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今の若い奴に語り継がねばならぬ事。歴史や師友に学び、損得を見ぬ者のみが継承する事と大切さ。

私の嫌いな事の一つに「今の若い奴は」という言葉と、これを声高
に言い、共感され博識だと思われると勘違いしている人、がある。

私は子供の頃から、いつも頭の中がクエスチョンだらけだった。
父親は家に殆どおらず、居る時も、極端に口数が少なかった。

その為か分からない事を質問し、答えが理解出来ない時、二度尋
ねると「うるさい!」と怒られる。

母は中卒なので、物を聞いても殆ど「分からない」と言う。しかし
分からない事を、そのままにする事が私はできない。

コンサルタント先の、心理セラピスト会社のカウンセラーに言わせ
ると「柳原さんは心理学的には、クエスチョンを置き去りにして、
前に進めない人」だそうだ。

小学生時、私が母に「本を買って」と言うと、I,2ヶ月に一度の
割合で、本を買ってくれていた。

伝記に始まり、小学生の終わりには、星新一という作家の書物を嵌
り、その後も私の師は、教師ではなく書物だった。

難しい事に会うと必ず答えを探す。クエスチョンが頭によぎる度、
答を出す迄考えた。

大化の改新、645年と教えられ「何故その時代生きてもなく見た事
もない教師が、証拠もなく決めつけれるのか」と、不思議だった。

口に出すと怒られそうなので黙ってたが、大化の改新は645年では
ないと最近分かったそうだが、私は本当に大化の改新自体があった
のかすら、怪しいと睨んでいる。

小学生で未来を当てた私は偉いが、それはともかく、これは何だろ
う?と思う事の答えが、実は書籍にある事が多い。

当時、本は高価な物だったので、読み覚えた大切な言葉は、今も頭
に記憶されている。

小学生のある日、テレビを見てると「今の若いやつは」という言葉
が耳に入った。

これを聞き、私の頭は早速クエスチョンとなった。

数年おきにこれを言う人が変わるだけで「今の若い奴はこうだ」と
言う大人は減らない。

しかし、じゃあどうすれば良いか?その答えを言わない。

聞いてて「今の若い奴」を育てた世代は貴方達ではないか?
その貴方達を育てた親も、その親も悪いのではないか?

当時「俺は何故こうひねくれてるのだろう」と思わん事もなかった
が、こんな事を深く考えた。

あの時こうしてたら、とか、たられば論を言う人。名声と富を追い
かける、利己的な人がこれを言う傾向が多い事に気づいた。

自分の失敗を省みず、テレビに出る大人のこうした言葉は軽い。
軽いが責任は重い。

だからテレビを見るな、というのだが、それはさておき。

東洋哲学の本を読み、とことん勉強し、歴史を紐解き勉強した方の
素晴らしく明確な言葉がある。

「人間というのは常に泰然としておらねばならぬ。その為に勉強し
経験を積み反省する。しかし今の政治家はどうだ。情け無い。この
程度で狼狽えてたら、将来の政治は見えている」。

これは、いつ言われた言葉か?

