見出し画像

はじめましての熱い自分語り

どちらかというと隙あらば自分語りしそうになる。
というか、創作物関連の感想や考察になると自分語りしなければ説明できなくなることがとても多いタイプの人間。
なので、noteさんも「まずは自己紹介からどうです?」的なこと言ってたし。
初っ端全部吐き出してしまえば読み手の興味のない部分を書かずに済むのではと思い、今から熱い自分語りを始める
あ、細部については記憶違い・誇張・身バレ防止などを含みます。

「3秒で知れるなら知りたい」って人向けに簡単な自己紹介をすると、
環境と運に見放され不登校やら休学やらを繰り返していたらアラサーになってたモラトリアム大学生です
どうぞ見下してください。でも僕はマゾじゃないんだゴメンネ。

1.生まれる前の話

「は? 自分語りじゃねぇのかよ」
と殺意を抱いたあなたに土下座します。踏んでください。
育ってきた環境を語る上で避けられないのです。

今から300年前……から260年ちょっと後、母(16歳11か月)が父(23)との子を産んでデキちゃった婚しました。
後に「赤ちゃんはどこからくるの?」の答えを知った11歳の私は叫びます。
「オトンギリギリOUTやんけ!!!!」

もちろん下ろすか下ろさないかの話はあったようですが、法律によって中絶可能なのは妊娠22週未満なんですってね。
母を診たおじぃちゃん先生がそこら辺誤ってて、話し合いしてる間に22週越えちゃいました
(温厚な祖父が怒鳴り込みに行った唯一のエピソード)
そうして長女は仕方なかったってヤツで生まれてきます。
(長女テッパンの自虐ネタ)

物理的にも人間関係的にも閉鎖的、隠そうとしても各家庭の事情筒抜け。
人様のこと笑えない奴が他人の家庭をバカにするクソ田舎
地獄ですね。

祖父は父を自分の会社で雇って資格など取らせ、高校を中退した母は2年半置きくらいに次女三女を産み落としますPONPON。
定期的に女の子続きでしたが何故か5年置いて……で、俺が産まれたってワケ。

2.5歳くらいまでの話

父が病気に罹り寝込みます。
母は小さい私の世話をしなきゃいけない。
父の看病……というか下の世話は当時年頃の長女や次女がやることに。
父は自尊心高いマンだったので気が狂うような思いに。
ていうか気狂いの結果、体調が安定してからも姉や私にDVするようになるんですがね。

祖父の会社に公共事業の話が舞い込んできた!
それできる資格持ちは父のみ!
って時に父が独立するとか抜かします。ジィジ激おこプンプン丸。

そういうことが重なりまして、遂に母が離婚を切り出します。
離婚届提出日は七夕。
お空の上でイチャラブしてる頃、下ではドロヌマしてた訳です。
毎年7月7日は我が家のインディペンデンスデイとしてお祝い

3.7歳くらいまでの話

ここでようやく自分語りを始めましょう。

この頃の私は妄想癖と虚言癖を……というか、姉たちが観てるフィクションとそこから発想した自分の妄想ワールドと現実の違いが曖昧だったのだと思います。

こうした状態は幼児期においては結構あるあるです。
多分2021年現在の幼児なら、当然ごっこ遊びという認識でやってる子もいるでしょうが、本気で「自分は鬼殺隊でナントカの呼吸が使える」と思っている子もいるでしょう。
虚構と現実、自他の境界が曖昧というのは発達段階上のことなので、もし周囲にそういう子供がいても慌てなくて大丈夫です。

ただ他の子との違いは、その曖昧の元になるものが特撮ヒーローとか子供向けアニメとかではなく、
中高生あるいはそれ以上の年齢向けの作品だったことと深く長引いたことです。
レイティングや対象年齢の設定って大事ですね。守りましょうね。
みんながボンボンとか読んでゲラゲラ笑ってる時、僕は浦沢直樹の『MONSTER』にのめり込んでました。
姉には反省していただきたいですね。

かといってそういうバイオレンスでダークな世界だけにハマっていた訳でもなく
当時の私の心に深く深く印象を刻み込んだ子供向けフィクションもあります。
それが『仮面ライダークウガ』です。

とはいえ、小学校に上がるか否かくらいの年齢の子供がクウガの内容やメッセージ全てを理解することはできません。
子供向けフィクションはその時子供に理解されることを目指すのではなく、その子たちが大きくなった後ふと振り返ってみれることこそ大切だと思います。

