見出し画像

【自己紹介】経歴&社会福祉士として独立しフリーになったきっかけ2つ

私の経歴とフリーという選択のきっかけとなったエピソードを2つ書きます。

社会福祉士の可能性を探求し、社会福祉士自身が元気であることを望み、世の人々の心が軽くなり、そして私の収入もアップすることを
考え続けて23年、フリーの社会福祉士(2001年開業)柳田明子です。

独立に関心のある挑戦好きな社会福祉士の皆さんに向けて発信しています。

今日は「なぜ私がフリーになったのか」についてお伝えします。
きっかけとなるエピソードは2つあるのですが、その前にまず経歴から。

経歴

私の経歴はざっくりいうと、こんな感じ。

1991年3月
(23歳:卒業)

 大学卒業(☜福祉系ではなく、図書館学専攻。ゆえに社会福祉士受験資格なし)

1991年~1995年
(23歳〰27歳:介護保険前の措置の時代)

 高齢者施設にて介護職(☜今と違って介護の求人なんて出てなかったんですよ。電話帳で
上から順番に市内の施設に1件ずつ電話で問い合わせました)

→相談員(特養立ち上げに関わる)
(この間に社会福祉士受験資格を得るために
通信制大学に編入。☜婚約するも破談となり、「私はひとりで生きていくんだ!そのためには
国家資格が必要」と考えた)

1995年~2000年
(27歳〰32歳:専業主婦)

 結婚(☜運のツキといいましょうか、とにかく出会いがあった)
 退職(☜もともと辞めたかった+学業に専念したかった)
専業主婦(+通信制大学生。2年の予定が4年かかって卒業→受験→合格→社会福祉士資格取得)

2001年
(33歳:開業)

【柳田明子社会福祉士事務所】開業


[2003年~2018年:35歳〰50歳]
自身が管理者を務める居宅介護支援事業所(法人)にてケアマネジャーとして従事
☜つまり個人事業と法人の2本立て
(この間に夫の母と同居☜今の私だったら絶対に同居はしません。
 ※義母はそののち認知症→施設入所となり
昨年他界)

2001年(33歳)~今に至る

2001年からの【柳田明子社会福祉士事務所】の
活動実績はこちらの記事で棚卸しをしています。


ここからが、私が「なぜフリーとなったのか」のお話です。

フリーとなるきっかけ①

1995年~2000年(27歳〰32歳:専業主婦)の間に、私は不妊治療を経て念願の子どもを
授かりました。

思いがけない出産時の出来事もありしばらくは我が子との対面も叶いませんでしたので、やっと親子で暮らせる生活は待ちに待ったとても幸せなことのはずなのですが、正直なところ子どもや夫と過ごす日々の中で息苦しさを感じていたのも事実です。

そんな私は外の世界の空気を吸いたくて、
いろんなところに足を運びました。

そのうちのひとつが、近くの大学で開催されていた「国際ボランティア学会」でした。

子どもを預けて参加したその学会の分科会。

正式には忘れましたが【ボランティア活動と教育】のようなテーマで、学生をボランティアに送り出す側の立場の方たちが「ボランティア体験がいかに学生たちに有益か」ということを議論していました。

発言はどれもごもっともだと思いながら一参加者として聴いていたのですが、そのうちにどうしても我慢できなくなってきたのです。

私も発言したい!

という気持ちがとまらなくなりました。

というのも、その議論は【すべて送り出す側の発言ばかりで、ボランティアを受け入れる側の意見がまったくなかった】からです。

私は特養で相談員をしていた時にボランティアの受け入れも担当していました。もちろんその中には学生さんもいました。

彼らにとっては「いい経験」でしょうが、受け入れる側にはそれなりの苦労や配慮もあり、いわばボランティアに「いい経験」を提供するためのボランティアのような一面がある(と私が当時感じていた)ことを、どうしても伝えたくなったのです。

ところが。

困ったことがひとつ。

発言するにも、当時の私、肩書がないんです。

こういう分科会で発言する時って所属と名前を名乗りますよね。その「所属」がないわけです。

専業主婦だから。

うーんと考えた私。

「専業主婦の柳田」と言ってみようか。でもそれはこの場にはそぐわないな。

「子育て中の柳田」とか? いや、ますます違う気がする。

じゃあ「高齢者施設相談員の柳田」はどうだ?「」って言われても、あまり説得力ないかな。

うーん、うーんと考えて、ひらめきました。

私、社会福祉士だ!

仕事はしていないけど社会福祉士の資格は持っているんだから社会福祉士と名乗ることはできる!社会福祉士は名称独占!

これでいこう!

私は手を挙げました。

指名され、

社会福祉士の柳田と申します」

と名乗りました。

そしてかつての立場を説明して、思うことを
発言しました。
(学生のボランティア活動を否定しているのではなく、それがもちろん双方にとって大事な活動であることは確かだけれど、だけど受け入れ側の立場で言いますと…的に)

そしたらですね、

なんと!

会場から拍手がおこったんですよ。

社会福祉士の柳田」が、ただそれだけで
意味を成し、受け入れられた瞬間でした。

その学会からの帰り道、私の心に、

もしかして、名乗る所属先がなかろうとも、
組織に属さずとも、こうやって「社会福祉士の(他の誰でもない)柳田明子」として活動するという選択肢があるのでは?

