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人の揚げ足を取り意見を述べる人は、自分を見つめ直しそれを言えるか

この最近、マスコミに出る評論屋、選挙にも行かない人達が先日のテロル事件以降、一億総評論家になっている。

私は核の問題に触れたことはない。
核がある国に対し核がない日本は、対等に交渉はできない事は当たり前、と書いたくらいだ。

理由は、私に核を保持したときのメリットとデメリットの知識もなく、その上よく分からないから。

SPに対しボディガードの経験すらないのに、あたかも経験者の様に叩く人(勿論、今回のSPの行為はとても庇えない)。
それより今後を考えないか?

識者である場合は、今すぐ対案や善後策を出すべきだ。

文責を持ち、どうする様に変えていくかの意見を、理路整然と述べろと言いたいレベルの評論屋もどきの人までいる。

ネガティブな意見を羅列し、得意げになる。私が一番嫌いな事だ。

安倍政権のここは悪い、と正論を書いた者に「死者に鞭打つな」という、最早驚いてしまう意見も時に散見される。

安倍氏を散々叩いておきながら、亡くなると急に手のひらを返す、烏合の衆。

安倍さんが亡くなったら自民党に有利だ、と故人のことも考えず、自分の党の益のみを考え、公に発した政治家に至っては、精神鑑定させた方がいい。他人の不幸は蜜の味というのはこういう輩だ。

暴力に屈しない民主主義、と、今更になって寝言を言う政治家。
暴力に屈しない教育をやってきていないから、こうなった。

ロシアとウクライナが戦争中のこの時期「暴力に屈しない」等を今更言うより、暴力が何故駄目かを教えるべきで、恥を知るべきだ。

テレビが回ってる時だから、票欲しさに心にもない事を言う野党の候補者や党幹部。

長年の日米安保の中、一時は経済大国になった日本に起きた平和ボケは、今に始まった事ではない。

国内の半数は、そう感じてるのではないだろうか?

それを理解できないのか、憲法の問題すら議論させない党の人達が、多数テレビで安倍氏の死に嘘泣きしている。

彼ら彼女らに、信念というものはあるのだろうか?と疑う。
こういう時こそ「沈黙は金なり」と言う諺を知るべきだ。

さて、スパイ防止法のないこの国で、素人がSPのいる中殺す事ができる、という事を世界の誰もが認知してしまった。

特定の支持政党や政治思想がない私の言いたい事は、世界中の危険団体や人物に、上記の事実を認知させた事を考えるべきだと思う。

歴史は繰り返し世間は変わる。しかし原理原則は変わらない。

私は今回、若者に育てられない今のこの国の政治を、一体、今の子達に何と教えればいいのか?それを考えようと思う。

分からない事は、その道の師に聞くべきだ。政治家も正しい師を持つべきで、日本の殆どの政治家を私は師と思えない。

亡き育ての親 私の師

19歳で、ある国会議員のボディガードをした事が、私と政治のスタートだった。

その後も、ある現職大臣秘書と私の育ての親が、北九州の橋渡しのお手伝いを、汗をかき命を賭け行う姿を、私は25歳から運転手兼秘書役で見てきた。

育ての親は酒も博打もやらない。彼女もいない。
裏で北九州市の為に生き、25年前に癌で亡くなった。
死後、何と4億円の借金が出てきたので私は卒倒する。

全て北九州の為にお金を出していたが、生前育ての親に師事し、私はある時は、この人の言う市議の青年部長を、時にはある市議の裏選対長もした。

今は志ある仲間に、市議や元市議に県議、国会議員秘書と共に地元北九州の為にと、頭と体とお金を使う。この毎日が楽しい。

こうした経験と仲間の知遇を得て、私は何としても教育をする。
亡き育ての親が、志半ばで出来なかった事も私はやる。
そう決めた。というよりそうなった。

「お前ら、選挙に行くのは国民の義務だ」と、弟子にいくら私が言っても「じゃあどこに入れる価値がある人がいるんですか?」。

事実で間違ってない事は、胸を張り反論していいと教育する私が「そう言えばそうだ。じゃあ選挙に行かず飯でも行くか」。

頼むから、そう言わせるようにならぬ様な政治を、政治家はやってほしい。

少なくとも北九州市は、私が自信を持って責任を取れる人、と言う市議が数人いる。
だから北九州の選挙に行かぬという反論は無い事が、救いである。

政治家はキッズ教育に力を入れてほしい。


そうすれば今回のようなくだらぬ41歳のテロルを、もしかしたら防げたかも知れない。学校の教育では無理だ。

私が前回書いた推理通り、このテロルは家庭に問題があった様だ。

これから私らの世代や、政治家は後進を育てる事が大切である。
利権や権力にしがみ付く事のない、政治家と政治を期待する。

票になることばがりに予算をつけ、選挙権のない子供教育や少子化に予算もアイデアも出さない政治。これは本末転倒だ。

地道と継続と信念を貫く教育

徳は社会生活を通じて現われ、やがて経済、政治、教育等の社会活動が「功」になる。

功は人間活動を動かしてゆく「力」なのだからまずはこの力をどうつけるか。

これは政治家が率先して考え顧みて、反省すべきだと思う。

そしてそこが真の成功と幸福のスタートだと思う。

上記は、故安岡正篤氏の言葉を借り、私見を述べた。

政治家はこの言葉を聞き、ツラを上げろと言われ、何人が上げれるのだろうか。

政治家の個人的なプライバシーや下半身は、私にはどうでもいい。

しかし、政治家の徳のない行動と政治、そして利己的で大局を考えぬ政治は、第2第3のテロルを生む危険がある。

暴力の本当の意味、何故暴力がいけないか。政治家にできるのだろうか。

自戒を込め私は私の出来る、北九州の教育を主とした改革を行う。
私はやるといえばやる。お金で動かぬ。
だから悪党は私を恐れる。

自分の言った事がいつか利己的に変わったとすれば、私のアイディンテティが崩壊するので、その時私はいつでも自決する。

政治家もそれ位の覚悟を持つべきだ。

こんな時だけ投票率が上がったと喜ばず、次の選挙をどうするか、まで真剣に考える政治家が、少しでも多くなってくれればいいな。



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