一ノ瀬家の大罪の打ち切りの報を受けて
一ノ瀬家の大罪、本誌のほうで最終回を迎えたそうですね…。
風呂敷を畳む(伏線回収する)間もなく終わられたとの噂ですので打ち切りなんやろな…と思ってしまう最終話未読のコミックス派でございます。
さて今回は一ノ瀬家の大罪の内容について…ではなく、以前からうっすら思っていた、「ジャンプの編集部ってマーケティングとかなんか…作品の売り方とかアンケート至上主義とか…もっとどうにかならんの???」みたいなお気持ちを表明したいなぁ、という話です。
前提(認識してる範囲)
一ノ瀬家の大罪は好きだった?
一ノ瀬家の大罪、”私は” 好きでした。
まぁ、この重たいテーマが嫌いな層も結構な割合で居そうだ…ってことも認識したうえで好きでした。もちろんタコピーも好きだし、タイザン5先生の読み切り「ヒーローコンプレックス」と「キスしたい男」もめちゃくちゃよかったです…!
いつぐらいまでジャンプ" 本誌 "読んでた?
2020年の24号を最後に本誌を読むのはやめちゃいました。
ちなみにこの号は鬼滅の刃の最終回が載ってた号だったんですが、自分は鬼滅の刃完全に未履修です。さらに言うと呪術も未履修。読みたいやつだけ読んで、他はほとんど読まないスタイル。
本誌を追いかけるようになった時期に関してはうろ覚えで申し訳ないが、確かNARUTOの疾風伝が本誌に載りはじめたあたりからだったと記憶してます。
こうして思い返すとなかなか長期間読んでたかもしれない。
作風とジャンプ本誌が合わなかった
ブランドと合わない
そこかしこで言われているので今さら私が言うことじゃないけど、やっぱりタイザン5先生の作風と「週刊少年ジャンプ」の傾向というかブランドというか…そういうのとマッチしなかった。
このことは連載初期から「えっ…大丈夫…?この先生の重ための作風にジャンプのブランドってソリというかノリが合わなくない?」とは思ってました。
ジャンプと言えば友情・努力・勝利ですが、最近の人はこのフレーズご存知なのでしょうか…?
一ノ瀬家は明確な勝敗がつく展開も作りづらいストーリーだし、記憶喪失を取り戻す努力にしたってマイナス地点からスタート地点に戻るための努力なのでカタルシスが得づらい…。
謎解きとか頭脳バトルならデスノートらへんが成功例だろうか…あとは、読んでないけど暗号学園のいろはとか?
一ノ瀬家で描くべきところは友情とか家族の絆だったんだろうけど、それを原因不明の途中リセットかけたのがジャンプのブランド的にもまずかった…
Web媒体の方が相性がいい
正直これに尽きる。
ジャンプとのブランドがどうのこうの、いや一ノ瀬家の作風や話づくりが悪いだの以前の前提がこれだと思っている。
作風が重たいということに起因すると思うのだけど、あんな重たい感想の後ってさ…すぐ誰かと共有できる環境が無いと「継続して読もう」っていう気にならないと思うのよね。
読んだ後の重たい気持ちを発散させずに抱えたままなんて、大人でもキッツイもの。
そこを行くと、タコピーのときの戦略はほぼ完璧といってもよい流れだったと思う。
タコピーのときは…
0時更新
大人が読むのにちょうどいい
大人の読者層をキッチリ見据えていた気がする
読んだらすぐコメント欄がある
読後のストレスフルな状態をすぐ解消できる
Twitterだと規模が大きすぎてタスキに長し状態。検索が手間ですぐに同志が見つからない
コミックスが上下巻として発売することを明記
悲劇は長く続かない、ということがわかって安心して読める
一ノ瀬家は上記に挙げたことを全部スカしちゃったからこんなことになったのだな…と思ってしまう。
マーケティングとか読者層とか、偉そうなこと言えた立場じゃないけど。
読者層の読み違い?
ジャンプの読者層が変化しているのは編集部もわかっている?
何年か前から、「今の子供は少年ジャンプを読まない」みたいなTogetterまとめを目にしたことがあります。
自分も上記のまとめを読んだときは「嘘だろ!?」と思ったものですが、言われてみれば確かに、な事象かもしれません。
上記のまとめが2019年頃で、現在が2023年なので、完全に大人を意識した作品を『本誌』に持ってきてもなんらおかしくはないのです。
でも、読者側の意識はそうではなかった…かもしれない。
『あんまりしんどくなるようなものを、子供が読者層の本誌に持ってくるのはちょっと…』みたいな意識が大友(大きなお友達)の中にはあったかもしれない。
それが違和感となって、読者離れを起こした可能性も無きにしも非ず。
ジャンプ本誌を読んでいる大人の読者層っていうのは、『童心に還りたい』という気持ちで読むから、"大人"を意識させるものを本誌に持ってきてもウケないのかもしれませんね…。
(実際のところどうだかわかりませんが…。)
ストレスフル展開に耐えられない読者層が厚かった?