今。10年前。20年前。
いつでも使える言葉だが、分かる方はまずいないと思う。

この言葉の先はこう続く。

「ロッキード事件。この程度で政治家が狼狽える。情け無い」。

ロッキード事件は、私が小学校の頃の話で、これは約50年近く前
に言われた東洋哲学者の言葉である。

この言葉は、今でも使えると思う。

あの頃、こういう言葉をきちんと聞き、目の前の経済や外交より、
政とはなんぞや?人間とはなんぞや?と考えた政治家はいない。

人としての道を、痴がつく程考えていれば、今の様な下らぬ政治に
はなってなかった。

私は、政治家や教師に何も期待していない。

だから自分が痴がつくほど勉強し、今、同じ理念の方やボクシング
ジムの弟子に、己が正しいと思う事を語る。

「分かりません、教えてください」。

そう痴(ち)がつくほど聞き、恥(ち)と言われぬ人になり後継の若手
に受け継いでいきたい。

何か上手いことを言った様な気がするが・・・(笑)。

こんな事を考えよく遊びよく学び、人としての在り方や矜持。
日本の美学とやっていい事、悪い事。日本という島国特有の歴史。

こんな事をツラツラと考えた結果、ジムと弊団体の教育を今後主と
して、金や名誉という物にあまり捉われまい、と決めた。

YANAGIHARAジムとNPOの会員

お金の為に嘘を言い、権力を誇示する人。
出来ないと諦め、他人の責任を責め、自分の事が見えぬ人。

過去私は、こういう者と徹底して争い叩き潰し、弱者の為とはいえ
善人の代理として戦い、相手を粉々に潰し生きてきた。

それはそれで、多くの糧や経験となった。
しかしこれからは争わず、こういう相手と一線を画す。

勿論、降りかかる火の粉は、普通の方より大きく振り払うが、無駄
に争う事が、いかに無益で、人を木津つけるか、と考え出した。

現在付き合う実業家や友、ボクシングジムの会長。弟子に従業員、
周りにいてくれる善意の仲間。更に最近接する多くの若者。

若い彼ら彼女らとの付き合いから、ピュアな思考や行動を知った。

これらを勉強し、深く突き詰め、考え、正しい答えを出して後続に
残していきたい。

大人が諦めたらこの世は終わる。
批判と憎悪からは何も生まれぬ。

何かをやろうとする大人と徹底して話し合い、良い所は教え合い、
学びあう。

悪いが今、切っていっている人達と、交わる事はもう無いと思う。

最近ジムの若い選手に、厳を教え、家庭環境に問題があるが、前を
向く、元気でピュアな男や女の子等と話し、教えられる事も多い。

彼ら彼女らは、邪気やメリットがないので、ひたすら夢を語る。

こういう子達との会話から、大きな可能性を感じ、学ぶ事がある。

また昨日は元市議で、政治には戻らぬが市を憂う、私が尊敬する方
とディスカッションをし、語り合い確認し合った。

日本人の正しい日本語や、心の在り方を教えてくれる年長の元刑事
や、一世を風靡した後、欲を捨て世間にお金を寄付し、教育に力を
入れる某社の会長に教えを乞う日もある。

20代で私の理念に食らいついてくる我が社の従業員兼トレーナー
の中野貴哉、22歳。

アマチュアから我がジムでプロに転向し、現在練習の在り方を聞き
食らいついてくる、濱村悠太郎。

これを聞き、受け取り噛み砕き、若手に教える堀田清太。

この2人は、あと1カ月後の4月2日、YANAGIHARAホールディン
グス・プロボクシング杯のダブルメインを張る。

YANAGIHARAジムは、ただ勝てばいいだけのジムではない。

どういう心の在り方で練習し、引退後にどう正しく活かすか。

当ジムに、頑固で変わり者だが信念はぶれない私に、20年間喰ら
い付き、時に悩み時に泣き、付いてきた松尾佳彦がいる。
日本ランク8位を最高位とし、引退。

精一杯プロボクシングをやったから、リングに何一つ忘れ物を残さ
ず、こいつは引退式で胸を張り、笑いながら前を向いた。

今の私は、できるだけ教え子に義を残し、自分が反省し政治や世間
のせいにせず、自分という個が、大衆を変える様にしたい。

私が死んだ後も、彼らの、個の正しい行いが大衆を変え、変わった
大衆が、いつか間違えた思考を個に押し付けだしたら、正しい個が
また徳を重んじ、大衆を良い方に変える行動をして欲しい。

歴史は良いも悪いも、これを繰り返す。

大人や教育者がもう無理だ、と思えば教え子や、社会は諦め、政治
も教育も悪くなり続ける。

ゆえに教育者は労働者ではない、と言うのだと思う。

お金や権力、政治をあてにして、政治が悪いから無理だという思考
は、少なくとも私にはない。

己を知れば自然とそうなる。

私には永遠にクエスチョンを放置せず、少しづつ勉強し、体験を
プラスに捉え、仲間や先人に教えを乞い、弟子に伝えていきたい。

おーー!
そう考えると、やはりあと100年は行きねばならない。

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