリットしかない気はする。
人間なんて、自分は周りの目は気にしたくないけど、他人には「周りの目を気にしてほしい」と強く願っているのだな・・とつくづく思う。
そうやって個性とか自分の好みを殺して生きている人間を誰もが歓迎している。それだけど
「ありのままでいい」とか「個性が大事」だとかそんなウソが出回っている。
自分の脳みその中から「個性」とかひねり出しても、結局は他人から望まれない嫌なものしか出てこない。
だからあえて言う「ありのままの自分」を出して、それでも好かれるってのは、相当に天才か、それとも時流と自分の生き方がばっちり合っている奇跡的な人間しかいない。
誰もあなたの「素」を出してほしいって思ってない。「素の自分」は永遠に自分の中で押し殺して、心の奥底に仕舞い込んで、たとえそれが親子でも恋人でも、彼らが望む人間でいるように演じなければ、世の中上手くはわたってゃいけない。
例えば貴方が母親になった場合でも、赤ちゃんからは、「素の貴方」ではなく「母親を演じているあなた」しか求めていないはずだ。
そう考えると、人間って奴はとんでもなく「孤独な生き物」だと気づく。その孤独に若いうちに気づいて、他人に迎合できた人間だけが、上手く生きていけるようになっている。
夫婦でも、お互い「ありのままの自分を分かりあう」よりも、はたから見ると「相手の望む事をかなえてそれを演じる」方が上手く行っている感じだ。
まぁ、生きていくのに一番大事なのは「ありのままの自分は誰も歓迎していない」という残酷な事実を受け入れる事と、「自分以外の人間の前では、期待されている人間像を演じる」事。これをを徹底した人間ほど、人生は上手く行くようになっている事。
この凍り付くくらい残酷な「ありのままの自分を愛してくれる人は世界に誰もいない」と言う事実を受け入れ、そしてありのままの自分を愛してくれることを期待しなくなって、ありのままの自分じゃない、他人に迎合した自分を死ぬまで演じ続けることを受け入れられないから、まぁ不登校とかそういうのが出てくるんじゃないかと思う。
昔は、引きこもりや不登校はずっと少なかったのは、昔は「ありのままの自分」なんて好きになってくれることを期待してなかったからじゃないかと思う。