天下普請により4ヶ月で築城 高田城
新潟県上越市にある「高田城」に行ってきました。
高田城とは
福島城の城主であった堀忠俊は慶長15年(1610)に改易され、徳川家康の六男松平忠輝が福島城に入りました。忠輝は慶長19年(1614)3月から伊達政宗・上杉景勝・真田信之《さなだのぶゆき》・佐竹義宣・前田利常《まえだとしつね》ら13大名に命じて、天下普請(江戸幕府が諸大名に命じて行わせた、築城・河川などの大土木工事)による高田城の築城を開始しました。同年7月に完成し、福島城は廃城となりました。築城期間は4ヶ月と、かなりの短さです。
しかし、忠輝は大阪夏の陣への遅参などを咎められ、元和2年(1616)に改易されました。その後、親藩・譜代の藩主が入れ替わって幕末を迎えました。
アクセス
えちごトキめき鉄道妙高はねうまライン高田駅から徒歩約15分です。こちらは周りが高田公園となっており、駐車場(無料)も広いので車がオススメです。
城100のスタンプは高田城三重櫓にあります。入館料は大人310円。JAFなどの割引はありませんが、博物館とのセット券の場合、少し安くなっています。
高田城三重櫓は土塁に囲まれているため、橋を渡って行きます。
高田城の特徴
高田城には2つ特徴があります。1つは天守閣が築城されなかったこと、2つ目は石垣が積まれず、全体に土塁をめぐらしていることです。理由としては、豊臣家との決戦を間近に控え、完成を急ぐ必要があったからだと考えられています。
高田城は近代にすべて撤去されてしまいましたが、上越市発足20周年記念事業として平成5年(1993)に高田城三重櫓が再建されました。
三重櫓からは公園が見渡せます。
また、本丸の土塁は築城当時の威容を誇り、広々としています。
春は桜、夏には蓮が有名です。
いつか桜の時期にも訪れてみたいです。
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