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「自分が変われば相手が変わる」只今体感中。

最近怒らなくなった。と書くと「いや怒ってるじゃないか」と言う人もいるだろうが、そう感じた人は、理念や生き方が違うと思ってほしい。私は基本的に此方から人脈作りを求めない。

本年初め迄の私は、白か黒か、勝ちか負けか、正か悪か。これをベースとしており、此方が正義である限り、相手にきちんと謝罪を要求する事を当然とした。ビジネスの勝負に負けは許せなかった。

ところが最近、妙に私の身辺が変わりだし、私は戸惑った。何故か些細な行いが認められる。自由な時間がある。周りには、これでもかと優秀な人が寄る。何となくプチVIP扱いされる。

これはいかん。仏になる気はないが、少しは周りの扱いに沿える人間にならなければ、と思うようになった。お陰で最近多くの本を読む機会が増えた。今更ながら、いや分かってはいたのだが、自分を変えるのは自分だけと強く感じ、遂に「変えよう」と思い立った。

啓発セミナーに行って、人間直ぐに変われれば苦労はしない。色んな啓発本に書いてる事は殆どが正しいが、啓発本を読めば自分が変われるか?と言えばイエスでもノーでもある。勿論条件付きで。

あなたが目の前にあるパンを食べるかどうかは、あなたが決める事の様に、自分を変えようとするかどうかも自分で決める事だ。人に強制される物でもなく、変わらねばならないという決まりもない。

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たまに過去に書いた文章を振り返るが、私は基本軸がぶれない。こうと決めたらこう、というストイック過ぎるところがある。やはり過ぎたるは及ばざるが如し、という諺は間違っていない。

私は父が家で愚痴と悪口を言う姿と、母が布団で寝てる姿をついぞ今の今まで見た事がない。人間は仕事をして疲れても、寝ずにやるのが当たり前。怠ける事は悪、という強迫観念があった様に思う。

だからいつも経営者としてピリピリし、時にビジネスで争いなんかがあろう日には、喜び勇んで先頭に立ち、侵食を忘れ勝ちを求め続けた。そこには自分が正、と言う自負と自信があるからだが。

ゆえに勘違いされたり、余計な敵を作る時がある。私自身、敵がいようと陰口を言われようと、なんとも思わない。しかし好き好んで敵を作るのは私は良くても、私の周りには良くない。

最近、時間が出来て人としての在るべく姿を考えると、こうした事に疑義を持つようになった事から、思考を変える様になった。。私のやり方はストレート過ぎて腹芸も根回しも一切ない。

しかも、勝ち負けなんぞと言う考えは愚かすぎる事に気付いた。

よって自分が変わらなければ、大事な社員やブレーン、選手達も変わらない。

「結果が全て」という考えは、そこに「至る迄の経緯が正しくて導かれた結果」でなければならぬのに、私は時にカッとなり「悪いもんは悪い」と、大手の会社相手に対して、訴訟をも辞さなかった。

おまけに、時に言葉が荒くなり言い過ぎてしまう。今思えば確かに言い分は正しいが、少し言い過ぎてはないか?これが正しい経過と言えるのか?

毎日、こう言う事を考えれるのが人間だから生きてて楽しい。

先日もある大手の会社担当者と話してる時、今までなら「決着がつくまで徹底して争おうじゃないか!」という事態が起きたが、私は自分の非を認めるところは認め、相手に淡々と正論を主張した。

以前なら相手が大手だからこそ、カッとなりつい戦いたくなる所だが、この時はそんな思考が全く湧かなかった。私のブレーンは驚く事もなく「変わりましたね」と言った。

ある方からは「もう今からは、周りがあなたを動かしていく。今のあなたはそういう位置にきてる」とも言われた。そう言う位置と言うものが、どう言う位置なのかは分からん。分かろうとも思わん。

ただ私は、人様より良い車や良い所に住ませてもらっている。これからは、今いる社員やグループ会社が、人様より良い暮らしをするにはどうすればいいのだろうか、と考えた結果、勉強をし出した。

啓発本を読むのは容易いが、断固たる意志がないと良い内容を読んでも実行できない。少し読みかじって分かったふりにならぬよう、気をつけねばならぬ。

全ては自分次第だが、ヒントはそこいらに沢山転がっている物だ。こんな事を考え出したのは、ボクシングを通じて子供を教育し出してからだ。歳をとるからこそ勉強し、人の話を聞く。

さて、現在私は子供達にボクシングと道徳、礼儀を教えている。

私は子供達に、嘘つきと思われる事はできない。子供は、私が恥ずかしくないような人かどうか、行動をチェックする立場になる、

そんなわけで自分を変えていく作業中である。言っておくがこれはヒジョーに苦しい。しかし決して育ちの悪さのせいにせず、逃げず苦しみながら変えていこう。

古参の従業員が、今まで愚痴一つ言わず、今も働いてくれている。子供が、ボクシングが、仕事が私にはある。本日起きた些細な古参従業員の行動も、更に自分を変えようと言う気になる。

公平とはこうあるべきで、この均衡が崩れる時に独裁、そして落ちこぼれが出るのではないだろうか。

まだまだ踠き足掻いてる最中だが、私が真に変わったかどうかは、棺桶に入った後、必ず歴史が証明する。

今やらねばならぬ。棺桶の中で私は動けない。



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