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賢いはずのエリートが失敗するミステリー 4選
ミステリーは時に「逆説」を描く。
賢いはずのエリートは、エリートならではの見識の狭さのために時に失敗することがある。
※以下、4作品の完全ネタバレを含みます。
1.古畑任三郎『完全すぎた殺人』
テレビドラマ『古畑任三郎』第3シリーズの第8話「完全すぎた殺人」。
犯人は、福山雅治 演じる車椅子の化学者である。(のちに演じる『ガリレオ』の真逆みたいなキャラで、実に面白い。)
彼は、恋敵である友人を殺すために、爆弾を仕込んだ「考える人」の彫像をプレゼントする。電話越しに、彫像の底にある蓋を開けるように指示を出し、素直に従った友人は爆弾を起動させて死んでしまう。
真相を見抜く最後の決め手となったのは「包装紙」だった。
被害者は、たいせつな友人からもらったプレゼントの包装紙をちゃんと取っておいた。その折り目とテープの位置から、中に包んでいたものが「考える人」の彫像であることが明らかとなり、真相解明につながるのだ。
あなたの最大のミスは人間の心を読めなかったことです。世の中にはね、人から心のこもったプレゼントを貰うと包装紙までちゃんと取っておく人がいるんですよ。あなたですね、もう少し人の気持ちというものを勉強された方がいい。
ぼくは、プレゼントの包装紙を捨てる人を見るたびに、この一話を思い出す。
2.深水黎一郎『倒叙の四季』
2016年に深水黎一郎が発表した短編集『倒叙の四季』では、4つの殺人事件が倒叙ミステリーの形式で描かれている。
その中の一作「春は縊殺 やうやう白くなりゆく顔いろ」では、主人公が不要になった古い恋人を絞め殺したあと(いかにもエリートタイプの動機ですね)、首吊り自殺に見せかけようとする「完全犯罪」が描かれる。
実際は完全犯罪には程遠く、いろいろな物証を残してしまっているのだが、とくに私の印象に残ったのはある意外な証言だ。
主人公は犯行に用いた手袋を処分するため、自宅のコンロで時間をかけて焼く。ところが、近所の主婦が「ふだん換気扇を使わない一人暮らしの男の部屋でなぜか換気扇が回っていること」をしっかりと覚えており、後日そのことを警察に証言したことで、主人公が疑われ出すのだった。
念には念を入れて犯罪計画を立てたはずのエリートタイプの主人公だったが、「世の中には、自分の想像もつかないような、どうでもいい近所の細かいことまで気にしている主婦がいる」ということを計算に入れることができなかったのだ。
3.城平京『名探偵に薔薇を』
2020年には『虚構推理』がアニメ化もされた作家・城平京のデビュー作が『名探偵に薔薇を』だ。
本作で「失敗」するエリートは「犯人」ではない。「名探偵」である。
奇妙な毒殺事件が発生する。
大学生の山中冬美が、「小人地獄」という変わった名前の毒薬を飲んで死んでしまったのだ。彼女が飲んだ紅茶には、致死量の100倍もの毒薬が含まれていた。この毒は非常に苦みが強いため、普通の人なら飲み込む前に反射的に吐き出してしまい即死には至らない。ところが冬美は味覚障害をもっていたため、毒の苦さに気づかず死んでしまった。奇妙なのはここからで、冬美は自分が味覚障害であることをごく限られた人にしか明かしていなかった。
犯人はなぜこんな極端な殺害方法を選んだのか。
もし冬美以外を毒殺することが狙いだったなら、100倍もの毒は苦くて飲みこんでもらえない可能性が高いから逆効果だ。しかし、冬美を毒殺することが目的なら、どうして味覚障害のことを事前に知っていたのか。
名探偵・瀬川みゆきは、様々な仮説を立てるがどれもしっくりこない。最後に明らかになったのは悲しい真相だった。
真犯人は、冬美が家庭教師をつとめて可愛がっていた少女・鈴花だった。
鈴花には殺意はなく、ただ「毒殺未遂事件」を起こそうとしただけだった。冬美が味覚障害であることは知らず、誰が紅茶を飲んだとしてもすぐに吐き出して即死には至らないように、わざと多すぎる量の毒を入れていたのだ。
そして、そんな人騒がせな事件を起こしたのは、子どものころに一度会った憧れの名探偵・瀬川みゆきにもう一度会うためだった。
瀬川みゆきは、数々の事件を解決してきた「名探偵」なのに、ある人に言われるまでこの真相に気付けない。
世の中を俯瞰して、客観的に考察するタイプのエリートは、「自分」が世界の一部であることを忘れてしまうことがある。
(具体例は挙げないが、似た構造のミステリー作品はいくつかある。また、ミステリマニアなら「後期クイーン問題」を絡めて論じたくなるかもしれない。)
4.チェスタトン『ムーン・クレサントの奇跡』
チェスタトンは日本での知名度は低いが、一部のミステリマニアからは高く評価されていて、特に「逆説」の鋭さに定評がある。
『ムーン・クレサントの奇跡』は、今から100年以上前の1924年に発表された、名探偵の「ブラウン神父」が登場する短編だ。
本作で失敗するエリートは「被害者」である。
豪華ホテル「ムーン・クレサント」に滞在していた敏腕経営者ウォレン・ウィンドが何者かによって殺されてしまう。ウォレン・ウィンドは、たちどころに相手の人間性を見抜くことで有名な人物だった。
ところが、真犯人の一人は、なんと彼の召使いであるウィルソンだったのである。ウォレン・ウィンドは人の本性を見抜く才能があったのに、なぜそんな危険な人物を召使いとして雇っていたのか。
動機は20年前に遡る。
ある日、ホームレスだったウィルソンは、2人の友人と一緒にウォレン・ウィンドのもとを頼った。ウィンドは3人の現状を瞬時に見抜くと、ひとりを精神病院に送り、ひとりをアルコール中毒の矯正施設に送り、ウィルソンを召使いとして雇うことにした。
それは、個々人の実情に合った「合理的」な判断だったのかもしれない。
しかし、唐突に2人の友人と引き離されてバラバラにされた恨みは大きかった。たとえ召使いとしての職を得ようが、この怒りが帳消しになることはなかった。そして20年経った今、再集結した3人が共謀してウォレン・ウィンドを殺したというのが真相だった。
いかにも企業経営者らしい「スピーディーで "合理的" な解決案」に、すべての人が納得するわけではない。
人間は人それぞれ異なる「こだわり」をもっており、それをないがしろにした「合理的な解決」は20年経っても消えない恨みを生むことがある。エリートタイプのウォレン・ウィンドは、そのことを分かっていないために殺される羽目になった。
ある人が、名探偵のブラウン神父にこう尋ねる。
「神父さんは、どんな凶悪犯のためにも、祈るのでしょうな」
ブラウン神父は答える。
「左様、殺されたウィンドのようなろくでなしの人間をも祈ることが、私の仕事です」