私を助けてくれた韓国のプロボクサー
私が会社を起したのは25歳の時。スポンサーや金主というのは、一切いなかった。何の後ろ盾もない私が壁に当たった時、今思えばどうやって精神をコントロールしていたのか。
命と記憶があるうちに、こうして綴りたいと思う。いい話は多く伝えたほうがいいに決まっている。
25歳の頃、皆がクリスマスだの、バレンタインだのと浮かれていた時、私は殆ど24時間、寝ずに仕事をしていた。自分で選んだ道なので仕方がないと言えばそれまでだが。
とは言え、仕事がうまくいかない時や、同世代の友達が遊ぶ姿を見た時は、正直自分で選んだ道とはいえ「何で俺だけ朝も深夜も寝ずに働かなきゃいけないんだよ」と、独り思う事があった。
従業員を雇えず、1人で仕事をするのは辛い。そういう時、私は家にストックしたボクシングのビデオを見て発奮していた。仕事が思うようにいかず悔しい時、あるボクシングを見ると勇気を貰えた。
ユーリアルバチャコフvs車 南勲。この試合はすごかった。ユーリはロシアからの輸入ボクサーで、日本のジムに所属する世界チャンピオン。ボクシングの教科書の様に強くて巧かった。
このユーリが生涯苦手としたのが、韓国のボクサーだった様に思う。当時の韓国ボクサーはハングリーで、兎に角勝ちに執着する。その思いがボクシングに出るので、面白くて大好きだった。
反感贔屓という言葉があるが、更に私は、その上の、あまのじゃくなので、子供の頃から人と違うものや、弱い人、虐げられる人、黒人差別なんかに物凄く興味のある子供で育ち、現在に至る。
ユーリは確かに強いが、私はこの試合の車 南勲の打たれても打たれても怯まず打ち返す、一歩も引かない勇気、最後まで諦めない姿を見て勇気をもらっていた。
試合が続き、もう後半に差し掛かった時、ユーリから打たれまくった車 南勲のパンチが何とユーリに当たり、ユーリが倒れた。しかしレフェリーはスリップにした。
当時まだ若かった私は、北九州の小倉から試合会場まで行って、レフェリーを殴ってやろうかと思った事を昨日の様に記憶している。
その証拠にこのダウンシーンは、DVDにダビングとして落とした時、擦り切れた傷の線が多数入っていた。
不意に家に戻り、ユーリアルバチャコフvs車 南勲を見て、すぐ仕事に行く時期もあった。いや、車 南勲が逆転しかけたシーンだけを見て、仕事に行く時もあった。
それだけこのシーンが、ダウンかどうかを私は何度も見た。DVDにダビングした時、恥ずかしく懐かしかった記憶がある。こんな我流のメンタルコントロールをしていたと思うと、ちと恥ずかしい。
あの頃一人で会社を起業し、孤独で誰にも泣きつく事ができない私は、車 南勲に思いを馳せ、怒りをパワーに変えていたのかもしれない。
それが今に繋がり、怒りからは何も生まないと思う様になってきた。ではどうしたらいいのか?と聞かれても分からない。分からないから勉強をする。
生前、祖父が「男は愚痴を言うな」と手紙に書いていた事を思い出した。この辺にしよう。