黒田官兵衛の奇策 備中高松城
岡山県岡山市にある「備中高松城」に行ってきました。
備中高松城とは
備中高松城とは、備中高松城城主の三村元親の命で、石川久式が築城されたといわれています。久式の死後、娘婿の清水宗治が城主となりました。
その後、秀吉の参謀黒田官兵衛の水攻めの奇策で落城し、元和の一国一城令で廃城となりました。
現在は公園となっています。
アクセス
JR桃太郎線の備中高松駅から徒歩約10分でほど。岡山駅から20〜30分程度です。駅から城までの道は狭いです。
私は駅前にレンタサイクルがあったので、そちらを借りて行きました。
スタンプの場所
スタンプは「高松城址公園資料館」にあります。こちらは公園内にありますが、15時までなので、閉館はとても早いです。無料で入れます。
高松城の水攻めとは
大正10年(1582)、織田信長の命を受けた羽柴秀吉は、備中高松城を攻めました。
高松城は深田などに囲まれた平城で、水面との比高がわずか4mしかなく、人馬も進み辛い要害の城でした。
この地形を活かし、秀吉は参謀の黒田官兵衛の献策により水攻めを行いました。梅雨の雨もあり、増水した足守川の水を流し込むことで、たちまち大湖水ができ城は孤立しました。
そして、宗治は城兵の命と引き換えに、切腹しました。公園には、この時の首塚が祀られています。
首塚の横には、宗治の辞世の句の碑が立っています。
また、少し離れた場所に宗治の胴塚もありました。
宗治の切腹後、家臣が舟で城へ返して主君の遺体を城内に埋めたので、胴塚といいます。
スタンプがある資料館からは少し距離があり、場所も分かりにくかったです。
高松城址公園
公園なので一般の方もよく訪れるらしく、子供達がサッカーをしていました。
また、公園には水攻めの登りが立っていました。
また、本丸跡からわかるように、かなり水面に近いです↓
この奇策を考えた黒田官兵衛は凄いですね……。さすが参謀と呼ばれるだけあります。
近くには和菓子屋「清鏡庵」がありました。
宗治饅頭……気になる。というわけで入店。
昔ながらの和菓子屋という感じです。地元の人がよく利用するそうで、法事の餅なども注文していました。
宗治饅頭のほかに、水攻め饅頭などもありました。
備中栗が気になったのですが、この栗、近辺の栗どころか国産でもなく、なんと韓国産の栗だそうです。それは名前詐欺では……と思いました。
そんなわけで、饅頭と最中のみ購入。饅頭は美味しかったのですが、最中がとにかく甘かったです。
公園周辺も見て周ったことで、再びレンタサイクルに乗って駅まで戻りました。電車も20〜30分に1本なので、帰る時間には気をつけましょう。
訪れるまではどんな城か知らなかったのですが、色々と見れてけっこう楽しかったです。