正解を知るまでに
人間はほんの些細な事や、自分が出来ない事を他人に求める。私は見返りは求めてないが、悪い事をしたある者が一言も謝るどころか開き直って
「自分さえ良ければいい」
と胸を張り、こちらを責めた。
愚痴を言ってるわけじゃなく、この世の真理と人間の本性ががよく分かった。
騙されるのは慣れてるのでいいが「嘘をついたが何故うちの息子が悪い事をする前に、しない子に育てないのか」という親。
屁理屈もここまでくると、永遠に愛交わることはない。いや交わるどころか自然と淘汰される。
だから20歳も超えて、父親そっくりの子供ができる。
コレは言い換えるなら
「確かにうちの子は犯罪を犯したが、何故うちの息子がそうならない様に育ててくれなかったのか?」
という理屈と何ら変わらぬ。
だから子育てはまず家庭にある、そう安岡正篤爺は言ったのだ。
この父親の言い分は絶対に認められることではない。
そうしたのは誰でもない。15歳迄にそう育てた親が悪いのは自明で、格好だけつけて子供を他県の学校に預け、ギャンブルと借金ばかりすれば、そんな子になるのも当然ではないだろうか。
言い訳くさい事を言うのが私は嫌で、言わないから身内も知らぬが、このおめでたい親は人を責めたいなら、まず数千万円の損害を息子が与えた事を知り、考え言いたい事を言うのが筋だ。
コレを共に考えてくれるのは、やはり一生の友達だけだった。
人を責めるなら悪いところはまず認め、人様にかけた迷惑をどうすればいいか、たったこれだけで世の揉め事はほとんど終わる。
博打で借金を作る都度、親に何度も尻拭いをさせたこの父親は、陰でこんな慄く事を陰で書いたので、今日何度も電話をしたが、案の定陰でしか言えない、父親の権利をとうに放棄させられた中年男は予想通り逃げた。
前からわかっていたが、俺は馬鹿でお人好しすぎた。
この親子にどんな天罰が下るか。
コレを見届けつつ、暫く人の世話を焼かず、ただ遊びただ勉強し、ただ休息する。
一つ間違えたら今度こそ、オーバーワークで命を落とす所だった、と、ある偉大な2人の先生に言われた。
本当はそれが自分の生き方だと、子供達の為にここまで生きて来たが、馬鹿で天皇の勲章を差し上げたくなる程狂ったこの親子は、殺人の共犯か、せめて幇助に問われるべきだ。
そう笑いつつ、限られた大事な人と北九州だけを助けていこう。
そうすれば60歳で、また何かを見つけれると思う。
「バカを相手にするな」。
衝撃に慄いた、教え子の松尾佳彦からそう叱られた。だからこの親子を相手にして終わりにしよう。
そう思った1日だった。
私にも名誉と受けた代償がある。
筋が違う事を言われっぱなしにして、下を向いて許すほど大人でもなく、人間はできていない。
今日という日は本当に考えさせられ、自分のバカさに気づき、今度こそ助けてはよくない人間と関わらない。
甘えて息を吐く様に嘘をつき、開き直る。金融時代の悪どい客の様な者は、やはりいつの時代にもいる。
こういう者が生きにくくなるのが公平な社会だが、永遠に変わらないなら、一度世間は終わりガラガラポンで再度、一から始まらないともう無理だ。
もう少し要領良く生きていこう、と今頃思い直したが、今までの自分が絶対正しくはないが、何もせずただ見ていただけの者に、批判も非難もする権利はない。
反省して生きていく。
だがやりすぎとお人好しは、もうやめよう。そこに気づきどう正しくこれから変わるかを考えさせられる。
2023 17:24 柳原廣一