九度山・真田ミュージアム
和歌山県・九度山にある「九度山・真田ミュージアム」に行きました。
ここは、真田昌幸・幸村・大助(親と子と孫)三代の物語を長く後世へと語り継ぐことを目的とした施設です。
こちらには駐車場はなく(身障者用のみありました)、道幅もかなり狭いので、車で来る方は道の駅に停めて歩くことがオススメです。道の駅からは徒歩約5分ほどです。道の駅の記事はこちら↓
真田三代について
昌幸は、信濃国上田城(現・長野県上田市)を本拠地に、戦国時代を生き抜いた武将です。徳川の大軍を2度まで破り、関ヶ原の戦いの後、ここ九度山で雌伏の時を過ごしながら天下の動静に目を配り、再び己の実力を世に問う機会が訪れるのをひたすら待ち続けました。
幸村は父・昌幸に軍略を授けられるとともに、上杉家や豊臣家で人質となった機会に、上杉景勝の家老を努めた直江兼続や豊臣秀吉から多くのことを学びました。
関ヶ原の戦いの後、九度山で14年間暮らしました。慶長19年(1614)、豊臣秀頼の招きを受けて大阪城に入城。冬の陣では大坂方の主将として真田丸を築き活躍。大坂夏の陣では、徳川家康の本陣にまで斬り込んで、家康をあと一歩のところまで追い詰め、敵の徳川からも「日本一の兵」と絶賛されました。
大助は九度山で生まれ、父と共に大坂の陣を戦い、主君・豊臣秀頼と運命を共にしました。
大阪城が落城し、豊臣秀頼や淀殿が自害しようとした折、大助はまだ少年であり豊臣家譜代の家臣でもないため、城からの脱出を勧められましたが、父の命令を盾に拒絶し、秀頼らと共に切腹しました。
ミュージアム
それではさっそく入館料を支払い中へ。ミュージアムのエントランスには、真田三代が甲冑姿で来場者を迎えてくれます。
幸村と大助の甲冑は、武勇随一と認められた武将とその部隊のみに着用が許され、大坂夏の陣図屏風にも描かれて真田隊の代名詞ともなった「赤備え」を再現しています。
中には、上田時代、九度山時代、大坂の陣などの資料が展示されています。こちらの展示は、ボタンを押すと囲炉裏が開いたり色々な仕掛けがありました。
また、真田十勇士伝説の展示コーナーもありました。十勇士は、真田幸村に仕えたとされる10人の異能の戦士たちのことです。真田十勇士はあくまで伝承上の架空の人物とされていますが、歴史的な由来をもつ人物もいることから、実在を唱える説、実在の人物がモデルであるとする説もあります。
こちらのコーナーには、大助が十勇士に鍛えられひとりの武士に育っていく様子がコミカルなオリジナルアニメで楽しめる映像もありました。
施設内はそこまで広くはありませんが、展示や資料が盛沢山で楽しかったです!真田好きな方には是非訪れてほしいです。
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