という考えが芽生えました。
(ちなみに。当時は「独立型社会福祉士
という名称も、ネットワークも、委員会も、
何もない時代です。)

これが私がフリーになるきっかけとなるエピソードの1つめです。

いわば原点ですね。

フリーとなるきっかけ②

1998年~2000年(30歳〰32歳)ごろ、
専業主婦という立場に息苦しさを感じた私はいろんなところに足を運びました。

きっかけ①もそうですし、図書館の「絵本の読み聞かせ講座」を受けてみたり、ボランティア活動に参加してみたり。

だけど私の心はスッキリしません。

私のやりたいことは「仕事」なんだと気がつきました。報酬を得られる「仕事」です。

とはいえ、当時子どもがまだ小さかったこともあり、社会福祉士として施設に勤めるのは難しいと考えました。
(地域包括支援センターはまだなかった時代です。社会福祉士として仕事する=施設というのが
25年前の私の認識です)

施設勤務は祝日や土日の出勤、緊急対応などがあるだろうと、それまでの自分の経験から考え、それは幼子を抱えてでは厳しいと思ったのです。
(当時は、です。当時は「子どもが小さいから」と思っていました。今振り返ればそういうことではなくて、そもそも私は「勤務」というスタイルに向いていないということなのですけれど。)

施設に勤務する以外に仕事をする方法って
何があるんだろう…。

さてここで少し当時の時代背景を説明します。

2000年(平成12年)当時、世の中にはケイタイもスマホもありません。パソコンなるものがようやく家にあるくらいの時代です。今みたいに薄型じゃなくて、どっしりごっついパソコンです。

パソコンが普及しはじめたそんな2000年ごろ、
ちまたでは、

SOHO

という仕事スタイルが話題になっていました。

ソーホーと読むそれは、

SMALL OFFICE / HOME OFFICE

の頭文字でスモールオフィス/ホームオフィス、
つまり、自宅などを小さなオフィスにしてパソコンを使って仕事をするという、今の在宅ワークの原型みたいなものです。

このSOHOスタイルで、私の高校時代の友人が仕事を始めていたんです。

パソコンを使って、得意な英語力をいかして。

「オフィス○○」

という屋号をつけて、自宅で。

私はSOHOという言葉は知っていたものの
「屋号をつける」=会社と思っていたので、
その友人に「会社を立ち上げるなんてスゴイね~」と言ったところ、

「会社じゃないよ」

と言われ、「え?じゃあ何?」と、そこで初めて世の中に【個人事業】という形があることを知ったのです。

そうか、そういう方法があるのか…

だったらもしかして私も…?

これが私がフリーになるきっかけとなるエピソードの2つめです。

それから

私は①と②をベースに、つまり「社会福祉士の柳田明子」として「個人事業」でやっていくことを考え、調べ始めました。

とはいえ、インターネットなどない時代です。

日本社会福祉士会に電話をしたことを覚えています。

当時、全国で自然発生的に各地で「社会福祉士として独立して活動している人たち」がいましたが、会ではそれのすべての把握はできていませんでした。

なぜならまだ独立型社会福祉士という名称も、
ネットワークも、委員会も何もない時代だったからです。

私が電話で問い合わせた当時、会が把握していた独立スタイルの社会福祉士は13人。今も活躍されているすばらしい先駆者たちです。

そして2001年2月(32歳)。

私は【柳田明子社会福祉士事務所】の開業届を提出しました(屋号の由来はきっかけ①です。原点をそのまま表しました)。

その後、会でもネットワークが必要という動きとなり、研究会が発足(のちの「独立型社会福祉士ネットワーク委員会」の前身)。

その研究会の一員として私が参加できるという本当にありがたいご縁があって、その時に出会った先駆者たちの志とパッション、交わした議論によって私の「独立型社会福祉士」としてのありようが確立していきました。

フリーの社会福祉士としての最初の仕事は
「講師業」です。

単発の講師業ならスケジュールが組みやすく、
子育てとの両立も可能だと思ったからです。

以降、おかげさまで少しずつ仕事の幅は広がっていきます。

しかしながら、2015年(47歳)ごろから家庭の事情や私自身の心身の不調などから仕事の量をセーブすることとなり、そこから長らく低空飛行。

そして今、やっと私自身を取り戻し、広い空に
向かって飛び立とうとしているところです。

・・・以上が、私の経歴およびフリーになった
きっかけと経緯でした。

本日は以上です。

今日も気持ちの良い一日を!

柳田明子社会福祉士事務所
〰聴く・伝える・ともに考える〰
(2001年開業)

今日の記事に共感してくださった方や社会福祉士の独立に関心のある方はぜひ下記からご感想やご質問をお寄せください。お待ちしております。
note「クリエイターへのお問い合わせ」フォームから
お問い合わせ | note(ノート)
公式LINEから


社会福祉士が独立を考える時のワンポイント5選
をマガジンにしています。有料です。1本100円です。4本以上読まれるならマガジンのほうがお得です。


福祉教育者 テリーさんの共同運営マガジンに参加しています。



この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?