妄想と虚言に憑りつかれた私を襲ったのは、最終回……ではなくその1話前の『空我』
クウガとダグバがステゴロで殴り合う有名なシーンですね。
他の多くの子供と同じく「クウガ! カッコイイ! 強い!」だった僕は、五代雄介の泣き顔にひどくショックを受けました。

「何故彼はヒーローなのに、こんなに苦しそうに泣いているのだろう?」

百科事典やこども大図鑑的な物って、今じゃスマホポチポチで検索できるので廃れつつありそう(唐突)。

というのも、小学校に上がった私は姉のお古の分厚くてゴッツイ科学図鑑を愛読書としていました。
ランドセルに入らないので小さい両腕で抱えて登校するくらいお気に入り。
次女「原子力発電の仕組みをキラキラした目で解説された」
なんて証言がありますが、正しく完璧に内容を理解できるハズもなく、余計に妄想癖・虚言癖に拍車をかける要因にもなりました。

ていうか「数十億年後には地球が太陽に呑まれる」とか「世界各地に原子爆弾(核弾頭、当時は北朝鮮のミサイル発射が盛んだった)がある」とか知って、
涙目で姉や母に「みんな死んじゃうの……(;_;)」と聞くくらいの理解度でした。
姉には反省していただきたいですね。

そういう変わった子供だったせいか、イジメを受けるようになります。
イジメといっても私の場合「バイキン扱い」的なもので、リンチとかはあんまり遭わなかったのですが。

ところでイジメというのは何も憎悪から起きるものばかりではないことをご存じですか?
子供というのは、あるいは日本人(人間)というのは「異物」に対し拒否感を覚えます。
「異物」とは「自分の固まった世界(平穏)を揺らがす可能性」なので、この拒否感は防衛反応的ななんかソレですね。
とても自然なことであり、自然故に絶対悪であるとは少し言い難い。
その防衛に快楽が伴ってエスカレートしていく過程・結果がイジメな訳です。

だからイジメっ子に対して「悪だ!」というのはあんまり意味がない。
「自分の平穏を守る」という当然の行為が根にあるので、「悪だ!」と指摘しても快楽部分を棚上げしそっちの理由で「違うけど?」とガードされる。
必要なのは「異物を異物として認め、攻撃しないで自分の平穏を守る方法を探る」という姿勢を育むことですね。
要は「棲み分け」とかと同じです。
僕はNTRが大嫌いですがNTR作品を攻撃しません。

でもNTR作品の広告はウザイ(ここで中指を立てる)。

そんなこんなな時期、母が交通事故の被害に遭いほぼ寝たきりのような状態になります。

4.10歳くらいまでの話

父がいなかったせいかどうかは知りませんが、6歳頃の私はとてもマザコンで、母によく抱き着いてました。
しかし、事故からしばらくして母はずっと布団に横になり「体が痛い」と呻き、私にかまってくれなくなったのです。
何故? こんなに私は愛を求めてるのに、お母さんは愛を返してくれないの?

その理由は事故から3年ほど経ってから判明します。
脊髄液(脳みそ浮かんでるプールの水)が漏れていて障害を負っていたというのが、当時その症例研究の第一人者的なお医者さんにたまたま当たって見つけられたのです。
治療もあって、脳のことなので今でも完治とはいかず言語や記憶は怪しいのですが、最近は杖なしでもちょっとした散歩はできるようになってます。

理由があったとわかったとはいえ、私が母からの愛に飢えたのはもう変えようのない過去となっていました。
いない父とくたばってる母に代わり、親としての役目を負ってしまったのは長女でした。

そんな中、「コレは子供同士の悪ふざけではなくイジメである」と問題視した担任の先生によって私のイジメは終わりを迎えます。
自分の中でも「悪ふざけ」と「イジメ」の認識を行ったり来たりだったので、色々と複雑ではありましたが。

その時先生が話してくれた考えが前述の「異物を理由に攻撃してはならない」ということ、金子みすゞの『私と小鳥と鈴と』を用いての内容でした。
「みんな違ってみんないい」
イジメ自体過激なものではなかったので、案外「先生も言ってたし」でサラッとバイキン扱いはなくなったし、遊びにも入れてもらうようになりました。

