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総石垣の城 新宮城
和歌山県新宮市にある「新宮城」に行きました。こちらは、水上交通の要衝に築かれた平山城です。
新宮城とは
紀伊和歌山城主、浅野幸長は慶長5年(1600)、家老の浅野忠吉に新宮の地を分知し、翌年から築城工事が始まりました。その後、一国一城令で廃城となりますが、元和4年(1618)、築城許可がおり、再び築城に着手しました。しかし、翌年工事半ばで主家が安芸広島へ転封となり、家老の忠吉も安芸三原へ移りました。代わって入封した水野重央が新宮城の築城工事を引き継ぎ、寛永10年(1633)に2代重良が城を完成させました。水野氏はそのまま10代続いて明治維新を迎えました。
城内
それではさっそく城へ入ります。現在は公園となっており、基本いつでも入れます。100名城のスタンプは別の場所にあるので気をつけてください。入口前に駐車場がありますが、4~5台ほどしか停められないのと、入口が坂になっており、狭いのでこちらも気をつけてください。
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まずは階段を上ります。こちらには、日本一短いケーブルカーの軌道跡がありました。
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階段を上ると、本丸の武者返しがありました。
反りをつけた石垣は武者返し又は扇の勾配と言われ、石垣全体に反りをつけるのではなく、石垣上部で勾配を強くしていくことで反りを形成しています。
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こちらはトイレです。
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さらに階段を上ると本丸につきます。
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櫓がいくつか残っていました。
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天守台につきました。本丸西側に天守が威容を誇っていたと思われます。
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白からは熊野川を眺めることができます。この城の真下をJR紀伊本線が通っており、近世の城郭の下を貫く鉄道トンネルは全国でもここだけです。トンネルを出た列車は熊野鉄道を渡り三重県へと行きます。
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再び下へ。色々な種類の石垣を眺めながら下ります。
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本丸の反対側には鐘ノ丸(二ノ丸)があります。
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一通り周ったことで、入口へと戻りました。
天守台からの眺めも綺麗でよかったです!