さっきの、
にもあたるのですが、重たい展開に耐えられない人が多かったのではないかとも思う。
これもまた2019年頃に見かけたTogetterまとめと、それの大元になった記事なのですが
出口の保証がなく、暗闇がずっと続くことに耐えられない人がどんどん離脱したんだろうな…といった感じ。
特に一ノ瀬家は、出口が見えたらトンネルを出る直前でちゃぶ台返し~~~~っ!みたいなことを一度ならず何度でもやっちゃったので、その傾向が強く出たのではと思います。
タコピーのときは上下巻で完結することを明記していたので、それで「最後までついていこう」と思える人が多く残った気がします。
一ノ瀬家の話自体が悪いものだった?
これに関してはハッキリNOと言わせてもらいます。
記憶を失い、自分を探す過程を物語にするのは媒体問わず色んな類似作品があるし、自分の好みとして無茶苦茶好きです。
私事ですが、最近読み始めたものとして「九龍ジェネリックロマンス」があります。
こちらも記憶や、記憶喪失前後の自我について悩むのがストーリー展開の主軸に来ている(※展開の軸に来ているだけであって、主題は一ノ瀬家とは違うので完璧な比較にはならないことを念頭に置いといてください)のですが、恋愛やエモーショナルな方向性に舵を切っている作品。
私自身こちらの作品は読んでいる途中で、50話過ぎくらいのところまでしか読んでいないのですが、『記憶喪失前後の自我を比べて、今の自分を肯定する話』はやっぱり定番だなぁと感じるのです。
これも1つの成長物語の類型に分類できるので、そりゃあウケも良くなる。
一ノ瀬家も各登場人物に対して「肯定」のプロセスはあったけど、その対象が「現在の自分」じゃなくて「記憶喪失以前の過ちを犯した自分」なので話の構成難易度が跳ね上がった感がある…しかも、過ちがいじめやら介護やらやたら生々しかったのも読者がより入れ込んで感想を持つ要因になるから、それに伴ってハードルが上がりまくったのでは?
でも、ハードルが高いからと言ってそれはいけないことではない。
ハードルが高くても、それを超える時間があれば連載している漫画はいつか超える可能性がある。
よくある言い方だと『広げた風呂敷をたたむ時間がなかった』というやつだな…。
風呂敷たたむ時間ぐらいちょうだいよ!
これは一ノ瀬家だけでなく週刊少年ジャンプ全般的に言えるけど、
掲載順位落ちてから打ち切りになるまで早すぎ!!!!!!
割と長期間ジャンプに慣れ親しんで思うことだけど、「もうちょっと続いてれば絶対面白くなったのに…(ギリィ」みたいな作品が多すぎ。
ジャンプのアンケート至上主義の醜悪さに関してはちょこっと検索すれば言及している記事の一つや二つ出てくると思うので各自検索していただければと思います。
まぁ私も大人ですし?ある程度人気の無い作品を誌面に抱えるのは経済的に厳しいんだろうな…続きが読みたいがゆえの私の意見なんて子供の我が儘なんだろうな…とは思うよ?!
でもソードマスターヤマトみたいな風呂敷の畳み方みたいな漫画が頻発するのはマジでどうかと思うんだよ!
集英社だけじゃなくてさ、講談社でも「あぁ~…これは打ち切り…なんやろな…」みたいな作品は見かけるよ?でもさ、頻度があまりに高くない?!と思うんよ。
一ノ瀬家に関してだけ言うと、前述してきた通りに『ブランドと媒体読者層と作風が合ってないことは連載前から明白』だったのに、それをハイ、ルールに則って打ち切り~じゃあんまりだろ!
あからさまに掲載媒体誤った編集部側のミスなんだから、ジャンプラに移籍とかもうちょっと何とかならんかったんかい!!!!って思っちゃいます。
特にジャンプの打ち切りに関しては、めちゃくちゃ好きだった「みえるひと」を面白くなるところで打ち切りにされた挙げ句、そのあとの岩代先生の作品も「編集の見えざる手」を感じることが多かっただけに
編集部この野郎…
みたいな負のオーラが漏れ出すことが多々あります。
良い作家さんが、描きたいものを描きたいところまで描ける場で作品を発表できることを、一読者として切に願うばかりであります…。
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