そして田植え体験中、好きな女の子の目の前で蜂に太もも3発ぶっ刺されて泣き叫んだぜ

5.13歳くらいまでの話

反抗期って体験しましたか?
アレも発達においてはすっごく重要なことなので、もし周囲に生意気なクソガキがいても「ヒュ~反抗期ぃ~」と思ってあげてください。
多分余計反抗されます。

反抗期の意味は色々あるんですが、そのひとつに「自分の力を試す」というのがあります。
ガミガミ言ってくる親を跳ね除ける力だったり、言うこと聞かない他人を思い通りに動かす力だったり……。
当然親も他人もそんな力には屈するかと反抗に反抗する訳で、大事なのはそのぶつかり合いを経験すること。
つまり「社会において我を通すこと」の模擬戦みたいなもんですね。
で、この模擬戦の相手は大体「理不尽(に思えるもの)」です。

母の障害も「理不尽」。父がいないことも「理不尽」。
しかしながら、この時期の私はまだそういうタイプの反抗期ではなかったのです。

物理的にも人間関係的にも閉鎖的、隠そうとしても各家庭の事情筒抜けなクソ田舎。
それは子供間においても同じでして、このくらいの年齢になると詳細まではアレですがなんとなく互いの家庭環境については知っていました。
大人との違いは、「お前んとこの大人もクソだよな~。マジうちもクソ。大人はクソ。ファ●キュー」な点。
つまり「みんな違うしみんな同じようにクソ」
家庭環境というのは「自分にだけ降り注ぐ理不尽」ではなく「アイツも俺も負ってるもの」だったのです。

ギャングエイジって体験しましたか?
聞きなれない言葉という方もいるかもですが、簡単に言えば「親より友達を大切にする時期」です。
これも反抗期というか思春期において発達云々。
ここにおける「ギャング」は「仲間」という意味でジョルノが憧れるアレではないし「非行集団」でもないのですが。
反抗期において上記のような「みんな違うしみんな同じようにクソ」と合わさり不良少年グループ的なものに繋がるのでよく混同されます。

Yo, お前のlyric
母親がsick
父親いねぇし
姉はこえぇ
Yeah, 俺のrhyme
父親がcrime
母親ヒスって
祖父が死す
俺もお前も小鳥も鈴も
みんな違ってみんなクソさ
どうしようもねぇことわかってるさ
だからこそ(今)手を取り合い(さぁ)
ちょっとだけ自分勝手しにいこう
この環境の中で
生きてる俺たちの苛立ち
許せなくやるせなく
亀助け人生

そういう感じのノリでクソ田舎のクソガキたちはギャングになりました。
亀ラップじゃなくて武勇伝武勇伝、武勇デンデンデデンデン……するほどに大きなことはしてません。
万引きとか人の迷惑になることはしてません。
夜中にみんなで家抜け出して遊ぶとか、そのくらいのちょっとだけ自分勝手が私のギャングエイジでした。

この頃からやってきてない宿題をちょろまかす、やったイタズラの罪を他人に擦り付ける、連帯責任から一人逃れる、略奪愛(笑)などで
学年のマスコットみたいな小さくて可愛い子に「クズ野郎」と呼ばれるようなキャラになります。

6.14歳の話

中二病って体験してるんですね(決めつけ)。
アレって発達ウンヌンカンヌンソレソレで「中二」なのにも理由があるんですってね。

中一の三学期。
既に一人暮らしで働いていた長女が過労で倒れ、就職して街を出る次女とプー太郎の三女が引っ越し、三姉妹・私と母と祖父と祖母と小鳥と鈴に分かれて住むこととなりました。
がしかーし、祖父が脳梗塞で倒れてしまい、急遽私と母も三姉妹と一緒に住むため引っ越すこととなりました。

当時の私にとって「家」とは「負なる場所」でした。
ギャングこそが居場所でした。
引っ越したくないと駄々をこねました。
面倒見のいい担任が学校の寮(田舎なので学区が広く通常の登下校が難しい生徒用)に入れないかと教育委員会に訴えてくれました。
まぁ当然無理で引っ越すことになりました。

ところで、「普通の家庭」って世の中に存在するんですね。
引っ越し先の街で初めて知りました。

正しくは、そこにあったのは「お互いの家庭事情が筒抜けになっていない当たり前の街」でした。
私にはそれがどうしようもなく怖かったのです。
私のいたギャングは、本当にお互いのことを全て理解し合えた気になれたし、クズ野郎をクズ野郎wwwとして受け入れてくれた。
でもなんだか引っ越し先の学校の生徒はみんな素顔が見えないような気がして。

