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映画『ブラック・ウィドウ』にみる脚本のポイント

★ネタバレあります
★マーベル映画最高! って人にはお勧めしない小文です


映画『ブラック・ウィドウ』は、脚本を作る時にチェックするポイント、商品を作る時の考え方がたくさん見受けられて興味深いです。
ざらざらっと並べてみましょう。

◎課題がはっきりしない
主人公は何の課題に取り組んでいったのでしょうか?
アメリカ政府の追求から逃れる
レッドルームの追求から逃れる
家族の再生
洗脳されている後輩たちを助ける

悪の親玉をやっつけて世界を救う
実はこれを全部やっているんです。
「ナターシャ、無敵?」
と、観ながら思った人もいるでしょう。それもそのはずで一つ一つで物語が出来ちゃう。追求から逃れる課題でシリーズが出来ちゃう(ジェイソン・ボーンシリーズはこれですね)。それを2時間程でやっちゃうから、そりゃあ無敵に見えます。
藤子A先生の『まんが道』の中で主人公達の漫画を読んだ先輩が「ボクならこの1本の漫画で2本作れる」というシーンがあります(3本だったかな?)。読んだ子どもの当時は意味がわからなかったけど、今ならわかる。主人公の課題がとっちらかってるんですね。『ブラック・ウィドウ』はそう言う映画でした。
もしボクの学生がこのネームを持ってきたら、主人公の立ち向かう課題を絞りましょうとアドバイスします。勿体ないから続編で使えるようにしようよって。

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◎商品と作品は別
しかし、売れるかどうかになると話が変わってきます。この映画はブラック・ウィドウの最終顔見せ公演で「これでお終いだよ! 全部持ってけ」状況なわけです。アヴェンジャーズシリーズで付いた客に大盤振る舞いするのが眼目です。物語を磨き上げてさらに観客を呼ぶ必要もあんまりないんでしょう。そして、これで興行成績の算段がつくからスカーレット・ヨハンソンも制作に参加したのではないでしょうか。
マーヴェルのシリーズ物はこの辺りの割り切りがいい、というか露骨というか、とにかくわかりやすい。
つまり、商品と作品は違うってことです。
あ、商品だから手を抜いてる、と言ってるのではありませんよ。この映画でも見せ場にはいろんな工夫を凝らしてるし、役者の演技は細やかです。それでも世の中ってのはこう言う割り切りも必要なのです。

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