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[過去の話]公設市場が閉まる
この記事は、2019/06/16 15:30のexciteブログ投稿を移した過去の記事です。
本当に無くなるわけじゃないですが、区切りなので。
今日6月16日で、第一牧志公設市場が今の建物での営業を終えるタイミングで、初めて訪ねた時を思い出を書いておきます。
初めて牧志の公設市場訪ねたのは、高校生の時、1996年。
沖縄への憧れが募って、どうしても行きたくなった。
なぜか小学校の頃から沖縄に興味を持ち、図書室にある沖縄関係の本は粗方読み尽くしていた。
高校の図書室で見つけたのが、この「沖縄いろいろ事典」。
内地の人たちによる沖縄紹介本、確かに観光的な目線だけど、何も知らない当時の私には、今まで読んだどの本よりも実際に迫っているように見えて、この本から見える沖縄のいろいろに衝撃を受けた。公設市場も、この本で知った。
その後ほぼ毎日図書室へ通い、穴が開くほど繰り返し読んでいた。
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どうしても行きたくなり、いろんな理由を作って沖縄へ行った。
憧れの沖縄、読んだり聞いたりしたことがこの目で見られて、本当に興奮した。
お土産屋が軒を連ねる国際通りから一歩曲がると、最初の3軒ほどは観光客相手の店だけど、あっという間に空気が変わって、市場の通りになった。
あまりに雰囲気が変わり、部外者は入ってはいけないのではないか、という気すらした。
自分自身が小さな頃から、市場や商店街で買い物をしていれば、ここまでの驚きはなかったかもしれない。
しかし普段の買い物は近所のスーパー、お出かけは私鉄の終点にあるターミナルデパートや地下街という世界の狭い人間からすれば、それは別世界だった。
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国際通り
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しかし、市場や商店街を見慣れていれば何とも思わなかったかといえば、それは違う。
やはり沖縄の市場は、売っているものや売り子さんと客との間合いが独特だった。
そう、当時は店番をする売り子さんは、道ゆく人に一切声を掛けなかった。
なんでも、申し合わせなのか不文律なのか、客引きをしないという約束事があり、客に声を掛けないらしい。
しばらくアーケードの商店街を歩き、「マチグワカイ ユーメンソーチェビーサヤー (市場にようこそいらっしゃいました)」と記された看板と、大書きされた「那覇市第一牧志公設市場」の文字を見て、いよいよ来た、と思った。
そして中へ。
だけど、中へ入ったその時のことは、あまりに衝撃的で覚えていない。
とにかく頭を後ろから殴られたようなショックと、ついに見られた嬉しさが混在した。
自分にとって、初めての異文化体験だったのだと思う。
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二階に上がって、食堂へ。
でも沖縄らしいものは食べずに、確かチャーハンを食べた気がする。
高校生の旅行で、そんなにお金もなかった。
その時、何よりも印象的で、自分にとっての沖縄像が決まる光景があった。店員さんを呼んでも気づかない、けれど隣のお店の店員さんがそれに気づくと、自分の店の客でもないのに「呼んでるよ!」と、代わりに教えること。隣の店同士がはっきりと区画されていないことが既に驚きだったのだけど、さらにそんな事があって、しかもそれは珍しくもなくごく当然に互いを呼び合ってるようで、その光景を見て沖縄の人たちの考え方や価値観に触れた気がした。
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だけど、沖縄に暮らし始めてからは、ほとんど行かなかった。
国際通りから3軒ぐらいだった観光客相手の店は、いつの間にか公設市場まで続くようになっていた。
公設市場の二階へ上がると、エスカレーターを降りた瞬間に何人も客引きがいて、辟易してすぐに階段を下りたこともある。
もう自分が見て、心の底からから驚きと興奮を感じた公設市場は無かった。気づけば、好きだった「マチグワカイ ユーメンソーチェビーサヤー」の看板も消えていた。
今年の3月、久しぶりに公設市場の二階で食事をした。もう最後だと思ったから。
お店も大分変わった気がするけど、多分初めて来た時はここだった、というお店へ入った。
チャーハンはメニューに無かったので、一番似てるのは焼きそばかと思って頼んだ。
それだけだと物足りなかったので、もずくの天ぷらも頼んだ。
店員さんがファミレスのような端末を使うのはびっくりしたけど、初めて来た時のことを思い出しながら、味わっていただいた。
店の様子も客層も、何もかもが変わった気がするけど、もずくの天ぷらは大きくてケチケチしていない雰囲気がして、ちょっとだけ嬉しかった。追加で頼んで良かった。
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いまこうして書くと、せめてあと1回行けば良かった気がするし、那覇に暮らしている間、もう少し通えばよかった気がしてくる。でも、たとえ建物が無くなり変わっても、初めて訪ねたあの時の衝撃はこれからもずっと忘れない。この建物、この場、ここの人たちにいろいろなことを教えてもらいました。ありがとうございました、公設市場。