物理的にも人間関係的にも閉鎖的なクソ田舎は離婚や再婚や不倫やアレコレとその再犯が蔓延していて、どの家庭にもクソ要素がありました。
だから「自分は特別な存在ではない」という気持ちでいました。

中二病って要は「自分は特別な存在である」という気になることなんですよね。
基本的にそれは「自分は特別な(能力を持っている高等な)存在である」なんですが、その逆パターンもあると思います。
「自分は特別な(環境に生まれた可哀そうな)存在である」


夏祭りの前日、祖母が死にました。
その日の朝たまたま訪れていた姉の前で倒れて、搬送されて、お昼にはポックリ。
脳梗塞やってボケた祖父じゃないです、祖母です。

火葬って体験しましたか?
私も初めてではなかったのですが、なんだか疲れて、疲れて。
夏休みが終わればまた「普通の家庭」に生まれた奴らと一緒になる。
彼ら彼女らの笑顔に囲まれて過ごすことになる。
そんなものは耐えられない。
その笑顔が憎くて憎くて仕方ない。

でも、必要なのは「異物を異物として認め、攻撃しないで自分の平穏を守る方法を探る」という姿勢ですね。
だから2学期初日の朝、私は教室に行かず朝礼中の職員室の前にいて。
胃の手術で休んでる担任に代わり、出てきた保健室の先生を捕まえて「明日から学校来ません」と告げたのです。

私「ただいまー」
母「もう帰ってきたん?」
私「先生が、とりあえず家に帰ってって。夕方副担連れて来るからそこで話そうって」
母「ええ……掃除せんとじゃん」
次女「先生どんな反応しとった?」
私「うーん、人間ってマジで鳩が豆鉄砲くらったような顔するんやな
母&次女「「wwwwwwwwwwwwwwwwwwww」」

実は母も姉三姉妹も、理由は色々ですが中学生時代に全員不登校を経験したことがあるのです。
まぁ母には最初反対されましたが、「棲み分けさせろや」と説明するとそういうこともあってか不登校は承諾されました。

当時は「不登校」が社会問題としてメディアに騒がれていた時代です。
ただ、そういう場合は「何も言わず徐々に学校に来なくなる」などですが。
保健室のおばあちゃん先生も「何十年やってきたけど、自分から不登校宣言してきた子供は初めてだった」と後に語ってくれました。

不登校中は近所の公園でひたすら筋トレしたり、自分で約束もしていたので学校から出る宿題をしたり、Eテレでぐるぐるどっか~んしたりして健やかに過ごしました。
テストには出席しましたし、週一でスクールカウンセリングも受けました。この夏にフレッシュプリキュアを見てしばらくプリキュアにハマります。

画像1

(2010年初日の出)

1月1日、なんとなくで中学校がある山から初日の出を撮影し、ギャングメンバーの友人と電話し。
保健室登校や職員室登校を経て中三には教室に戻りました。

不登校中に嫌々行った修学旅行で妙に優しくしてくれた陽キャグループのみんな、ありがとな(ここで中指を立てる)。

7.18歳くらいまでの話

どういうキッカケだったかなんて覚えていないのですが、中三からはヲタク仲間ができました。
その中に好きな子もできたし帰り道などはよく家まで送ってました。
まぁ中学最後の大会の前日にその帰り撥ねられたんですが。

ボケた祖父の介護(風呂一緒に入るとか)をしつつ進学を考えます。
引っ越す前のクソ田舎は高校行かない奴も割といたのですが、それも平成二桁の世では少数派なんですね。
定時制高校にして、バイトしながらダラダラ学業してできれば短大とか専門へ……。
という考えを言ったら母に「頼むから普通の高校にしてくれ」と泣かれました。
えぇ……唯一自分からオープンスクールに参加した所なのにぃ。

自宅から通える所が他に
①中学の隣の治安良くない高校
②自転車ではちょっと遠めの総合学科(?)の高校
③自称進学校
だったので、とりあえず③現実は非情であるにしてダメ元で選抜Ⅰ(推薦)を狙います。

担任「選抜Ⅰなんだけどね」
私(まぁ中二の半分不登校だしなぁ)「はい」
担任「がんばってね」
私(オイ他の生徒どうなっとんねん)「はい」

そんなこんなで自称進学校生活が始まります。
ヲタク仲間も結構同じ学校に来てましたし、新たにヲタク仲間もできましたし、充実してました。

姉の友人(当然クソ田舎民で家庭が複雑)が睡眠薬のオーバードーズで自殺未遂を起こし、うちで引き取ってしばらく居候してるなどもありました。
祖父が死んでショックで、保健室によく引っ込むこともありました。
(そういう諸々の事情を盾に嫌いな授業サボってたとは言えない)

高三の時部長になりまして、たまたま一年生が女子大勢だったので
歓迎会に軽いジョークのつもりで
「部長の柳川です。気軽にお兄ちゃんって呼んでね^^」(男子は柳川先輩)(副部長に蹴られるまでがオチ)
とハジケたところ真に受けられ、廊下ですれ違う時「おにいちゃーん」と呼ばれ、同級生にすっっっごい目を向けられたのもいい思い出です。

自称進学校ではありましたが、大人の同情を集める方法はよく知っているので
センター試験大荒れで「D判定でも諦めるな! やればできる!」される中、

私「先生! 理系ですけど志望校をA判定の文系にチャンジします!」
先生「え? あ、うん……うん」

と一人離脱し、数Ⅲ・Cも物理化学も投げ捨て大学へ合格しました。

8.22歳くらいまでの話

貧乏なので「独房より狭い」と評された大学の学生寮に入ります。
学んでいた(いる)のは幼児教育的なソレです。

いつからという問いは難しく、おそらくこれまでの人生全ての積み重ねで。
大学二年生の後期くらいから鬱病の傾向が出始めました。

同じ大学には同じ高校から来た奴もいません。
公立大学なので、それなりに恵まれた家庭環境からたくさんの人が集います。
また「普通の家庭」に生まれた奴らと一緒になる。
彼ら彼女らの笑顔に囲まれて過ごすことになる。
そんなものは耐えられない。
その笑顔が憎くて憎くて仕方ない。

しかし「棲み分け」してる訳にもいきません。
中学は義務教育、費用は大体みなさんの税金からありがとうごさいます。
高校って単位制だったんですね、なんでアレだけ保健室行っててセーフだったんでしょう。
大学は単位制ですしお金も掛かります。
いえ、貧乏なので授業料免除は受けていましたが、それでも一人暮らしですし色々お金が掛かります。
しかも基本的にみんな4年で卒業して就職します。

奨学金もありますが、父もおらず母も働けない家庭において、金銭面を支えていたのは長女でした。
長女は姉です。父でも母でもありません。
親はある程度子を選べます。子は親をかなり選べません。
姉だって、私を養育する義務も責任もないし、自分のために生きられるのに。

そういう有限性や後ろめたさとかで押し潰されていって、大学三年生の時には「いよいよ俺はヤバイ」と思い精神科に駆け込みました。
ただ問題があって、この時私は過眠がメイン症状だったのですが、激しい眠気が副作用の抗鬱剤を、最も重い症状に出す量の80%、普通長くて数か月服用のところを1年半出されました。

今となってはヤブ医者と思いますが、他のお医者さんに変わった後「鬱状態の解消を最優先とするならありえなくはない。けど普通こんなことはしない」というような評価で……つまりヤブじゃねぇか。
おクスリ(意味深)手帳を見せたら「よくこんなので生きていられたね」と……えぇ……。

大学三~四年生の間の記憶はひどく曖昧で、自分でも何をしていたかほとんど覚えていません。
ていうか一日二十時間眠っている訳ですから、夢と現実の境界すら曖昧だったと思います。

大学四年生の最後、これもまた記憶が曖昧なのですが卒業が無理だとわかって休学に入り、寮を追い出され(基本2年間入寮を貧乏理由で4年間に延長)実家に戻りました。

9.25歳くらいまでの話

実家に戻ってしばらくは、眠る起きる食す眠る起きる食す風呂入る眠るを繰り返していた気がします。
いつかの自殺未遂さんみたいに。

ある程度回復してからコンビニでバイトしていた頃もありますが、やっぱフランチャイズってクソだわ。
後は家事手伝いとして掃除やら洗濯やら料理やらしてました。

1年経って、お医者さんもおクスリ(意味深)も変わり過眠もかなり控えめになったので……奨学金も授業料免除も4年間までなので、長女に借金して復学。
なんとか学業に励んでましたが、やっぱつれぇわ。
追い込まれ追い込まれ退学届を持って「最後の挨拶じゃい」と大学カウンセラーさんのとこを訪れました。

私(反対されても退学届置いて……夜逃げでもしようかな。そうだ西成に行こう)
カウンセラーさん「大学にいられるの8年間までだから、あと1年間休学できるよ?」
私「!? あ、その手があったかぁぁぁぁぁ!!!!」

という訳で、でも姉には言い出し難いので
当時再婚予定の相手と暮らし始めていた母へ休学届を送り書いてもらって提出。

1か月くたばった後バイトを始め、年末帰省した時に長女へ打ち明け殴られ、バイト生活してたら世間がコロナに襲われ……で、今に至ったってワケ。

10.感覚の話

死って体験しましたか?
体験済みの方は成仏して。

中二病の時書いた小説の中で、今もずっと頭の中にこびり付いているセリフがあります。

「生きたいから生きてるんじゃない。死ぬのが怖いから生きてるんだ」

今日の教育の目的をご存じでしょうか。
「生きる力」を育むことです。
教育学部においてこの「生きる力」を解説する講義はとても深く濃く長く行われます。

『進撃の巨人』を知っている方はエレン・イェーガーを思い浮かべてください。
教育における「生きる」というのは単に「死んでいない」を指すものではありません。
「自由である」とか「文化的である」とか……そういう「能動的に人として生きる」ことを指します。

僕はなんというか、死んでないだけな気がします。

五代雄介になりたかった。
誰かの笑顔のために立ち上がり戦えるような人間に、青空になりたかった。
でも正直今でも他人の笑顔って生理的なレベルで気持ち悪いと感じます。
だからといって独りぼっちじゃ寂しくて死んじゃいますウサウサ。

「生きてるだけで丸儲け」と笑うあの人のことが実はすごく好きです。
けど僕は本当に生きてるだけで丸儲けしてるんでしょうか?
生きてるだけであの青空を呪い、他者の足を引っ張り、そんな自分が嫌いだしそういう気持ちにさせる環境が嫌いだし環境のせいにする自分が嫌いだし理不尽に選べないような環境が嫌いだし
なんで僕は死んでないんでしょう?

「生きたいから生きてるんじゃない。死ぬのが怖いから生きてるんだ」

なんとなくなんですけど、死んだら海に還りたいと思ってます。
祖父も自然葬を願ってたのですが、費用の問題で祖母と一緒に冷たい石の下にいます。
2時間ドラマに出てくるような崖って実在するんですけど、どう見下ろしても波で岩場に戻されそうなんですよ。

バンジージャンプを1回くらい経験してみたいと思ってます。
いいえ、どうせならもっと高く、スカイダイビングとかしてみたいです。
学校の校舎はもちろんなんですが、最近はどこの建物も屋上への扉はロックされてるし、そうでない所は高さが足りない。

苦しいのも痛いのも苦手なんですが、長らく睡眠薬を処方されています。
しかし、これを一回に処方される限度の量一気に飲んでも1か月くらい寝て吐いてするだけです。
家に帰ると姉の友人が必ず死んだフリをしているみたいに眠ってました。

今日、「自殺」というのは「自死」に置き換わりつつあります。
言葉の響き的にも「殺す」より「死ぬ」の方がまだマイルドですから、どちらかというと遺族の心の負担を軽減するための流れなのでしょう。
ですが、「生きる」が「死んでいない」ではないと考える私にとって、やっぱりその行為は「自殺」と表現するのが最も適していると感じられます。

今日、「自殺」を取り上げるだけで「影響が~」などと言われまるで「黙っていろ」と抑え込まれるような風潮があります。
自分の世界の平穏を保つことは正しく、「異物」から離れたり目を背けたりする行為も当然正しいと思います。
しかし「生きる」には、「攻撃し排除する」という意味ではなく「向かい合う」「克服する」という意味の「戦う」という行為も含まれています。

五代雄介は戦っていました。
キュアパッションも戦っていました。
エレン・イェーガーも、ロラン・セアックも、かばんちゃんも、鹿目まどかも、マシュ・キリエライトも、ジョニィ・ジョースターも……。

僕はそういう生きているキャラクターやストーリーが好きです。
そして多分生きているあなたのことも、その笑顔も好きになれるんだと思うし、そうであってほしいと祈れます。


でもNTR作品の広告はウザイ(ここで中指を立てる)。

画像2

(2020年初日の出)

この記事が参加している募集